息子の3歳~4歳の成長に寂しさと羨ましさを覚える母親
息子がもうすぐ4歳になろうとしている。
1年前は、まだ昼寝をしていた。
私のお腹の上で眠っていた。
目が覚めると、泣きながら訴えていた。
オムツを使っていた。
遠出するのにベビーカーを使っていた。
箸で食べることが出来なかった。
ボタンをとめることも、ズボンをきちんと履くことも出来なかった。
ストライダーを上手に乗ることが出来なかった。
絵本を一人で読めなかった。
トントンしないと眠れなかった。
それが、1年経つと、
昼寝をすることがなくなった。
私のお腹の上で眠ることが殆んどなくなった。
泣きながら起きることもなくなって、1人で階段を下りて起きてこれる。
トイレに行けるようになり、夜もおねしょをしないで、オムツが必要なくなった。
食べこぼしが減って、お箸も補助付きの物なら上手に使える。
洋服も1人で脱ぎ着出来るようになった。
ストライダーもすごいスピードで走り回る位乗りこなせる。
ひらがなもカタカナも読めて、簡単な絵本なら自分で読むことが出来る。
トントンなんて、無意味なくらいすぐに熟睡出来る。
抱っこの回数が極端に減った。
急激に息子の成長を感じる様になったのは、3歳8ヶ月位だっただろうか。
少しずつ、私が手を差し伸べる時が少なくなってきている。
その中でも一番の大きな変化は、
私と一緒でなくても、泣かずに生活を楽しめる事が出来るようになった事だろう。
今まで殆んどの時間を共に過ごしてきた、安心材料であった母親が側にいなくても、自らの力で自分の世界を生き始めている。
息子と公園へ行く習慣がなくなって、心にぽっかり穴が空いた私は、早く幼稚園が休みにならないか、ウズウズしている。
泣くことしか出来なかった4年前とは、まるで別人で、その成長が嬉しい反面、私を求めて泣くこともなくなって、少々悲しい限りである。
そんな私の気持ちを余所に、息子は必死に口笛を練習している。
そして、妖怪の名前をほぼ網羅している妖怪博士となった。
私が覚えられない事も、息子は容易く覚えてしまう。
羨ましい限りだ。
息子は成長することしか出来ないのだ。
あんなに抱っこをせがんでいた息子はもういない。
転んでも泣かずに自分で立ち上がる。
もう、抱きかかえてなだめる必要はないのだ。
何故だろう。
過ぎ去りし日々がこんなにも愛おしいのは。
一度芽生えた母性は、なかなか鎮火してくれない。
ずーーと可愛いままでいて欲しい。
そんな想いが溢れてきてしまう。
少しずつ私も私の時間を取り戻していこう。
人生で一度きりの子育て。
もっときちんと記録をしておけば良かった。
慌ただしい毎日が終わる頃、そんな事を悔やむ母親なのでした。