紫がたり 令和源氏物語 第三百八十八話 横笛 (五)
横笛(五)
雲居雁が夕霧が近頃ぼんやりと心ここにあらずといった様子なのを気付かぬはずがありません。
この時代の身分高い男性は妻を何人娶ってもよいことになっておりましたので、側室として藤典侍(惟光の娘)がいることを鑑みても夕霧はよその男性に比べると大変真面目な貴公子ということになりましょうが、それはあくまで男尊女卑に基づく一般的な世間の見方で、妻である女人たちはそれぞれ感情を持った一人の人間なのです。
夫が他の女人に心を移すのをどうして容認できましょうか。
雲居雁は夫が念入りに身繕いして出掛けたのを不快な気持ちで見ておりました。
自分の何が足りずに夫は他の女人を求めるのか。
筒井筒の二人の間に遠慮は無く、夕霧は彼女のことを口の減らない勝気な妻だと思っているようですが、人知れず思い悩んでいることを知らないのです。
夕霧にしてみれば一条邸には自邸にない風雅や子供の無い静かな生活に心惹かれるようですが、子育てはすべて雲居雁まかせで次から次へと子供が生まれ、生活に追われている彼女にどうしろというのでしょう?
男の身勝手なわがままとしか言いようがないのです。
まだ幼い子供達ばかりなので、その夜も雲居雁は夫が帰宅する前に蔀格子を固く閉ざして、早々と就寝しておりました。
夜更けに帰ってきた夕霧はたいそうご機嫌で、鼻歌混じりなのが雲居雁にはいっそう面白くありません。
恋に浮かれた夫がみっともなくて、そんな夕霧の姿を見ることはないと信じてきた心は深く傷つけられるのです。
「こんなに月の美しい宵だというのにそれを愛でもしないなんて信じられない。ああ、風流も無いだなんて嫌だこと」
夕霧はそう言うと、女房たちに格子を開けさせ、御簾も引き上げて端近に横たわるのも憎々しい色男ぶり。
自分こそ遠慮なくずけずけと妻を傷つけているのに気付かない様子です。
笛を取り出した夕霧は女二の宮を想いながら笛を吹き続けておりますが、まさに夢見る心地で、今頃宮は和琴を奏でながら私のことを考えて下さっているであろうか、などと子供っぽい夢想に耽っているのが、雲居雁には見ていられません。
夕霧は些か尊大になっているのでしょうか。
妻の我が強く、口うるさいのも自分がこれまで浮気沙汰など無かったので膨張させてしまったのではあるまいか。そう考えるにつけてもこれを機に宮を娶るというのは雲居雁をおとなしく従順な妻に改めさせるのにはよい折ではないか、などと都合よく考える始末なのです。
雲居雁が家庭を守ってきたことや、多くの子供たちを立派に養育していることには感謝の念も無いようで、そもそも当たり前のことと、感謝するなど考えも及ばぬのでしょう。
そして世間の目というものも考えられないようです。
女二の宮はこれ以上好奇の目に晒されたくないと考えておりますので、夕霧の恋心には気づかぬ風を通しておられます。
夕霧の北の方の雲居雁は亡き柏木の妹姫でもあり、もしも夕霧と結婚するようなことになれば致仕太政大臣にも深く恨まれるに違いありません。
この期に及んでそうした煩わしい結婚なぞどうして望みましょうか。
皇女でありながら二夫にまみえるというのも外聞が悪くて恥ずかしく、雲居雁の威勢の方が強いので、愛人のように見られるのが関の山、それが宮には耐えられません。
そうした宮の胸中や雲居雁の心痛などお構いなしに夕霧は一人でのぼせ上っているのでした。
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