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アメリカの大学が教えるエッセイの書き方が詰まっていた〜「名もなき中国のおばちゃん」〜


 この記事は素晴らしい。
 直感的にそう感じました。


 ストーリーの語り方、社会性、心に訴えかけるメッセージ。 
 そのどれもが素晴らしい。

 今、アメリカの大学で文学の授業をとっているのですが、
 その教授が教える良いエッセイの全てが、この蒼子さんの「名もなき中国のおばちゃん」に詰まっていました。





アメリカの大学は何を教えているか?


「蘇州で日本語学校の送迎バスが襲われた。
日本人の親子が斬りつけられた」

というニュースが入って来た時、

でっかいため息をひとつついて、

「あーあ。やっぱりね!いつかこういうことが起きると思ったわ!」

と、吐き捨てるように独り言を言った。

 「あーあ。やっぱりね!」

 この一文だけでも、読者はどれだけのことを思い浮かべるでしょうか。
 

 エッセイの最初にくるこの段落のことを、文学の授業では「Hook(フック)」と呼んでいます。

 読者をぐっと引き込む。魚を釣り上げるイメージです。

 
 このHookを見て、読者は「その文章を読み続けるか、それともここでやめるか」を決めるとも言われています。

 つまり、このHookの鋭さがこのエッセイの輝きを決めると言っても過言ではありません。

 この蒼子さんの書き出しはいかがでしょう?

 完全に心をとらえています。


 冒頭の簡潔すぎるニュースの説明に
 「一体何が起こったのか?」 という事件への興味も持たせつつ、

 どうして彼女(蒼子さん)は「あーあ。やっぱりね!」と言ったのか?
 という疑問を持たずにはおれません。


 良い文章というのは、
 「読者に想像させる文章」だと思っています。

 核心をつきつつも、余白を残して読者に考えさせる。
 いわば、幾つもの点を与えておきながら、線を結ぶのは読者の役割と言ったところでしょうか。


 このように、
 筆者だけで文章を完結させるのではなく

 読者の頭の中で、読者自身にこの文章の空白を埋めさせる。
 そうやって筆者と読者が一体となって文章を完成させる。


 というのが良い文章の鍵なのかもしれません。


コントラスト:感情の乱高下


 蒼子さんのエッセイは続きます。


 この見事なHookのあと、ほんの少しご自身の経歴を紹介したのちに、
 中国が日本をどれだけ嫌っているかということをかなりの文字数を割いて書いています。

 これを読んでいたとき、
 「この方は反中国の記事を書かれているのかな」と考えてしまいました。

 
 そんな中で、蒼子さんはこのニュースの詳細を掘り下げ始めます。
 雰囲気は完全にブルーですよね。

 しかし、ここからが名ライターというべきところ。

 蒼子さんは、このニュースの続報というのを出しました。
 

しかし、そんな冷たい無関心の気持ちにピキピキとヒビを入れる続報が入った。

犯人の男がバスに侵入しようとするのを止めようとした中国人の女性が亡くなったのだ。

この事件で唯一の死者になったのは、日本人の子供たちを守るために刃物を持って犯人に素手で飛び込んでいった、バスの引率の女性だったのだ。

 ここで一気に風向きが変わったのを感じました。

 これはただの中国批判ではない。
 筆者は、ここに「中国VS日本」という構図をひっくり返す何かを見つけたのではないか。

 そう読者は気づくわけです。

 ただ、こうやってニュースを紹介しただけで終わって仕舞えば、それはただの感想文というもの。

 事実を紹介しただけで終わらなかったのが、この作者の本当に素晴らしいところです。


もっともっと具体性を:掘り下げるスキル


 ここから蒼子さんが何をしたのかというと、
 個人的なエピソードに繋げていくんですね。

 確かに自分もそういった中国のおばちゃんの人情に触れたことがあるぞ、と繋げていくわけです。

「おい日本人女、焦んな。ゆっくり注文しろ。」

「また桃500gかい?この季節はライチのほうがおいしいぞ」


相変わらず抗日ドラマは流れていたけれど、その市場の人たちはどこまでもテキトーでおおらかだった。

私が、財布を無くした時は村を上げて探してくれたし、そこら中に張り紙を張ってくれた。

(おかげで個人情報もばらまかれたがそれはないものとする)

私がよくわからない暴言を吐かれたときは、通りすがりのおばちゃんが私の代わりにぶちぎれてくれた。

 この文章を見ただけでもお分かりになるかもしれませんが、
 蒼子さんは中国のおばさま方とのエピソードを決して美化していないんですよね。


 ありのままに、少し荒い言葉もそのまま描いている。
 でもそこには人工的ではない素の美しさが輝いていると思いませんか?


 先ほどまで、
 「中国VS日本」という構図が強調されていましたが、
 ここから彼女が描き出す「人情味あふれる中国」というのは心に迫るものがあります。

目の前で困っている人を見たらほっとけなくて、

言葉は時に下品で野暮で、その親切は時に押しつけがましくて、ありがた迷惑な時だってあるけれど。


自分の人生を精いっぱい生きて、パワフルな有り余るパワーで周りにも思うままに自分勝手にどこまでも暖かく親切とやさしさを投げ出して振りまいて。


でもそれは確実に中国を見えないところで支えていて、平凡でおせっかいなおばちゃんたちこそが中国社会を動かして支えていた。

 月並みな言葉ではありますが、この文章には心打たれました。


そして、最後にはこのメッセージが来るわけです。

中国に行かなかったら。

ビジネスとか、SNSとかそういう表面的なものだけで中国と関わってたらそういうおばちゃんたちのことを簡単に忘れてしまうんだ。

彼女たちはビジネスの表舞台にも出てこないし、SNSにも出てこないから。

 驚きのHookから始まり、
 そこから「中国VS日本」という構図をイメージさせる。
 しかしそこでニュースの続報を差し込み、
 エッセイの色を変えていく。
 そこから自身の体験を振り返り、「人情の中国」という全く新しいイメージを想起させる。

 そして最後には、
 誰もがハッとさせられる鋭い文章を残してエッセイを閉じる。



 ニュース番組で話すコメンテーターの方々より、

 自分の経験に基づいて中国という国を語るこのライター・蒼子さんの言葉は、何十倍も重みが違うなと感じました。


 蒼子さん、素晴らしい記事をありがとうございました。


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