コロナ禍きっかけでHSPな自分とガッツリ向き合う腹を決めた件
はじめまして、ゆかりです。
初投稿ですので、自己紹介を、、、といきたいところですが。
noteを始めるきっかけであるHSPのことをつらつらいきたいと思います。
トップ画像は本日のワタクシのHSP診断結果です。
日々微妙に変化するのですよ。
【なに、HSPって?】
『Highly Sensitive Person』の略で、1996年にアメリカのエレイン・N・アーロン博士が発表した概念のこと。
博士自身が25年の歳月をかけ、ご自身の気質を脳理論やユング心理学だけでなくスピリチュアルな解釈を融合させて論じたものをまとめ上げました。
日本でも目にする機会が増えた「HSP」。
書籍タイトルで、「敏感な人」「繊細な人」「内向型」などと表現されているものは、だいたいが「HSP」について書かれていると思っていただいて間違いないかな。
【HSPという概念との出逢い】
HSPを語る上で切っても切り離せないので、早々にカミングアウト。
約4年前(2016年)、社会生活ができなくなる状況に陥り。
いわゆるうつ病、診断名は双極性感情障害Ⅱ型(躁鬱病)←HSS型HSPぽいですよね。
当時、通院が毎回とてつもない苦痛と労力を伴うので、少しでも自分の癒しになるように本屋さんや図書館に立ち寄ることにしていたのです。
そうしたらば、何故か引きつけられる本たちが。
HSPという語彙が自分の中になかったにも関わらず、本屋さんに行く度に目に入り、気になる存在感とアピールビシバシ感。
激しく呼ばれているような気がしてたまらないので、とうとう手に取る。
「これ、私のこと書いてあるやーん!!!」と、本屋で声を殺して号泣←コレ一見高度テクに見えますが、ワタクシの初期装備。
人目を気にして大変なタチなのに、目から汗が流れ出て止みません(単にうつで脳分泌物の異常があったからなのですけど)。
子どもの頃から感じていた”生きづらさ”に名前があったとは!と衝撃を受けたのです。
その後、しばらくはHSPや双極性感情障害だけでなく、自分に当てはまりそうで当てはまるか微妙なものも含めて、”言葉”を探し続けてしまいました。
例えば、インナーチャイルド、AC(アダルトチルドレン)、ADHD・ADD(注意欠如多動性障害、注意欠陥障害)、インディゴチルドレン、エンパス、ホロスコープから読み解いたキーワードなど。
心理学、精神医学、スピリチュアルな観点からも自分を内観して仮説を立て分析していました。
ソーシャルワーカーだった頃の職業柄習慣からか、自分自身を対人援助者の視点でプロファイルしていた、ということですね。
【言い訳になるのかも、という不安】
でも、ある日それをパタリとやめたのです。
なにかにつまずくごとに「うつだから」「HSPだからね」を言い訳する自分になってしまわないか、と強い恐怖感を覚えたから。
その恐怖感には、「ずっとこのまま闇の中なんじゃないか。」「社会復帰できないんじゃないか。」「寛解しても再発するんじゃないか(根拠はうつの再発率70%以上という統計から)。」という不安と同等の意味がありました。
自己肯定感が低すぎて、何でもかんでも自分の努力が足りないせいだ、もっともっと頑張らないと自分には生きている価値がない、と責め続けていたことも一因かもしれません。
HSPがうつになるとこうなるあるあるだよね、と今なら思える。
この時にHSPである自分と真摯に向き合うことを一旦放棄しました。
で、その結果。
社会復帰リハビリ的なアルバイトや派遣のお仕事で、失敗を繰り返しながら、何とかコツコツ作業系のお仕事ができるように。
ソーシャルワーカーとして10年越えの経歴があるものの、当時は高い人間力を要する相談職への復帰は考えられませんでした。
幸運なことに、好きな業界へのお仕事にも憧れの人のもとで働く機会をいただけました。
しかし、生きづらいまんまです、好きなことをしているはずなのに。
本来の自分を無視するどころか押し込めていたので当たり前といえば当たり前。
ただ日々を過ごすだけで精一杯で中々気づけなかったのです。
「何でうまくいかないのかな。言われたことがよく分からないかも。」
「やたらと疲れるし、努力が足りないのかな。もっと頑張らなきゃ。」
「もしかして通院やめたから、また躁鬱再発したのかな。」
こんな感じで自分を追い詰め、後から気づいたのですが、軽度のうつ症状を呈してさえいました。
そして、コロナ影響で緊急事態宣言が発令。
兵庫県住み、大阪府通いの私の生活や精神状況にも更に大きく影響が出始めたのです。
【不安の気持ちと自分の生き方】
時短勤務になったことで、貯金を崩す生活になりました。
そして片道2時間通勤を不特定多数の人と接する状況下、同居の持病あり両親や出勤停止となった妹の目が気になるようになってきました。
実際、妹からはバイキン扱いを受けていましたし。
両親がコロナになったら確実に自分のせいだ、という勝手な罪悪感を大きくして行く日々でした。
経済面も不安で、自分を負のループに追い込んでいました。
でも、この状況なにも私だけじゃないです。
世界中が抗えない大きな変容の時をほぼほぼ強制的に迎えていたのですから。
これって、昨年から星読み界では結構有名な話で。
200年以上続いた地の時代から風の時代への遷移期で、今年何か大きな社会的な変容に全員巻き込まれる、的なことが起きる。
と読まれていたので、「あ、これかぁ。」という思いはあって。
ただ、最初の頃は意味を履き違えていました、不安のあまり。
私が「不安、恐れ」の気持ちから始めたいろんなことはまた今度書きますね。
今はアホらしくて自分に呆れちゃうけど、その時は頭も回らないし、とにかく不安過ぎて必死だった。
そこを突き抜けて、内観しなさいという意味だとわかってから絶賛取り組んでいることはというと。。。
【愛をもって本来の自分に戻る行動を起こす】
「私って使命はなんだったのかな。」
「なんのために地球のこの時代を選んでやってきたんやったかな。」
これ、あまり今まで表出しなかったのですが、ずっと内面に抱えてきたことなんです。
子どもの頃から、周囲というか社会というかこの世界に馴染めない自分への違和感。
家族もなんだか自分とは違うし、周りの人と自分が同じようには振る舞えないと悩んでいました。
で、必死で周りと合わせようとして、「今はしゃぐ時?無邪気にしとく?」みたいな空気読もうとし過ぎて疲れて、面倒くさくなってどうでもよくなることも多い、というような。どんなだ。
夜、星空を見て「私どこからきたのかな?」と、ごく普通に思っていました。
そして、それを口にするとますます周囲から浮くとも思ってた。
親しい友人に、スピリチュアル的なお話をしても良いな、という人がいるので、その友人との間だけで話題にすることはありつつも。
時々SNSで誤爆して、「あ。やっちゃったー。」的なことも何度かありつつも。
そう言えばコロナ禍初期、こんなこともありました。
あるチャネラーさんとzoomでお話しする機会を得て、こう質問したのです。
「直感を信じていいのか、ただの自分勝手な思い込みなのか自信がない。どう判断したらいいですか?」と。
その際「その直感は一体どこからきていると思う?恐れからの行動か愛からの行動かで、使命かどうかが分かる。」とおっしゃられていて。
その意味をなんとなくですが、わかった気がします。
愛からの行動というとわかりにくいですが、自分の心の泉のような場所から湧き上がり枯れることのない水のような感情を感じられたなら、それは恐れではないな、と思います。
決定的なのは、ある人たちとの出会い、仲間がいると知ったこと。
「全部出して行こう!親しい人や知人、周りの人にどう思われても、もういい、これが自分なんだ。だって、役割がここに隠されているというかもう多分隠れてなくて寧ろこれやろ。」という思い。
コロナ騒動の兆しが見え始めた時、星読みの他にカバラ数秘や誕生日天然石や名前に隠された秘密についての知識が増え、更に自己肯定感第一人者中島輝先生著書の「自己肯定感ノート」を購入し取り組み出していたことが、前哨だったかも。
自分をもっと深く感じて行くことが、風の時代に移り変わる大きな変革期の”今”に必要だ、とやっと落とし込めたのが先月、2020年7月、新しい私の誕生日(当日お腹壊した、好転反応と勝手に思うことにした)の月。
【中島輝先生とHSP仲間との出逢いで知ったこと】
時短勤務になっていたのがきっかけで、ネットで勉強する機会が増えていて、そうするとSNSが各々のプラットホームで勝手に関心のある広告をピックしてくれますよね。
あれで、目にしたのですよね。
中島輝先生が講座もされている、って。
「あ、中島輝(呼び捨てですみません)HSPのカウンセリング講座もしてるの?丁度勧められていたし、もしかしてHSPじゃないかも知れんし(この後に及んで悪あがきw)、もし私が本当にHSPだったとしたら同じような生きづらさを抱えている人たちと話ができる。」と期待と期待と期待を胸にポチッと申し込んだのです。
向き合うことは一旦棚上げした後も、自分がHSPだということをすっかり忘れ去っていた訳では、もちろんなく。
ただその呼称だけが頭にあって、自分をHSPとして扱っていなかったことで余計にストレスがかかっていたと気づいた、という。
本当は会場参加で申し込んだのですが、コロナ影響が長引きzoom開講に変更。
リアルにHSPの方々と知り合えるのを期待していた私のガッカリ加減をお見せできなくて残念無念。
ですが。
先生のお話が始まった途端から、共感どころか同調し過ぎてしまってずっと泣いてしまっていたので、逆に会場開催だったら困ったでしょうね。
そしてこの日の診断、私はやっぱり典型的HSS型HSPでした。
びっくりだったのは、参加者の半数近くがHSS型HSPだったこと。
HSPの中では70%が内向型と書籍統計を見ていたのですが、仲間だらけ!
中でもココロが喜んだ最大のことは、友情や理解しようという愛情から以外の、本当に心からの共感と全肯定全承認の場、という初めての体験。
こんな世界があったのか、自分が自分のままでいいのか、仲間がたくさんいるんだ、と純粋に思えました。
そして、感度が近いからかスピリチュアルな人がいっぱいいらっしゃったので、自分も自然体でいられました。
中にはつらくてできないワークもありましたが、「できなくてもいい。」と誰も責めない、自分を責めるの自分だけ。
そんな中こっそり泣き続ける自分に、こんな風に思ったのです。
「この共感性、統制しなくては自分が対人援助できないな。」と。
その意味って、HSPカウンセラーになるために踏み出す、と心が決まったということ。
その日のうちに、アドバンスとプロコースを申し込むことを決めました。
今まで、即決したことをあとでクヨクヨ「これで良かったのかな、本当にしたいことなのかな。失敗したらどうしよう。」と悩むことばかりでしたが。
今回はないみたい。
寧ろこうなるだろうな、と分かっていたことなんじゃないかという気すらするほどに。
具体的に、誰に向けてどんな風になってもらいたいか、というアイデアもどんどん浮かんできました。
自信がある訳ではありません、ただそうしたい、ただそうなりたい、と思ったのです。
『生きづらさを抱えた人が少しでも軽くなって翼を広げて自分らしく生きる光を見つけてもらいたい、そのために私の個性をうまくツールとして活用してサポートしたい』と、思っています。
その実現のために、今度は逃げずに自分ときっちり向き合って、自分をまるごと認め(最難関!)、癒していく、と決めました。
環境もガラッと変えるつもりにしています。
自分の気持ちを知ったので、そのタネを無視しないでとことん付き合う。
今まで、いっぱい無視してきた過去の自分も癒していきます。
過去の事実は変えられません、ですが”過去”の自己認識を変えていくことは、できます。
私にできたら、きっと他のHSPさんにもそれぞれの方法でできるような活路を見出せると信じる、そうしたらつまづいたとしても諦めずにやれそうだから。
【終わりに】
これからもHSPのことが中心になりますが、それにまつわるさまざまを発信していきます。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださった方に、本当に感謝します。
あなたの抱える生きづらさが、少しでも柔らかいものになりますように。