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相国寺

相国寺

臨済宗相国寺派の大本山。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身。
また、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)
足利義満が花の御所の隣接地に創建を発願。
その地はかつて行基により創建された出雲寺(現・毘沙門堂。出雲寺は現・上京区毘沙門町にあった)や、法然が住していた賀茂の釈迦堂(現・百万遍知恩寺)が建っていた場所であるが、当時は安聖寺や

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春光院

春光院

春光院(しゅんこういん)は妙心寺の塔頭寺院

豊臣秀吉に仕え、後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立

近代日本を代表する禅思想家の久松真一 (西田幾多郎の哲学、鈴木大拙の禅学に影響を受け、東洋哲学、仏教、日本思想を研究) は、戦中・戦後の一時期を春光院で過ごし、当寺院で鈴木大拙と禅や近代哲学について語り合った

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東海庵

東海庵

東海庵

妙心寺の塔頭寺院。
1484年の創建。
開祖は悟渓宗頓(ごけいそうとん)。

書院西庭は文化十一年(1814年)東睦(とうぼく)和尚の作。
「書院庭園」として国の名勝および史跡に指定。

庭はそれぞれ趣が異なり、「東海一連の庭」と呼ばれる。
庭園には「体の庭」「相の庭」「用の庭」がある。
「体の庭」は石すらもない無の庭園
「相の庭」は苔と植物の庭
「用の庭」は坪庭。

退蔵院 

退蔵院 

退蔵院は妙心寺の塔頭寺院。
今から600年ほど前(1404年)、波多野出雲守重通が無因宗因禅師を開山として建立。
退蔵院は応仁の乱で妙心寺とともに炎上したが、1597年に亀年禅師によって再建され、今に至る。

「退蔵」という言葉には、「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教して

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大心院

大心院

大心院は妙心寺の塔頭寺院。

本堂南庭の「切石の庭」は中央に花壇が配置され、珍しい。
ツツジが咲く坪庭も侘びた趣がある。

明応元年(1492)に管領細川政元が、景川宗隆を開山として創建。天正年間(1573~1592)に細川幽斎が現在地に移転させた。
書院前の「阿吽庭」は中根金作の作庭。東西に長い長方形の地割をもつ枯山水庭園で、白砂、奇岩、苔で龍が天に昇ろうとする姿を表している。
宿坊としても利用

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瑞峯院

瑞峯院

砂の波紋と竜の背中のような石組が印象的な枯山水庭園

天文4年(1535)に、キリシタン大名として知られる大友宗麟が大友家の菩提寺として建立。

創建当時から残る客殿と表門、唐門は国の重要文化財

方丈周りにある「独坐庭」と「閑眠庭」はどちらも昭和36年(1961)に重森三玲が開祖400年遠忌を記念して作庭。
「閑眠庭」は縦4個、横3個の石が配され、石組みが十字になっていることから「十字架の庭」と

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大雄院

大雄院

大雄院は妙心寺の塔頭寺院

尾張藩家老・石河光忠が父の菩提を弔うために慶長8年(1603)に建立した妙心寺の塔頭寺院。

客殿には、江戸末期から明治初期の漆芸家・蒔絵師の柴田是真が描いた襖絵72面が残る。円山応挙の門人・土岐済美(とき ざいみ)筆の山水の襖絵も残る。

庭園は苔の枯山水庭園と池が連続してあり、広々と感じられる。
蓮華寺灯籠も見られる。

龍泉庵

龍泉庵

龍泉庵(りょうせんあん)は、花園の妙心寺の境内の南門付近にある妙心寺の塔頭寺院。

塔頭の中でも寺格の高い妙心寺※四派四本庵の一つ
妙心寺の創建当時から立てられ、塔頭の方丈としては最大級の規模を持つ。

室町時代中期の1481年、臨済宗の高僧・景川宗隆(けいせんそうりゅう)により武将の細川政元(ほそかわまさもと)を開基として創建された。

「禅は景川」

 「後御堂法坂 雪霜十六年(うしろみどうほ

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大法院

大法院

大法院(だいほういん)は、妙心寺の塔頭。
松代藩主だった真田信之の菩提所。
1662年(寛文2年)、信之の孫・長姫が信之の遺命によって創建したと伝えられる。
院号は、信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因むもの。
幕末の松代藩士で攘夷派に暗殺された佐久間象山の墓がある。

方丈の襖絵は江戸時代中期の絵師・土方稲領が描いた「叭叭鳥図」(ははちょうず)。 

双ヶ岡を借景とした露地庭園が美しい。

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