#2.何で学校で古典や漢文を勉強をするの?
こんにちは、よしポンです。大好評俺のトリビアシリーズ第二弾です。
突然ですが、私は高校受験や大学のセンター入試のために古典を勉強しました。あくまで受験のためにです。
たとえば、現代文、数学、生物、化学、物理、経済、地理、英語。私の人生でちゃんと役に立ちました。
大学で研究していたのもそうですし、国際会議で英会話もしました。一方で、古典や漢文は今のところ何にも役に立っていません。
なんで学ばなければならないのだろうか、今も胸のモヤモヤが取れません。そこで第二回はなぜ古典や漢文を勉強するのかについて私なりに調べました。
古典と漢文を学ぶ意味 (文部科学省HP)
調べ方は色々ありますが、はじめに文部科学省のHPを参照してみました。
高等学校の旧学習指導要領の第2章各教科、第1節の国語に詳しく記載されていたのでこちらを転載いたします。内容は今の学習指導要領と基本的に同じです。
最初に国語を学ぶ理由が述べられています。
第1 国語
1 目標
国語を的確に理解し適切に表現する能力を養うとともに、思考力を伸ばし心情を豊かにし、言語感覚を磨き、言語文化に対する関心を深め、国語を尊重してその向上を図る態度を育てる。
2 内容
A 表現
次の事項について指導する。
ア 目的や場に応じて話題や題材を選び、自分の考えをまとめること。
イ 主題や論旨が明確になるように構成を工夫して話したり書いたりすること。
ウ 対象を的確に表す語句を選び、文脈に即して用いること。
エ 事実と意見、説明と描写の区別などに注意し、筋道を立てて話したり書いたりすること。
オ 目的に応じて適切な形式や文体を工夫し、話や文章をよりよく整えること。
カ 優れた表現に接してその条件を考え、自分の表現に役立てること。
キ 目的や場に応じて効果的に話したり朗読したりすること。
B 理解
次の事項について指導する。
ア 話や文章の主題や要旨を叙述に即して的確にとらえること。
イ 話や文章の構成や展開に注意して、話し手や書き手の考えの進め方や強調点をとらえること。
ウ 話や文章の内容を必要に応じて要約したり詳述したりすること。
エ 文章に描かれた人物、情景、心情などを表現しに即して読み味わうこと。
オ 話を聞いたり文章を読んだりしてものの見方、感じ方、考え方を広くし、人間、社会、自然などについて考えを深めること。
カ 文章の内容や形態に応じた表現上の特色、文体の特徴などに注意して読むこと。
要するに国語教育は読解力を身につけて相手に伝えたり、感じ取って心を豊かにすることを目標にしています。
また、読み書きなど日本での生活に最低限必要なスキルを身につけることも加えて目標にしています。
続いて、現代文に関する項目です。
第4 現代文
1 目標
近代以降の優れた文章や作品を読解し鑑賞する能力を高めるとともに、ものの見方、感じ方、考え方を深め、進んで表現し読書することによって人生を豊かにする態度を育てる。
2 内容
次の事項について指導する。
ア 論理的な文章について、主要な論点と従属的な論点との関係を考え、論理の展開や要旨を的確にとらえること。
イ 文学的な文章について、主題、構成、叙述などを確かめ、人物、情景、心情などを的確にとらえること。
ウ 目的や内容に応じた様々な読み方を通して、文章の読解、鑑賞を深め、人間、社会、自然などについて自分の考えを深めたり発展させたりすること。
エ 文体、修辞などと内容との関係を考え、表現上の特色をとらえること。
オ 語句の意味、用法を的確に理解し、語彙を豊かにすること。
カ 文章や作品を読んで要約したり、感想をまとめたり、自分の考えを筋道を立てて話したり書いたりすること。
我々が使っているのはまさに現代文なので、学んで学校できちんと恩恵を受けているますね。こちらは私自身も納得がいく内容でした。
次はいよいよ古典に関する項目です。
第6 古典Ⅰ
1 目標
古典としての古文と漢文を読解し鑑賞する能力を養うとともに、ものの見方、感じ方、考え方を広くし、古典に親しむことによって人生を豊かにする態度を育てる。
2 内容
次の事項について指導する。
ア 古文や漢文に用いられている語句の意味、用法及び文の構造を理解すること。
イ 文章の構成や展開に即して、主題や要旨を的確にとらえること。
ウ 文章や作品に表れた人間、社会、自然などに対する思考や感情を理解し、ものの見方、感じ方、考え方などを豊かにすること。
エ 文章の表現上の特色を理解し、優れた表現を味わうこと。
オ 音読、朗読、暗唱などを通して古典の文章に親しみ、作品の読解、鑑賞を深めること。
カ 古典を読んで、日本文化の特質や日本文化と中国文化の関係について考えること。
というわけなんですが、書いてあることは現代文の互換です。一番気になるのは「日本文化と中国文化の関係について考える。」
国際情勢の観点からみると、現在、尖閣諸島や中国マネーの侵食、新型コロナ問題などで日中関係が悪化していますよね。
これだけではなぜ、中国文化をわざわざ学ぶ必要があるのか、正直納得がいきません。私は文科省のHPをさらに調べたところ、古典や漢文に関するQ&Aについてマシなものを見つけました。
(小・中学校)問2−2
伝統的な言語文化に関する指導を重視する趣旨等はどのようなものですか。
A答2−2
古文や漢文等の伝統的な言語文化は,創造と継承を繰り返しながら形成されてきました。新学習指導要領では,改正教育基本法において伝統や文化に関する教育が重視されたことを踏まえ、伝統的な言語文化をを小学校低学年から取り上げて親しむようにし,我が国の言語文化を継承し,新たな創造へとつないでいくことができるよう内容を構成しています。小学校では,例えば,低学年では昔話や神話・伝承など,中学年では易しい文語調の短歌や俳句,慣用句や故事成語,高学年では古文・漢文などを取り上げています。なお,伝統的な言語文化に関する指導については,第1学年から第6学年までの各学年において継続して指導し,古典に親しめるよう配慮することが必要です。また、中学校では,生徒が古典に一層親しめるようにするとともに,我が国に長く伝わる言語文化について関心を広げたり深めたりすることを重視して指導するようにします。そのために,例えば,第1学年では文語のきまりや訓読の仕方を知って音読すること,第2学年では古典に表れたものの見方や考え方に触れること,第3学年では歴史的背景などに注意して古典を読むことなどを取り上げています。教材については,生徒が古典の文章の内容を概括したり古典の文章に関する様々な事柄に触れたりすることができるよう,古典の原文だけでなく,分かりやすい現代語訳や古典の世界について解説した文章などを適切に取り上げることが必要です。
担当者の回答は「古典に親しんで関心を深める。」くらいしか納得する理由がありませんね。
言語文化の継承とありますが、であれば、現行している言語文化を大事にすれば良いだけの話が気がします。慣用句や故事成語の由来はググればすぐに分かりますし。
古典と漢文を学ぶ意味 (ネット記事)
ここまで文科省のHPを見てきましたが、日本国の歴史に慣れ親しむ点については納得できましたが、それ以外は全然でした。
では本当に不要なのか。さらに調べてみたところ、漢文の必要性に関する記事を見つけたので紹介します。
この記事を書き始めたきっかけはこんなツイートからでした。
2,758いいねがついていると言うことは誰しもが共感している事情と考えられます。もちろん私もその共感者の一人です。
そこで筆者である安田さんは
「現代日本の日常生活およびビジネスシーンで有用」
「効率性の向上やカネ稼ぎにつながる」
という実利的視点のみから、漢文や中国古典の基礎的な知識を持つことのメリットを論じています。
(1) SNSの投稿やショートメッセージがスマートになる
日本語の性質として、同様の内容の情報を他者に伝達しようとする際は、適度に漢字語を用いたほうがより少ない文字数で表現することが可能であると述べています。
そこで用いる漢字語は、基本的に漢文法にもとづいて構成された漢語なんです。
たとえば、「成功」は「功を成す」、「普通」は「普(あまね)く通ずる」、「喫茶店」は「茶を喫する店」……と、漢語の語彙の多くはいわゆる漢文訓読の書き下し文にできます。
漢文や漢文法の知識を持っている人ほど、日本語の接続詞を自在に使ったり、さまざまな概念を漢語の語彙に置き換えたりしやすくなります。
現代社会のどこでこの技術が役に立つのかというと、身近な例を挙げれば、文字数制限のあるTwitterや、ショートメッセージ(SMS)などの文章を書くときです。
SMSは最近滅多に使いませんが、Twitterは頻繁に使うので短い文章を構成するには便利なんですね。
(2)情報伝達コストを下げられる
漢字は表意文字(表語文字)なので、ひらがなやカタカナよりも視認性が高く、単語が指す概念が感覚的に伝わりやすいそうです。
場合によっては、その単語を知らない相手にも、ある程度まで概念を伝え得ることも可能になります。
たとえば「差遣」や「懇請」という言葉をはじめて見た人でも、なんとなく「人を使いさせる」「よくお願いする」といった大まかな意味の想像はつきますよね。
一般的に聞き慣れない抽象的な概念を表現する際は特に、カタカナ言葉よりも漢字語のほうが意味を伝えやすいそうです。
「このワークショップへのサポート・プロジェクトはサスティナブルな社会をクリエイトする上でワイズ・スペンディングです」
と言うよりも
「この体験講座への支援事業は持続可能性のある社会を創出する上で賢明な支出です」
と言ったほうがずっとわかりやすいですよね。
(3)法的リスクへの対応力を強化できる
裁判所で飛び交う文書や法律の条文は、独特の漢語語彙と、やや特殊な漢文訓読調や古文調を感じさせる文章の洪水です。
法廷の文書を読めず、また書けなければ、人生を左右する問題が目の前で進行しているのに自身はその議論から排除されるハメになります。
一定の漢文の知識を含めた国語力は、望まぬ火の粉が降りかかったときに法的に自分を守れる武器と鎧になるのです。
(4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する
海外の偉い人との雑談で間をもたせて、それなりに人格的に信用してもらうために、いちばん安価で便利に使える道具が「教養」です。
この教養はそこまでハイレベルな必要はなく、高校で習う程度の世界史・日本史や古文・漢文の知識をちゃんと説明できれば、「日本人がそれを喋っている」という異文化ギャップも働いて、そこそこ面白がってもらえるそうです。
漢文を学ぶことは短い文章で相手に伝言するだけでなく、海外の偉い人と話すのにも役に立つのですね。ざっとみてきましたが、実利の点からみれば納得のいく見解です。
これからというか、既にグローバル化は進んでいるわけですから、日本の文化を中心とした教養を話せないとすると、恥ずかしいですね。
その他の答え
他にも古典と漢文に関する記事を見つけたのでこちらに添付いたします。
最後に
私は古典と漢文を学ぶ意義とは
少なくとも生まれ故郷の文化について最低限の教養として学んでおくべき
と結論づけをしました。
特に言語文化というのは話の種にもなりますから、海外で活躍したい方は、古典と漢文は学ぶべきです。
古典や漢文に限らず自分にとって興味のないもの、つまらないものに取り組むのは苦痛ですよね。ここで大事になってくるのは、
与えられたものに対して価値を見出せるかどうかです。
ですから、古典と漢文を邪険にせずに好奇心を持って取り組めれば、創造力を持った人間になるのでしょう。時間があれば古典文学や漢文に再び触れていこうと思いました!
以上で終わります!次回をお楽しみに!