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最初の記憶


まず、これは私の最初の記憶ではない。
ただ、私の映画のプロローグがあるならばきっとこのシーンだと思う。

雪景色の中に和太鼓の音が響く、内側が湿った長靴を履いて外に出ると真っ白い空に、小さな平べったい、桜の花びらほどの大きさの黒い灰が無数に舞っている。舞いながら落ちてくるのではなく高く高く白い空に吸い込まれて行くように舞っている。
住んでいる集落の祭り、「とんどさん」と呼ばれている、冬の儀式では、しめ縄や、書き初めなどを持ち寄り、二階建ての家ほどもある(というふうに記憶している)藁の山に火をつけて燃やす。
一通り日が落ち着くとそこで餅を焼いたり、竹の節に日本酒を入れて火で炙り熱燗にした酒を呑む。神聖な酒なので子どもも一緒になって飲む。太鼓の音が白んだ空に響き、赤ら顔の大人たちが笑う。

空に舞っていた灰は多分、書き初めの半紙が炭になって飛んでいたものだろう。漢字やひらがなの文字が飛んでいるように錯覚したのはおそらくそのイメージから。

退屈な幼少期と同じくらい、これといって華やいだ1日のない平凡な高校生になった私は、億劫な気持ちでカーテンを開け、山陰の曇った空に時々この、飛び交う文字の幻想を見た。

子どもの頃に親しんだ集落の行事は、いつしかわざとらしい社交辞令のように思えるようになり、赤ら顔の大人たちを蔑むような目で見ていた。

高校を卒業し、しばらくバイトをしながら地元で一人暮らしをした。生まれ育った場所から電車で1時間ほどの、県内ではいちばん大きな街。バイトから帰り、料理をして海外ドラマを見る。しかしすぐに飽きてしまって、また実家に帰った。

地元の大学に行った友人と時々会った。ゼミとか、合コンとか、そういう言葉をふーんと聞く。遊んだりバイトをしたり、基本的には自分の生活と変わらないなと思いつつ、でもなんだかとても許せないような、いたたまれないような気持ちにもなった。絶対自分はあんなふうにならないし、なれないし。と線を引いた。あんなふうにってどんなふうになることだろう。富を貪る。みたいなイメージだった。

ある日両親が、パソコンを買ってくれた。 Windows vistaというやつで、はじめダイヤルアップネットワークというのでファックス送信みたいな音を聞きながらつなぎ、その後で市町村と契約してインターネットらしい使い方ができるようになった。
メールはOutlookとmsnを使っていて、マッチングサイトで知らない人とグループチャットしているうちにタイピングが早くなった。ブラインドタッチとその技は呼ばれた。

インターネットでは通信制の大学で安く学位が取れること、食卓にのっている肉は倫理ない扱いを受けた動物たちがベルトコンベヤーに乗せられ殺される処理され、商品として流通しているものだと知った。

母親にこれからは肉を食べないと宣言して、かつおダシも昆布だしに変えた。

人生は退屈だけど意味のあるものになった。肉を食べる人たちは動物の扱われ方を知らずに自分の快楽だけを求めて生きている。大学生がカフェで大声で楽しそうに話しているのを見て日陰で感じていた思いとなんとなく重なった。何も持たない私は清く生きよう。アルバイトの数を減らして通信制の大学に入り勉強を始めたが、大学での勉強の仕方がわからず結局投げ出した。

ピアノが弾ける人が羨ましかった。学校のオルガンでピアノ教室の課題曲を練習している子の指の動きをじっと見ていたら、いつしか覚えて弾けるようになった。そんなことをふと思い出して、ローンを組んでヤマハの電子ピアノを買った。

ローンの支払いを忘れると意地の悪そうな女性から電話がかかってきた。携帯電話ではなくてピッチと呼ばれる少し安くて華奢な作りの電話で小さなアンテナが立っていた。

「用事があって支払いに行けません」と言うと「自分が使ったお金なんだから自分でお支払いください」と当然のことを言われた。本当は用事があって支払いに行けなかったのではなくて、支払いをできる銀行が家から遠かった。車も車の免許も持っていなかったので、支払いに行くハードルが高すぎた。

ピアノを弾いているといつのまにかちょっとした曲を作れるようになった。窓際にいくつか花を育てていた。多肉植物のようなもの。その花を見ていたら、雀蜂が飛んできて、顔の周りのフサフサしたところが猫みたいで可愛いと思った。心がどんどん綺麗になっているような気がした。ただ1人で家にいるのが幸せだった。

両親が私を扶養に戻すという話をしていただ。そういえば一度家を出てから住所変更をした記憶があまりなかった。年に100万円くらいの収入しかないのであればその方が得だと役場の人に言われたのだそうだ。年金の支払いなども免除申請ができる。そうしてほしいと両親に頼んだ。

バイト先をコンビニから歯科医院に変えた。たまたま父が行った地元の歯科で助手が足りないと話しているのを耳にしたらしい。お会計や入れ歯磨きや、機材の掃除などをするのだそうで、未経験でも大丈夫とのことだった。週に3日という約束で転職した。

コンビニバイトの短大生に「なんだ、けっこう頭いいんじゃん」と言われた。コンビニ業歴20年の男には、「えーっ。エロい」と喜ばれた。





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