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中国語セラピー
去年の4月から、オンラインのCCレッスンというのを利用して、中国語会話のクラスをほぼ毎日受講している。
やる気のピークだったのは、ある程度会話が成立するようになった7月のこと。中国語日記なるものを始めて、起床の6時から娘と夫が活動しだす7時半までを中国語に費やしていた。
その時、人生全般にかけるやる気がオーバーロードしていたので、エクササイズなんかもしていて、朝活が充実しすぎる傾向にあった。
ところがあんまり早起きするので、寝不足になり、パフォーマンスが低下。
かつ、「生活習慣を改善して仕事で最高の成果をあげる!」みたいなのが自分の中で少し時代遅れにも感じられるようになり、「本当に早起きしてまでやりたいことを見つけるまでは、起床時間はそんなに早めなくてよし」と決めて、ひとまず中国語日記は5話で終了(下書きに眠っている)
中国語会話そのものについては、娘が登園した後から、仕事までの時間を利用したりで、中国語そのものは続いている。
今日もこれまでの時間、老師(先生)と話していた。
継続できている理由は何だろう。と考えると、不得意な言語を使って意思表示する生徒の話を聞いてくれる老師がいるから=話を聞いてもらえるから。
これは完全に一種のセラピーの位置付けになっているなと思われた。
私は英語学習をその前にやっているから、語学学習が、結構その人の人格や内面に近いところで行われるアクティビティーであることを理解している。
中国語会話もまさにそんな感じで内面に近いところで進行しているが、英語の時と違って、言語としての習得の方は2の次となっている。
本当は、メモるとか録音とか、予習復習とかした方が良いのだろうけど、あいにくそこまでして行き着く先が見えないので、今のギアの入り方はちょうど良いという気がする。
考え方を変えて、例えば、このゆるゆるとした中国語学習を動画発信するとか、なんらかこの内面的な活動を「祭り」にする方法はあるのだろうけど、中国語祭を始めるにはパワーがかかりすぎる。
そもそもその祭、楽しいですか?
主催者としての資格がありますでしょうか?
という気がしなくもなく。
(私だったらある程度中国語を習得している人の祭に行きたいので)可能性は低いであろう。
そうすると結局、私にとっての中国語は、一種のセラピーの位置付けになるのだと思う。
CCレッスン、多分、市場で1番安いオンライン講座だけど、受講者はどんなモチベーションで授業を受けているのだろうか。
若い女の子と話したいだけのおじさんとかもいそうだ(老師の性別ほぼ女性)
だとすると私はそのおっさんに1番近いセグメントにいる生徒という気がする。
それで良いのだと今のところ思っている。