気持ちをことばで表現すること
先日の小学部親の会(フリースクール「小学部」の保護者会)でのことです。一人ずつ、最近の子どもや自分の話をしていると、あるお母さんが我が子とのことで困ったエピソードを話してくれました。1年生になる我が子と仲が良い2年生の子がいて、その子のお母さんに最近仲良くしているのか、どんな遊びをしているのかを尋ねたところ、前日にちょっと嫌なことをされたみたいで、今日は2年生の子が1年生の子を避けているということを言われました。全く事情を知らなかったお母さんは、夜に我が子にどんなことがあったのか、どう思っているのか聞いてみました。すると、あまり話してくれず、最後は目を逸らしながら「分からない」と答えたそうです。
この話を聞いていた他のお父さんがこう言いました。「まだ小学1年生なんだし、低学年のうちはまだまだ自分の気持ちを言葉で表現するのは難しいよ」他の保護者のみなさんも、そうそうと頷いていました。ほんと、その通りです。自分の気持ちをそのまま言葉で表現するのは難しい。ただでさえ難しいのに、過去にあったことを思い出して、さらにそれを表現するとなるともっと難しいことでしょう。目を逸らしながら「分からない」と答えるのも、ごくごく当然のことなのかもしれません。
では、私たちはどうやって、気持ちを言葉で表現するようになるのでしょう。それはこんな体験の積み重ねであると私たちは考えています。例えば、泣いている子がいたら、「悲しいねえ」とか「いやだったね」とか、そばにいる大人がそういう言葉をかけます。自分の気持ちを表現する言葉を代わりに言ってもらえることで、子どもは「ああ、この気持ちはこういう言葉で表現するんだな」ということを体験的に学んでいきます。その積み重ねによって、今、この瞬間の自分自身の気持ちを表現できるようになっていきます。
しかし、先日、よみたん自然学校の庭で遊んでいた観光客の親子は様子が違っていました。おそらく3歳ぐらいと思われる男の子が、ガジュマルの木の根っこで転び、今にも泣きそうになっていると、お父さんはすかさず声をかけました。「泣くな!男だろ!」性差の問題は置いておくとして、この声かけ、わりと良くあります。たぶん、赤ちゃんの頃はそんな声かけはしていなかっただろうと思います。泣いている赤ん坊にはきっと「おー、よしよし、悲しいね。お腹すいたかな。眠たいかな」というような声かけをすると思うのです。いったい、いつ頃から、子どもは自分の気持ちを受け止めてもらえず、否定されるようになるのでしょう。
ちょうど新聞でもこんな投稿がありました。2歳の男の子が時々、他の子におもちゃを取られて悲しそうにしているそうです。親としてどう声をかければいいのか、「怒っていいんだよ」って言うのも角が立つんじゃないか、と考え、なかなか答えが出なかったそうです。その人は、自分の子どもの頃の別の体験で、大人からどう思ったかを聞いてもらえず、怒っている自分の感情に気づけなかったことを思い出し、そのことを我が子に重ね合わせ、子どもに教えることよりも感情探しを手伝うことをすればいいのだろうと思った、と書いていました。
私たちだったら、きっと、その2歳の男の子に「悲しいね」と声をかけるでしょう。悲しそうにしているのですから。相手に自分の主張を伝えるよりももっと前に、自分の気持ちを見つめ、知って、言葉にして欲しいと思うので、まずは大人が子どもの気持ちを代弁するのです。そこで忘れてはいけないことは、共感的に関わるということです。「今の気持ちは『悲しい』って表現するんだよ」というように上から目線で解説されたり、「悲しいなら『悲しい』って言えよ」と強圧的に言われたり、「怒っていいんだよ」と次の対応策の話をされたりしても、「ああ、この気持ちはこういう言葉で表現するんだな」ということを体験的に学ぶことはできません。共感的に関わってもらえることで、心地よさを感じ、心地よさの中で言われる言葉だから覚えていくのです。
最近、大人でもこういう体験を積み重ねてきてないんだろうな、と思う人が増えてきているように思います。私自身を含め、私たちの活動に関わるボランティアの学生やスタッフ、そして保護者のみなさんを見ているとそう感じます。おそらく、いかに正確に、論理的に、効率よく物事を進めるかということを、学校教育を通して教え込まれ、身につけてきたからだろうと思います。それがダメというわけではありません。そればかりでは、とても窮屈な社会になってしまいます。
自分の気持ちを見つめ、そのままの気持ちを言葉で表現すること、していますか?難しいという人は、表現しようと努める前に、共感的に関わって気持ちを言葉で代弁してくれる大人を探してみませんか?あるいは、自分から周りの人にそうしてみませんか?きっと、共感的に気持ちを受け止め合う輪が広がることでしょう。そして、素直に気持ちを表現する人の輪が広がることでしょう。