我がままとワガママ
私たちは人よりも突出した存在になることを遠慮しているというよりも恐れている。みんなを置き去りにして先に進むことに不安を感じている。
でもそれはみんなにこうなれるんだよ、という私たちの背中を見せる行為を遅らせていることになるのだ。
だから遠慮はいらない、なぜなら私たちの背中を追っている他の人たちの背中もまた他の誰かが見ているからだ。
そうやってお互いの姿に刺激を受けながらどこまでも自分自身を極めていくことが本来の人間としてのあるべき姿なのだ。
ワガママとは、自己中心的、自分勝手ということ。
我がままとは、自分らしさ、あるがままであるということです。
それさえ履き違えなければ、自分を見失うことはありません。
今日、あなたが跳んだ、わたしは笑った
私たちの生きるすべての瞬間に目の前に現れ続ける現実。
私たちはそれらの現実に翻弄されることも多い。
何故なら、もの凄い現実の前には、同じだけの抵抗感が自分の中から出てきて、これによって行動を制限され、人生の同じ場所で足踏みをし続けることを強いられるからです。
すでに願望を実現している人々は、その抵抗感の壁を乗り越えた人たちです。でも気づいてください、彼らの壁は誰でも乗り越えられる程度の壁だったということです。
つまり大成功しているように見える彼らのその壁はさほどでもない壁であったため乗り越えられたにすぎないのです。
であるならば、あなたの前の壁を乗り越えた後におとずれる、そのもの凄い現実がどれほどのものであるかを容易に想像できませんか?
だからこそ、そのことを知る人々は、あなたのその背中を優しく押そうとするのです。
私たちは壁の前でうずくまっているあなたを応援するのも好きです。
でも私たちはずーっと待っているのです、壁の向こうで輝くあなたの姿を見ることを。
あなたに乗り越えられない壁なんてないのです、それは本来壁ではなく、あなたが高く跳ぶためのジャンプ台にすぎないからです。
どうか高く跳んだその先の世界を体験してください。
そしてそんなあなたの背中を見て世界中の人々が気付くのです。
自分も目の前の壁を乗り越えられることに。
タイトルイラスト
cherabbyさんよりおかりしています。
ありがとうございます。
著者プロフィール
私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。