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「働かないおじさん」について

最近、ある出来事が理由で、しつこい耳鳴りのような不快感を引きずっていた。

その出来事とは、わたし個人に受けられた職場でのアンチキャンペーン。

以前、部署が同じだった、いわゆる団塊世代あたりの「働かないおじさん」がいた。

異動で全く関わらなくなっていたから、惑星の彼方にいる人くらいの距離感で認識していたのだけど、

最近になって

「今までこちらで握りつぶしていたんだけど」

という前置きのもと、そのおじさんが悪口、暴言メールを拡散したり、わたしの仕事の隙やミスをいちいちチェック、現場ヒアリングまでして関係者に各所に報告していたというのだ。

SNS上で発生しがちな「あれ」が、割とアナログなところ(社内メールや現場)で行われていたらしい。

そういえば、

あまり知らない人から敵意を向けられたり、

「何でそんなことを知っているの?」ということを他の部署の人が知っていたり、

嘲笑するような妙なテンションで話しかけられたりすることがあったのは、

その人の地道な活動による成果だったのかもしれない。

全く気づいていない自分の鈍感力に我ながら辟易しつつ

その時にわいてきた感情を羅列すると

-不快感(ストーキング、執着されていたことへの気持ち悪さ)

-怒り(本人に対するもの、組織の構造、不公平さに対するもの)

-無念さ(それなりに現場と良い関係を築こうと努力に対して)

-恐れ(他者の執念から逃げきれないことへの恐怖)

そして、そのおじさんに対して感じたことは

-嫌悪感(その容姿や声、不安定さなど全てに)

-憐憫(本人の孤独と満たされない承認欲求、なんらかの本人が耐え難い欠如に)

幸い上司が問題解決に動いてくれたので、以降の仕事の進め方など整ってゆく予定だけど、こういう人や事象に遭遇した時の考え方を自分なりに整理して、解答を得ておきたい。

娘や友だちが同じような目に遭った時、経験者としてのアドバイスができた方がよいから。

さて「なぜこの働かないおじさんは、アンチキャンペーンを繰り広げていたのか。」という疑問について。

本人の中のわたしへの嫉妬や、劣等感が先立つ理由だと思う。

そして、敵を作ることによって得られる共感、それによって癒される孤独感みたいなものが原動力になっているのも間違いないと思う。

では

「どうしてそういう行動でしか、組織の中に存在できないのか。」

「どうして人の仕事や行動、人生に首を突っ込んで時間を浪費するのか。」

それは、(話が元に戻るようだが)

彼が「働かないおじさん」だからかもしれない。
もしくは絶対的に「働けない」から。

働かない人が一定数組織にいることは自然なことだ。

組織には「働けない=生産性の低い人」がいても良いのだ

ただ、その事実にさえ向き合えない個人の性格、もしくは組織風土があった時にこういう問題が発生するのだと思う。

そういう人は、もはや仕事をするのが恐怖になってしまっているのではないか。

わたし自身、どうしてもやり終えることのできないタスク(仕事でもプライベートでも)がいくつかあるけど、それはそこでの失敗への恐れみたいなものがあるためだと思う。

別に失敗なんて、いくらでもして良いとは思うけど、

それが、本人が価値を置いている何かである時、人はより強く失敗への恐怖を感じるのだろう。

不運にもそれが、人生の大半の時間を費やす仕事だったとしたら、それは不運だ。

毎日出社しても働けず、人に迷惑をかけて、信頼を失って、仕事を振られなくなって…。

行き場もなくなり、時間だけが目の前に広がっていた時に、人は他者中傷に走るのかもしれない。

「あなたはツッコミどころが多いからね〜」
と笑いながら、トラブル対応してくれた上司に心から感謝しつつ、わたしはこれからも「自分の仕事」に集中しようと思った。

そして、仕事だけに価値を置かず、家族との時間やクリエイティビティを大切に、心身のバランスをとってゆこう。

そんなことを思いつつ、娘とプールで遊んでいたら、しつこくくすぶっていた耳鳴りが止まった。

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