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個別最適化されていくんだろうな

こんにちは〜、やうたです。
今日は風が強い1日になりそうですね。ベランダにイスを出して、優雅に本を読もうと思っていたのに、明日に持ち越しになりそうです。

さて、今日はコロナ後の教育は自動的に個別最適化された学習がベースになるんだろうなあということを書いていきます。

いま、コロナによって既存の学校のあり方を継続していくことは困難となっています。3密を防ぐためには、学校という場所に集まることができません。授業・部活動・クラス活動の全てがストップしています。

そんな中で学校が最も心配しているのは子どもの学習についてです。(そりゃそうですよね)

ちょっと過激なことを言います。基本的に教師は子どもが自律した学習者であるとは思っていない人が多いです。もちろん、その度合いは異なりますが、なんらかの教師からの支援を子どもは受けないと学べないと思っています。

たしかに、一理あります。いきなり学校がなくなって「さあ自由に勉強しなさい」と言われて、できる子どもは少数でしょう。だから、教師が指示を出します。それは必要なことでしょう。でも、現場の様子を見ているとその指示の出し方に大きく2つあるなあと思っています。

多くの教師は、何十枚というワークシートを課題として課します。(たぶんそのうち物理的に無理が出てくると思うけど…)学校が始まるまでに、それを仕上げて、提出できるようにしておきなさいという指示です。そこに学びのゴールはなく、とりあえず、距離も時間もわからないまま、走っておいてねと言っている感じです。

しかし、中には教科書の内容を理解しておいてねというゴールだけを指示する教員もいます。例えば、現代文であれば「この評論文を読んで、400字以上で説明してみてね。」という課題です。ゴールにたどり着けるのであれば、どんなルートを通っても、徒歩でも、自転車でも、ロケットでも、なんでもいいよ。方法は任せるから、ゴールにたどり着いてねという感じです。

どちらがいい指示の出し方かは、時と場合によるでしょうが、私は後者の指示の出し方が現在の状況ではいいと思っていますし、これからは後者の方法でないと難しいのではと思っています。

それはなぜか。

ワークシートを課すということは、自分の想定したレールを歩んでいってほしいのです。そのレールを進んでいけば、教員が思い描いたゴールにたどり着けるから。そのためには、管理してそのレールからはみ出さないかを見張っておく必要があります。

でも、2つデメリットがあります。1つめは管理が可能なシステムの中だけでしか無理だということ。つまり、学校に毎日通ってくるという前提が必要です。そして、2つめは仮に学校に毎日来ていたとしてもそのレールの上を全員歩き続けさせることは不可能です。絶対に何人かは脱落してしまいます。

でも、ゴールを設定する学びは違います。それぞれの歩き方を認めます。講義が必要であればそれを選択すればいいし、友達に聞きたければ聞けばいい。一人でずっと考えたければ、時間の許す限りずっと考えられる。いわゆる個別最適化です。これは既存の学校教育の価値観にはなかったものです。

いま語ったことは数ヶ月前までは幻想であり、夢物語でしかありませんでした。でも、コロナがそれを実現しろと強いています。ていうかそれ以外道がありません。この変化はたぶん止まりません。

だから、いま僕たち教員が、個人でできることは、その変化にいち早く対応できるように、勉強しておくことだと思っています。

ちなみにおすすめの本はこれです。よかったら読んでみてください。


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