今日という日をおかわりしたい
私のなかに息づく愛すべき日々。
ちゃんとしなきゃからの解放
恋人と飲んだあと、寄り道をしてたまにラーメンと餃子を食べてから帰る。食べすぎ飲み過ぎということはさておき、深夜から朝までが営業時間のこのラーメン屋さんは、大体の人がひと通りお酒を飲んだ後に来るからとにかくお客様の8割以上が酔っ払っている。
頭を抱えていたり考える人の体勢になっている人もいるし、まだまだ元気にワイワイガヤガヤしている人たちもいる。
治安が悪いのだけが嫌とかそういうこと言いたいわけではなく、むしろ私はその雰囲気がとても好き。みんな頓珍漢でなかなかにカオスな状態の店内は愉快でとてもいい。ちゃんとしなきゃという強張った気持ちから解放される。良い感じにまわったアルコールと相まってとても気が緩む。
そんなことを思いながらまずはじめにいただく瓶ビールと餃子。これがたまらない。あがりビールをやめようと思いつつやってしまう。私のなかではスイーツと同じように餃子は別腹。いつでも食べたい。
恋人となら互いを知り尽くしているから何軒目だって餃子はひとり一皿。それがもう私たちの当たり前になっている。
ラーメンは味噌辛子か、淡麗系の醤油味。周囲からもズルズルとすする音が聞こえてきて、そのあと「あーうんまー」「さいっこう」「おいしいなあ」などという声が追いかけてくる。わかるわかると頷きたくなる。賑やかな酔っ払いもラーメンを食べていると静かだ。
お酒を飲んだあとの〆ってどうしてこんなに特別感があるのだろう。
「本日も満足なり」「右に同じ」と言い合って彼とおうちへ向かってまた歩き出す。帰る場所が同じだってことをいまだにすごく嬉しく思う。飲んだ日は余計に色濃く。
どう考えても最高のデート
近所のカツ屋さんのランチ限定弁当御膳がほんとうに好きすぎる。カツ屋さんといえど副菜もすべておいしい。角煮なんかほんとうにとろとろで味の濃さも抜群。
はじめて彼とランチに行って感激してから何度もリピートしている。今日は違うメニューを頼もうと意気込んで行くものの毎回このお弁当を注文してしまう。一度ハマるとそればかり食べるのが私なので仕方がない。
運ばれてくるまですり鉢でごまをすってソースと混ぜ合わせて待つ。この時間にワクワク感は最高潮へ。
なんと言ってもエビフライやヒレカツは至極の逸品。サクッと良い音を立てる衣は不思議と軽くて揚げ物特有のくどさがまるでない。
わたくし実は、油にあまり耐性がない体で揚げ物は大体ほんとうにおいしいお店でしか食べないのだけどここのカツはほんとうに絶品。ヒレカツなんかは衣と肉の旨みの相乗効果で全身が喜んでいる。エビフライはプリっとしていて食感の楽しさも良い。
そしてなんと、ご飯とキャベツがおかわり自由。はじめてきたときは何かの間違いかと思い耳を疑った。
ご飯の粒もひとつひとつしっかりしていて硬さもストライク。もうどこにも文句のつけどころがない。
「ひとくち食べた瞬間このために生きてるって思わせてくれる飲食物に感謝」と私が言うと、彼が「そういう食べ物とか飲み物って安心感もあるのになぜか毎回沁みるよねえ」と笑って、カツをおいしそうに食べた。
そうだね、仕事終わりのビールとかね。
きっとその日その時々で気持ちが違うから、同じものを食べて飲んでいても感じ方も違ったり毎回感動できたりするんだろう。
なんだかね、生きているって感じがするね。カツ屋さんを出たら「今日の夜はワインにしよう」と彼が言った。「赤」と言う2人の声が重なり、それと同時に彼が私の手を取った。
帰り道、私たちはもう次の食事の話しをしている。
テキトーでも大体うまくいく
私は基本的にレシピというものを再現して料理を作れない。食べものが好きだからレシピ本やレシピサイトを見ていることはとても好きだけれど、大体は「へえ♪おいしそう♪」で終わる。
そのおいしそうを忠実に再現すれば良いものをレシピ通りには作らず、あくまで食材の組み合わせや味付けのバランスだけを参考にする。
参考ではなく再現をしなよといつも思う。
けれど大体うまくいく。
お菓子やパンよりも料理はテキトーが効くからほんとうに冒険したくなる。すぐ「これ合わせたらおいしいんじゃ?」「味覚頼りであのお店の味やってみよ」とか突拍子もないことをはじめる。
それに途中で予定変更してやっぱりアレにしよ。とメニューを変えたりもする。非常に自由で楽しい。パンもたまにメニュー変更あるけれど。
テキトーに作ることが多いから同じ味を完全再現できることが少ないのが難点ではあるけれど、ほんとうにおいしくできたっていうものや、彼に特別絶賛されたものはちゃんとまたリピートできるようにレシピ帳に書き留めてある。
レシピ帳のレシピをいつかnoteに公開できたらいいなと思いつつレシピ需要…と踏み止まったりもする。
とにかく料理は楽しいし飽きないと言いたかった。
自炊はやっぱり簡単でおいしいが無敵だと思うしそこに節約要素も加われば完璧だとは思う。私もいつも楽しているし。
けれどたまあに、余裕のないときこそ時間をかけてこだわって料理をすると逆に心に余裕が生まれたりする。料理をすることで凝り固まっていた気持ちがふわっと軽くなるときがある。
台所には不思議なおまじないや魔法があるのだろうか。昔からの台所に居るとほっとする。おいしいものをおいしいと感じたり美しいものを美しいと言えることが私のなかでは人生の完成形かもしれないな。それが全部とは言わないけどすっごく太い軸。そんな感じ。
「諦めるな」と言われて悔しい
最近詠んだ短歌たち。
向かい風ばかりで追い風はいつ吹くのという日々が続いて歩みを止めて休んでみても、結局風の中を全力疾走したくなったりする。でもまた疲れたからやーめたって寝転がりたくもなる。私は案外騒がしい生き方をしているのかもしれない。
根拠はないけど大丈夫いいことあるよって本気で思ってるよ。みんなにも私にも。
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