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前回の記事を綴ってから考えたことや現状。[正直な気持ちをぶつける覚悟]※終盤、自傷表現注意
まずは、良かったら前回の記事を読んでやってください。
この記事を綴ってからも色んなことを考え続けている。
冷静に考えてみれば、病棟でのわたしの荒れ方は入院拒否されるレベルではなかったと思う。ただ、病院側にしてみたら、わたしという患者はいちばん厄介な類な患者なのだろう。病棟でセクハラを受け、院長である主治医に対して怒りを抱いている。院長との診察がきっかけになり、遁走を起こし飛び降りた、という、暴力的な患者よりも厄介な存在な患者なのだろう。入院させたくない。と、主治医の立場だったらわたしも感じるのではないかと思った。そりゃあこんな厄介な奴を病棟になんか入れたくないよね。無理ない。
だから、『二重のトラウマを植えつけたくない』この言葉が嘘であっても、入院を受け入れて貰えないのは仕方がないことだ。と頭では理解している。
けれど、思考と感情は別々だ。ここが大きく乖離しているから余計に解離を起こしやすくなっているのではないかと、今は自分なりに分析することができた。
率直な感情としては、やはり『何で』『どうして』『どうすればよかったの』そして、『これからどうやって生きていけばいいの』。そんな感情が今のわたしの素直な感情なのだと思う。
怒りもある。何で被害者のわたしが入院を受け入れられずにこんなに頑張らなければいけないのか。あの時、何で最初から向き合ってくれなかったのか。あの日、止められるのは先生だけだった。なんで止めてくれなかったの。
怒りと悲しみが渦巻いている。
だけどそんな感情にだけ目を向けていても、そこに浸って絶望していても、前へは進むことは出来ない。向き合わなければいけない。乗り越えるためにも。
わたしは争うことが嫌いだ。とても嫌いだ。そして、自分の正直な感情を他人にぶつけることがすごく苦手だ。特に、怒りの感情は当人に直接ぶつけたことはほとんどなかった。人を傷つけたくない。その気持ちが大きくて、どんなことをされても全て笑って許して大丈夫な振りをしてきた。…『許して』、は違うな。『許した振りをして』、かな。『許した振りをして、許せない自分を騙して』。かな。
でも、そんな自分にも嫌気が差してきた。他人のために自分の気持ちを殺して自分で自分の首を絞めながら生きる。そんなのはもう嫌だ。ウンザリだ。
それに、飲み込んだ感情や言葉は消化されることはなく、心の中に重荷として溜まっていく。そして、その重荷は可燃物なのだと思う。起爆スイッチもついているのだと思う。正に『地雷』だ。その起爆スイッチが初めて本格的に入ってしまって、大爆発をして遁走を起こして知らない間に飛び降りていたのではないか。今はそう考えている。
もう大爆発を起こさないためにも、感情や言葉を飲み込むことはやめていかないといけない。勇気を出して、ぶつけないといけない。他人は所詮他人だ。どんな人であっても、違う生き物だ。他人の考えや感情を全て理解するということは誰にもできないだろう。精神科医であってもそれは無理な話だろう。だったら、伝えなければ、ぶつけなければ届かない。伝わらない。分かって貰えない。
わたしは周りの人達が思っているよりもずっと深く傷ついていると思う。それを少しづつでも訴えていかなければ。どれだけの怒りを抱いているか、少しづつでも訴えていかなければ、現状が変わることは無いのではないか。
人を傷つけることを恐れて、自分の心の傷を拗らせて深くしていってどうする。そんなの本末転倒だ。誰だって自分のことがいちばんだ。それは勿論わたしにも共通して言えることだ。
誰も守ってくれないのなら、自分で自分を守るしかない。
自分のことは自分しか守れない。
最後まで自分の味方でいてくれる存在は、自分しか居ない。
そんな自分を大切にしないでどうする。自分に嘘をつき続けて、どうする。
わたしは、もう少し自分の気持ちに正直に立ち振る舞わなければいけないのだと感じた。自分のために。
許せないことは許せないと伝える。怒りを、勇気を振り絞ってぶつける。人を傷つけたくないという気持ちは、その時は少しだけ殺して、怒りを表出する。
そうしないと、飲み込んだ怒りは拗れてやがて恨みに変わってしまうのではないかと思う。今恨んでいる父親、小学生の頃の性被害の加害者、中学の頃の虐めてきたヤツら。ソイツら以外、もう恨みたくない。恨みからは何も生まれない。抱えてても自分が辛いだけ。本当は誰のことも恨みたくなんかない。そうは言っても人間なんだし。生きてるんだし。感情あるんだし。そういう気持ちを持っている自分のことも、否定してはいけないんだな、と。
そんな、色んなことをずっと考えていた。
きっと、自分を大切にするための第一歩なのではないかと思う。
話は変わるが、昨日解離して自傷した傷について。
(かなり生々しい表現をすると思うので、苦手な方は画面を閉じてください。)
ガーゼの上から防水テープを貼っていたから染み出してはいなかったけれど、ガーゼは真っ赤になっていたので替えようと思いガーゼを外した。
…縫合レベルではないけど、普通にステリーテープで傷を寄せなければいけないレベルには深く切れていた。
ステリーテープなんて持っていないので、サージカルテープで傷を寄せて止めてその上からガーゼをまた被せ、防水テープで固定した。
少し脂肪層が見えてしまっていた。深く切れないようにガード付きの剃刀しか持っていないのに、重ねて切った感じも無いのに、それでもそこまで切れてしまう解離している時の自分が怖い。
最近は本当に解離が酷い。向き合うことを辞めたら、マシになるのだと思う。だけど、そうすることは性にあわない。わたしらしくない。逃げたくない。今まで色んな人に傷つけられては逃げられてきた。わたしは逃げたくない。向き合って乗り越えたい。
もう、頑張る余力はあまり残っていない。省エネモードで、これからも向き合い続けて頑張りたいと思っている。