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【対談記録&考察②後編】マクロビオティック+YOKU STUDIO 〜「人生を楽しむ」という目標のために〜


こんにちは!YOKU STUDIOの中の人です。

今回の「欲、生きる」ゼミ限定マガジン記事のテーマは、食とスピリチュアルの関係です!



すでにダイジェスト動画で好評配信中の、マクロビオティックの第一人者であり、その創始者である桜沢如一資料室の室長も務められている高桑智雄さんと、YOKU STUDIO代表・翔哉による対談コンテンツ🌱

今回は、その本編の文字起こし+考察の後編をお届けします!


前編はこちら→



高桑さんのnoteアカウント、および桜沢如一資料室の情報はこちら→



「悟り」陰陽」、そして「分離」と「統合」といったテーマについて語り合うなかで見えてきたのは、マクロビオティック(桜沢思想)と現代スピリチュアルが共に抱える問題意識とジレンマでした…

白熱した議論を、ぜひご覧ください✨



・「悟り」のその先へ




司会:

ありがとうございます。ということは、翔哉さんが考える「悟り」は、色々なことを手放したフラットな状態であって、YOKU STUDIOが注目しているのは、そこから先の、「欲」の可能性だということですよね。


翔哉:

それをセットで考えないと、という感じですね。漸近線的に「悟り」に近くなるんだけど、悟りきれないんですよ、たぶん。肉体を持っているから。
だからある程度7-8割まで近づいていったら、あとは「欲」の方に舵を切った方がいいという印象ですね。


高桑:

いま翔哉さんの「悟り」観を聞いて、非常に桜沢思想に近いなという印象があったんですけれども。

「悟り」にも陰陽があると思うんですよ。仏教とか、われわれがイメージする「悟り」っていうのは非常に、静寂とか、静けさとか、波の無さとか、「無」ということなんですよね。
「無」と一体化して、一片のよどみもないみたいな、そういったイメージがどうしてもあるんだけれども。

桜沢は、「無」とは、もっと動的なものと捉えたんですね。いわば、陽性に捉えている。「無」っていうのは、"expansion"であり、無限の広がりを持っている。無限のなかに生きるっていうことは、ある種の、無限の可能性の中に生きるってことなんですよね。

桜沢の宇宙論っていうのは、その無限の拡散のなかで、そこからスパイラルが生まれて、そのスパイラルが求心的に中心の方に向かって、そこで現実を創造していくわけです。
ですから、無限の世界から色んなものを創造する遊びができる。

そういうところで言えば、翔哉さんが言ったように、静かに座って、森の静寂のなかで生きているというよりかは、その無限の可能性のなかで様々な、自分の好きな創造をしていこうという、この有限の世界をある種遊ぶっていうことになるんですよね。

ここが後で、陰陽の統合っていう話にも関わってくると思うんですけども。
陰陽が分離するっていうことを、ある種の悪というか、良くないものみたいに捉えがちですよね。それを統合して戻そう、といったように。

けれど本当は、無限の可能性の中から、自然発生的に陰陽って生まれてくるわけです。そこから物質的なものを創造して、それがまた無限に戻っていくという過程です。

その大きなそのうねりの中でサーフィンをしながら、自分の好きなことをして生きる。それが桜沢の生き方だったんですね。私もそれがすごく腑に落ちています。そこが、桜沢が宗教家にならなかった理由だと思うんです。

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