「不安」を分解すると、「不安」と仲良くなれるかもしれない。
「不安」を感じたことがない、という人はきっといないのではないかと思います。
そもそも「不安」という感情自体、感じにくい、感じないようにしている人もきっといると思うのですが、今日は「不安」について私の考えを綴ろうと思います。
そもそも「不安」の定義は何でしょうか。広辞苑ではこのように定義されています。
不安=安心のできないこと。
それでは、安心の定義はなんでしょうか。
つまり、不安とは、安心のできないことで、安心とは不安がないこと。不安と安心は切っても切れない関係性のようです。
それでは、なぜ人は不安を感じるのでしょうか。
脳科学について調べていると、「不安」はノルアドレナリンの分泌らしいです。
人間が緊張、不安、恐怖の感情を持つとき、脳内物質のノルアドレナリンが分泌されます。ノルアドレナリンは、「闘争か、逃走か」の物質と言われています。
つまり、「闘うのか」「逃げるのか」という状況に立たされた時、人は「不安」に感じやすい。不安は、人が生存する為に必要な感情とも読み取れます。つまり、生き延びるために「不安」という感情が存在する。
私の場合を例に取ると、人間関係において「不安」が湧きやすいです。例えば、仕事やプライベートで自分が大切だと思う案件のメールやメッセージの返事が1日以上返ってこなかった時。
昔は、こんなことを考えて、実際に行動までしていました。
「あの時の私の発言で、傷つけちゃったかな」
「こんなこと言っちゃったから、嫌われたかも」
「私のこと嫌なのかな….」
これらは「自動思考」と言われるもので何か出来事があった際に「自動で浮かぶ考え」のことです。
自動思考自体に良い悪いがあるわけではないのですが、現実と自動思考のズレが大きいとさまざまな問題がおきてきます。
返事がない=嫌われたというのは自分の解釈で、事実ではないからです。
このような誤解から、上手くいっていた人間関係が上手くいかなくなることも考えられます。
自動思考は人それぞれ違っていて「スキーマ」というものが基となっています。
スキーマとは、過去の経験から形成され、恒常的で個人に特異的な認知のことで、海に浮かぶ氷山によく例えられます。「嫌われた」というのは海面(意識)に浮かぶ考えで、その考えの根拠となっているのが海中(無意識)にあるスキーマということ。
特に過去の私の場合は、何か問題があった時(自分が考える通りに物事が進まない時)は「人と向き合わないといけない」というスキーマがあったので、不安を感じた際の「逃げる」か「闘う」かでいうと「闘う」方の選択をしてしまいがちでした。
そして、「闘う」方を選んでは、上手くいかないということが増えていたので、まずは下記のことをやるようにしました。
上記のことを繰り返していると少しずつ、自動思考が変化するようになりました。
その時に、「不安」というものを分解してみると、なんで「不安」に感じているか理解できるようになって安心に変わる、と私は気づきました。
人によっては「不安」を分解する行為そのものが「不安」を助長させることにつながったりもするので、(それこそ向き合わない方が良い時もあります)自分にはどんな方法があっているのかを理解しておくことが大切だったりします。
私の場合は、不安を分解していった結果、特に自分の自動思考によって苦しんでいることがわかって、対策を打てるようになりました。
今は、「不安」を感じないようにしたり、「不安」を感じてしまう自分を責めるのではなく、「不安」を感じた時にまずは俯瞰してみてあげること、この「不安」はどこから来ているのか分解することで上手く付き合っています。
そして、できるだけ1人で不安を分解したり、振り返るのではなく、他者を交えて振り返ることを継続しています。1人より誰かと一緒の方がより客観的に分解することができます。
行き先の見えない世の中、「不安」に覆い尽くされそうになりますが、少しでも「不安」と上手く仲良くできる人が増えたらと思い、自分の経験談を記してみました。
「不安」は生き延びていく上で大切な感情なので、感じて大丈夫です◎
読んでくださってありがとうございました。
今日も素敵な1日になりますように!