四国・中国旅【アップデートに気づく】
今回の旅、最終日前夜。
尾道から広島に移動し、Perfumeの地元凱旋ライブを観て(色々と思考が回ったので、反芻してからことばにする)、その帰り道にお好み焼きを食べた。
繁華街にあるお好み焼き屋で、老舗感と雑多感と清廉さを併せ持った素敵なお店だった。
新宿の歌舞伎町にも似た街の風景なのだが、どこか“擦れていない”、嫌な臭いがしない街で、だからこそ“汚い清廉さ”を持ったお好み焼き屋が成立している気がする。
東京でそういう空間を見つけるのはまあまあ難しい。
さくっとお好み焼き食べて、くっと一杯を許してくれるような敷居の低さ。
広島のひとが羨ましくなった。
しかし広島に着いて、牡蠣を食べることができていなかった。
牡蠣はシンプルに好物だし、普通に食べたいという気持ちはあるけど、東京だとそれこそ敷居の高さを感じてしまって、わざわざオイスターバーをチョイスする機会が少ない。
広島までわざわざ来ているのだから、やはり牡蠣は食べたい。
そう思って調べ続けていたのだけど、なかなかピンとくるお店が見つからない。
そんな状態で最終日の朝を迎えてしまった。
ぼくの脳内には
【朝ごはん→牡蠣、昼ごはん→汁なし坦々麺】
という構図が組み上げられていて、朝から牡蠣欲に支配されていた。
すると宿泊先の近くに24時間空いている居酒屋を見つける。
地の物がたくさん置いてあるお店で、生牡蠣も置いてあった。
「朝ごはんに牡蠣、食べられる!」
そう思って、一緒に旅をしている友人に提案したのだが、どうもピンと来ていないらしい。身体の動きが鈍い。
うん、実はぼくもその鈍さにちょっと同感していた。
牡蠣を食べたい気持ちに支配されているせいで、お店へのトキメキを度外視してしまっていたのだ。
24時間営業の居酒屋、そこの生牡蠣。響き的にちょっと怖い。
その鈍さに身を任せているうちに時間が刻々と過ぎていく。
刻々と過ぎたおかげで、逆に提案できる店が増えてくる。
「宮島で美味しい牡蠣、食べに行きますか」
「いいね」
宿泊先から80分くらいかかる厳島神社で有名な宮島を提案してしまった。
脳裏にはずっとあったけど、少し遠いし、そこまでの労力をかける物でもないしなどなど、うだうだ考えていたのだ。
ということで広島に来てからようやく観光地らしい観光地に赴くことになった。
世界文化遺産『厳島神社』
18歳のとき、友人と訪れたことがあったのだけど、その時には感じられなかった“澄んだ空気”と“静けさという魅力”にすっかり魅了されてしまった。
ここまでミーハー感が嫌で【陽系観光地】にわざわざ行くということは避けてきたけど、世界文化遺産という冠は伊達ではなかった。
でも旅を経るごとに思う。
自分自身の感性もアップデートされていて、素敵に思うこと・ものが着実に増えている。
そして旅に出れば出るほど、その感性は磨かれていく。
友人と
「今度は厳島神社にじっくり腰を据えて、旅をしよう」
そんな約束もしてしまった。
もっと世界を見たい。世界には新しい感動が必ず待っている。
もっともっと、旅に磨き磨かれよう。
(ちゃんと美味しい牡蠣もいただきました)