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あなたは何も悪くないから
人はみな自分が何か失敗すると、じぶんだけが悪いかのように錯覚します。
もちろんそれは自分だけの思い込みです。
「でも、自分がミスしたのは事実だし」
「他の人はミスなくこなしていることだし」
でもそうではないのです。
本日はそんなお話。
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例えば、体育大会で転んだあなたのその姿を300人の人々が見ていたとします。その人たちは例えば、クラスメイト、親しい友人、担任の先生、観覧席の親族、近隣に住む人々。
「あいつの気持ちが痛いほどわかる、口惜しいのだろう」
「クラスメイトに注意喚起しないと」
「次の自分の出番では気を付けないと」
「あの子の家族は今どのような気持ちなのだろう」
「うちの子は大丈夫だろうか」
「ドンクサイ子だなぁ」
このようにこの時に起こっていることは、300人がそれぞれ別々の思いをその胸に抱いているのです。
あなたが転んでくれたおかげで、その瞬間同時に、周りの人々へ得難い気づきを与えているのです。
だから見ていた300人はあなたのことを、心の中で胴上げしているのですよ。
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例えば、会社でのある日の大切なプレゼンであなたは頭が真っ白になり、その結果は燦燦たるものでした。
そのあなたの姿を1000人の仲間や取引先の人々が見ていました。
あなたは当然、これはもう取り返しがつかないと悲観的になるでしょう。
でもその結果は思いもよらぬものになるのです。
「あの大きなプレゼンでまさかの大ポカをした若者のいる会社、あの会社は何と言ったかな?」
「この間のプレゼンの”あの会社”どうしてもあの子のことが気にかかるんだ」
「今後はプレゼンのあり方の根本から考え直さねばならないと思う、そのことをこの間のプレゼンで学んだ」
「彼が退職願を出したって?なぜ?とんでもない、すぐに私のところにつれてきなさい、話があるんだ」
こうして後日、あなたの会社には何故か、次々大きな仕事が舞い込むことになるのです。
それは何故ですか?
あなたが失敗だと思っていることがその発端だったからです。
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例えば、工場などの単純作業。
その工場では半自動化されていて、誰にでもできるような単純作業しかない。
でもあなたはその作業においても繰り返し同じようなミスをしてしまう。
そうして自らを無能だと思い込み、憤る日々を送る。
でそんなあなたに学びを得たその工場は、次々画期的なアイデアで工場内が整備されてゆくのです。
そうしてますます、誰もが心地よく働ける現場となっていくのです。
それは何故ですか?
この工場の弱点をあなたがその身を挺して教えてくれたのですよね?
それなのに何故あなたはいつも自分だけがダメな人間だと卑下するのですか?
さいごに
何故このようなことが次々あなたの身に降り注ぐのですか?
それはあなたが、あなたこそがこの世界の引き金(トリガー)だからです。
それなのにあなたは、自らの発射した玉の行方を追い求めているのです。
そうではないのです、あなたはただ引き金を引くだけでいいんです。
玉がどう飛んで、その先でどうなるのかは、周りの人々のモノだからです。
あなたの行動の結果に関係があるのは、周りの人々だけなのです。
自分と無関係の事柄に執着するだけでなく、周りの人々からソレを奪わないでください。
何故あなたはいつもそのように強欲なのですか?
あなたの行動の結果に反応する人々の生きがいを奪わないでください。
だからどうか今後は、結果に固執せず、思うままに行動し続けてください。
その結果は必ず、世界が、周りの人々が受け止めてくれるのです。
行動したらあとはもう優雅にコーヒーでも飲んでいればそれで十分です。
如何ですか、これがこの世界に古来より機能している、縁(シンクロニシティ)と言われるものです。
それでも尚、目を瞑り、耳塞ぎ、口閉じてこれからも生きるのですか?
この世のすべてはあなたから始まるのです。
タイトルフォト
木村りんごさんよりお借りしています。
ありがとうございます。
著者プロフィール
私、ナスノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。
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