責任の行方

 今日はマジのガチでただの日記。
 責任とは、という話。

 数年前、そこそこ業界を賑わせた、中高生による同人サークルの件。今更すぎるがふと興味がわいたから、いまどうなっているのかと、ちょろっと調べてみた。
 当時は特に興味もなかったし、また一種の流行のなんとやらかと、流す気満々でいた。というか、当時色々と失ってヒリついて頃の自分が目にしたら、たぶん、批判してしまっていたであろうから。とは言っても、ツイッターのRTで回ってくるものだから、もちろん断片的に情報は入ってきた。

 もちろん細かくアレコレ書くことも可能だが。
 その前に。

 プロは、なぜプロなのか。
 約束を守るから。
 たったこれだけのことである。強いていうなれば、プロは、逃げない。

 この「逃げる逃げない」っていうのもクセモノだ。人によって、ほんとうに捉え方が真逆なんだよな。言葉と同様だ。何かを指摘された際、愛されていると捕らえることができる者もいれば、馬鹿にされていると捕らえる者もいる。もちろん、罵倒かどうかなんてのもケースバイケースだから、全てにおいて一概に言うことはできないが。
 この、「一概に言うことはできない」という部分が、超重要。結局、想像力が全てなのである。

 想像力。ボクはよく「センス」という言葉に置き換えるが、同義である。頭の切れる相手であれば、「センス」と言うだけで大抵のことが片付く。好き勝手にやれという意味ではない。センスのいい者は、自身の中に無数の前提を持つ。状況や環境、こちらの言葉の意図や過去の発言を汲み取り、それらを瞬時にデータベース化した上で、料理をする。こういうタイプが仕事の相手だと、非常にやりやすい。一度したやり取りを忘れないからだ。きっと相手にとっても、やりやすいんだと思う。これは、まさに経験値がモノを言う。

 想像力なんてものは、結局は知識が全てである。想像力が全てであり、知識が全て。想像力=知識。よほどの天才は除くとして、頭の切れる者というのは、人生の中で学ぶことができた者のことである。想像力=知識=経験値→センス、である。どれかひとつではダメなのだ。

 いるよな、何度言っても理解しないし、しようともしないヤツ。当然発言ややり取りなんて覚えもしないし、覚えられないのがわかっているくせにメモすらしない。……ボクが相手にされていないだけなんですかね。

 その上で。
 そもそも、約束なんてものは、守ろうとして守るものではない。相手の気持ちを考えれば、自ずと行動に現れるはずである。

 ボクは、クソガキなりに過去に色々やってきたわけだが、何度も裏切られてきた。そんな簡単に言いたくないし、事実簡単な話ではないのだが、簡単に言う以外に方法がないのだ。同じ経験をしたものになら、きっと理解できる感覚のはずである。
 逃げられたり、責任を放棄されたり。誰も自身の責任を果たしてくれない。俺よりもいくつも年上の人間がそうなのだから、そりゃ偏屈にもなるだろうて。そんな状況の中、最後はいつも一人になりつつも、なんとか形にしてきた。全国3人のファンを裏切らないようにしてきた。足りないかもしれないが、それでも限界まで頑張った。
 これって、責任がどうとか、もはや関係ない。逃げるとか逃げないとか、そんなレベルの話ではない。もはや無心。意地すら通り越した、無心。結局、対象の誰がいるわけでもないのに、その無という相手の気持ちを踏みにじってはいけないみたいな……ごめん、よくわかんない(笑)。どれだけ頑張ったって、やって当然なことをやっているだけという話で自己完結せざるを得ない。誰も褒めてくれないし、気がつけば貶してくれる相手すら存在しなくなっている。叩かれるだけまだマシ。そんな状況の中で、マトモな精神を保つのは、並大抵のことではない。

 「感想がもらえないからつらい」という言葉を、最近よく目にする。ついこの前も同人界隈を賑わせた。
 この言葉を捻じ曲げて解釈する者が後を絶たない。これは本来「言ってもらえると嬉しいから人にも言ってあげよう!」というポジティブな考えによるものである。いつからか「言ってくれないヤツは悪」と捉える者が現れ始めた。そのテの人間は、決まって口がでかい。「ワタシは精神的に弱いんだから守られて当然でしょう!」とでも言いたいのであろうか。最近流行の「繊細チンピラ」と同類である。しかし、決して彼らのことを攻めてはいけない。彼らは可哀想な存在なのである。成長の過程で思考力が十分に身に付かなかっただけなのだ。言い換えれば、頭が弱いのである。彼らにとって、これは無意識な行動なのだ。まぁ、意識している/コントロールしていると思い込んでいるだろうから性質が悪いのだが。これは、潜在意識という。
 親切とは「与えるもの」であって、「与えられるもの」ではない。なぜ親切を強要するのか。なぜ仲間のことを悪と思う? そう思うオマエが一番の「悪」ではないか。
 いちいち感情なんかに振り回せれているようでは、仕事なんてできない。チーム内の人間や身内に感想がもらえないなんて、当たり前である。そりゃ感想欲しいよ。褒めてほしいよ。感想をくれないからツラいなんて、みな同じである。それで嫌になるような程度の精神レベルで、いったい何がやり遂げられるというのか。ただの「ナカヨシコヨシ」の「オママゴト」である。上辺だけの関係。そんなもので、物事が上手く進むはずがない。人間関係の構築を怠った結果である。何を言われても、何を言われずとも「信頼してくれている」と思えないような関係は、仲間とは言えない。そして何より、それは自分が「相手のことを信用していない」ということに他ならない。感情などと言うには、あまりにも浅すぎる。単なる未熟者である。繰り返すが、親切とは「与えるもの」であって、「与えられるもの」ではない。

 戻す。
 そんなこんなな経験があるからか、このサークルの代表の気持ちが、なんとなくわかる気がする。まぁ、この手のタイプって、『オマエニナニガワカル』タイプが多いから、もしかしたら嫌がられてしまうかもしれないけど。ほかでもない自分がそうだし。

 批判を見ていると、「金取ってんだからアマもプロも関係ない」という意見が大半だった。もちろん、それはそうである。ただ、そんなことはクソガキにとったって百も承知であろう。ポイ捨てするような連中と同じである。他のポイ捨てしたやつが目の前で射殺されでもしない限り、ヤツらは決して理解することはない。危機感が足りないのである。たとえ未経験であっても、想像力が働いていたのであれば、こうはなっていなかったであろうが、こうなっちまったってことは、まぁ一言で言えば、「身の丈に合っていなかった」ということだろう。
 「金取ってんだからアマもプロも関係ない」という言葉を使用して叩いている人間は、本当のプロか、ロクな経験もせず、失敗の生じる可能性のある挑戦をしたためしもない、ただ人の言うことだけを聞いてコソコソと隠れながら酸素を無駄遣いしてきただけの『クソガキおじさん』のどちらかであろう。ざっと見た限り、ほぼ後者に違いない。実際に身を以て経験した者でもない限り、言葉を本当の意味で使うことはできない。それが、大人になるということだ。

 ……特大ブーメランもいいところであるが。書いていて悲しくなってきた。
 人生の何もかもが受身なだけの、大した能力も持たない、年齢だけは一丁前の『クソガキおじさん』にならないように気をつけようと思った。

 書かないと言ったわりにアレコレ書いてしまったが(笑)、もし、代表の方に会う機会があれば、こう言いたい。
 反省したんなら、あとはやるだけ。

 きちんとした形ではなかったかもしれないが、それでも形にしたということは、誇っていい。嫌な思い出かもしれないけど、嫌な作品だったという感情だけは抱かないでほしい。クリエイターとして、それだけはいけない。
 他人事かもしれないけど、そんなもんよ。そういう経験をしてきた人が、いま、約束を守る「プロ」としてやっているんだと思うよ。

 その上で言う。
 プロセスなど、無用の長物に過ぎない。

 ナニサマやねん。優碧さまや。
 おわり。

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優碧
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