紫がたり 令和源氏物語 第百四十六話 蓬生(四)
蓬生(四)
末摘花の姫は叔母に言われたことを反芻しておりました。
この姫は素直な性質なので、叔母が親切心から言ってくれたものだと信じて疑いません。
断るにしてももう少し機嫌を損ねないような言い方があったのではないかと反省しましたが、それでもやはり邸を離れるという決断だけは下せないのでした。
姫はぼんやりと源氏を想いました。
美しい君はいつでも優しく語りかけてくれたものでした。
その言葉の数々に嘘偽りがあるとは思えないのです。
今は大変辛い思いをされているので致し方の無いことですが、晴れて都へ戻った暁には必ずや自分のことを思い出してくれるに違いないと信じているのです。
姫は側に控える侍従の君に話しかけました。
「侍従や、わたくしは縁あって夫婦になった源氏の君をただ一人の夫と決めているの。そんな気持ちがいつかは天に届いて、君が帰京されればまたお会いできるのではないかと思うのよ」
源氏と出会い、姫は女性として内面がずいぶんと磨かれたようです。
あいかわらず口下手で気持ちを表現することは苦手なのですが、以前とは違って風趣を解する心が芽生えているのでした。
侍従の君はこの姫の純粋な気持ちを踏みにじることができなくて、
「そうなればこれほど嬉しいことはありません」
そう姫の手を優しく握りました。
しかしながら侍従の君は邸から出たことのない深窓の姫君ではありません。
己の才覚を持ってあちこちのお邸に勤める職業婦人ですので、世間を見知っているわけです。
二条邸の紫の上の噂も聞いておりましたし、かつて東宮妃でいらした六条御息所が源氏の君と噂されていたことも知っております。そもそも須磨へ退去せざる得なかったというのも、帝の寵姫と通じていたことが原因、とのこと。
姫を煩わせることもないと今まで口を噤んでおりましたが、源氏が帰郷できるという確証はなく、たとい戻られたとしても姫は数多いる女人の一人にすぎないのです。
消息のひとつもない源氏の態度を鑑みても、とても姫を再びお世話してくれるとは考えられません。
色々と行動範囲を広げた侍従の君ですが、源氏に関わりのあった者たちはみな一様に関係を断つように沈黙を守っているので、どうして源氏の君に姫の窮状を伝えようかと伝手も見当たらないのでした。
ある時、財力に物を言わせて珍しい調度などを集めている貴族が、ふと故常陸宮が名工に作らせた貴重な調度があると聞きつけて、姫の元に譲ってもらうよう遣いを寄こしました。
これで当面は食いつなげると安堵した老い女房達は大喜びです。
「姫様、これでこの冬は炭も買えますわ。ああ、助かった」
姫は情けなくなり、心が揺らぎましたが、やはりここは譲れません。
「この調度は亡き父がわたくしの為にと誕生の祝いに作ってくださった一式です。それを事情も知らない赤の他人に譲ることなどできましょうか。父宮の本意に背くことになりましょう」
「姫様、こう零落れてはそのような話は珍しくありません。皇族の誇りでは食べてはいけないのですよ」
食い下がる老いた女房に姫は首を縦にふりません。
ですが、このままでは本当に飢え死にするしか道はないように思われて、どうにか姫の心を変えられないものか、と侍従は頭を巡らせます。
そうかといってあの姫君が叔母の家で女房のような仕事をこなせるか、と考えますと、それもどうにも無理と思われる。
どうしたものか、と侍従の君はまた深い溜息をつくのでした。
次のお話はこちら・・・
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