ソーシャルワーカーと出会う、思いを知る/ヨコヨコインターン夏①
ヨコヨコインターンとは?
ヨコヨコ Lab.が主催・企画を担当を行う、法人の垣根を越えて大津市内の障害福祉事業所を覗き見できる5日間のスペシャルなインターンです。
今回、6人の学生さん達に参加して頂きました。
インターン一日目は、実習先の事業所で働く6人のソーシャルワーカーの方のお話を聞く場&交流の場を設けました。
1.仕事もお母さんも全力で楽しむ/中野恵さん
「これはセーラームーンが大好きな子がいて、じゃあなってみよう!ってみんなで変身した時の写真です。」と職場の放課後等デイサービスの日常の一コマを笑顔で紹介してくれた中野さん。
「遊びを通して支援する」「楽しいと思える日々を」という事業所のコンセプトに深く共感し、子どもとの「遊び」の中で自分自身も楽しんでいる。
幼稚園、保育園や児童館など様々な環境で子どもたちと関わる仕事に従事してきた。しかし結婚、出産と、ライフステージの変化に伴い、土日休みの仕事に転職。そんな時に以前の職場の先輩に「放課後等デイサービスで一緒に働いてくれないか?」と声をかけられた。
障害児支援の支援に対して自信がなく一度は断るも、「どうしても」と言われ見学にだけ行ってみることにした。現場を体験した感想は「ここ楽しいやん!」平日は職場でもある放課後等デイサービスで子どもたちの支援に携わり、土日は我が子と過ごす日々を送る。「土日は家族との時間を大切にしたいのですが、それでもいいのでしょうか?」という思いも快諾してくれた。どちらも大切したい自分を理解してくれる職場だからこそ、また子どもと関わる職場で働き始める決意ができた。
2.「生きごこちの良いまちづくり」という感覚で福祉と関わる/生山裕人さん
「失敗やチャンレンジをしない方が怖い」と話す生山さん。
学校の先生か芸人を目指す大学時代に芸人のオーディションにも挑戦「やりたいこと全部やろう!」と大好きな野球を志しプロの選手として4年間プレー、その後ウエディングプランナーや祖父から引き継いだ不動産会社の仕事や球団でのコーチ、スポーツで社会貢献できる事業…と多種多様な仕事に従事。うまくいかず落ち込んだこともあるが、その経験もあるからこそ今があり、自分の強みとなっていると話す。
2015年、ダウン症である姪っ子との出会いがあった。姪っ子の成長に伴い、母親である生山さんの妹さんから「放課後等デイサービスを開設したい」と相談があった。もともと子供が好きだったこともあり「やろう!」と事業所の開設を決意。「色々な分野の職種を経験してきたからこそ、仕事に対して『当たり前を疑う』という気持ちが自分にはある。当たり前とは逆の立場にある、障害のある子どもたちと関わることで見える事があった。」
事業を運営する上で意識していることは、福祉だけに留まらず「福祉×○○」という風に、福祉を他の業界を融合させること。福祉の仕事は地域と分断されやすい構造にある、と生山さんは指摘する。だからこそ、地域の人に子どもたちの存在を知ってもらうことや多様な分野とつながることが大事だと思っている。それと同時に、今後は子どもたちが大人になった時に働ける場所を作れないか考えている。
「それは暮らしやすい街づくりをしている感覚のようでもある。そんな今が人生で一番楽しい。」
3.ハッピーは十人十色/原田義典さん
学生時代は人と関わることが大嫌いな性格だった、と穏やかな表情でニコニコと話す原田さん。大学は建築学科に専攻し卒業後はハウスメーカーに就職、家作りは楽しい、しかしノルマのプレッシャーに日々しんどさを感じ、悩んでいた時に、その当時の彼女(その後、結婚)に誘われた呑み会で現職場の上司と出会う。仕事の悩みを打ち明けると、「じゃあうちでバイトしてみたら?」と誘われ、福祉の世界に飛び込む。そして現在は生活介護とGHの支援員として勤務している。事業所の美術展の設営、園芸活動の準備、DIY…仕事を通して得意な物作りを職場でも活かしている。
「自分が好きな事に利用者さんを付き合わせてしまっている時も、もしかしたらあるのかもしれません(笑)」と話す一方で、福祉の仕事の面白さについてこう話す。
「会社に勤務している時は、会社が必要としている人間像を求められた、しかし福祉の現場では個人の個性は殺さなくてもいい、職員も利用者も色々。それが大きな違いだと思う。楽しいことやうれしいことも人によって違う、ハッピーも十人十色。福祉の仕事は小さなハッピーを作るイメージ。」
4.人との出会いで、今ここにいる/岡本晃一さん
「ビール大好きおじさんです!」と陽気な自己紹介から始まった岡本さん。社会福祉の専門学校を卒業した後、一年間フラフラ(ボランティアでキャンプ場の運営を手伝いつつ)する日々を送る。
福祉の勉強はしたものの、当時は【介護=高齢介護】のイメージが強く、それと同時に、岡本さん自身も福祉の何の仕事をしたらいいのか、他にどのような仕事があるのか全然分からなかった。その様子を見かねた祖母から「わたしの通っているデイサービスの事務局に言っておくから!」と連絡が入り「え?!」と思っていたら、病院の相談員として就職が決まり、高知県へ。入院している高齢者の方の退院に携わる相談業務を担当していたが、その中で認知症ではなく精神障害を持った方と出会った。結婚を機に滋賀に戻り仕事探しをした時に、その人のことを思い出し、精神障害のある方の相談員に従事した。
そんな岡本さんは大のお酒好き。行きつけの呑み屋で、偶然仲良くなった人に声をかけられ、就労継続支援B型施設に転職。その後も、中高の同級生の施設の立ち上げを手伝ったりと、人と人との縁から生まれたつながりで新しい職場に出会い、今に至る。
「一般の業界は競争があるが、福祉は横のつながりを大事にする部分がある。情報交換したり、ワイワイとした雰囲気。営利が関係ない職種だからこそできる事だと思う。」
5.どんな人がいても社会やん、なら私もいてもいい/有田智子さん
有田さんは小学校の時に学校にいけない時期があった。いじめられていたわけでもない、自分でも理由がその当時は分からなかった。しかし、その事がずっと心に残ったままでいた。高校の時に「学校に行けへん子」と仲良くなり、その子と話しているときに、一人で抱えていたものを共有できる人と出会えた!と思った。
けれども、日常の中で何度も、突然不安が押し寄せることがあり、ごはんが食べれなくなったり、自分でもどうすればいいのか分からない事があった。他の子は「普通」に過ごせるのに、どうして自分はそうではないのだろう?それはどういう状態なんだろう?そのヒントを知りたくて、大学は発達福祉科を選んだ。転機になったのは大学四回生の授業で観た、児童養護施設を紹介する映像。印象に残ったのは虐待をしていた母と面会していた子供が母のカバンをさっと取るシーン。「この子は何がしたいんやろ?自分の気持ちを言えへんのかな?言いたくないんかな?いや本当は言いたいんかな?」よく分からない感情を持った子供を支援する仕事って何なんやろう?そういった理由で、児童養護施設の仕事に興味を持った。
「児童養護施設では12年間働きました。色々なことが起きましたが、働いている職員はみんな良い意味であっけらかんとしている(笑)問題を起こした子どもを責めるのではなく、起きた行動に対して、それは何からきているのか考えてみたり、それを防ぐためには生活リズムを整えたり、部屋の環境を変えたり、ハード面を改善してみようかと専門職を交えて考えたり。担当職員一人の責任にするのではなく、チームで支援するという感じでした。」と話す。
その後は同法人内で異動し、母子支援を経験、現在は就労継続支援B型施設で支援員として従事している。仕事をしている時にいつも思い出すのは上司の「どんな人がいても社会やん。」という言葉。色んな人がいて当たり前、それが社会。その言葉を聞いて「自分もいてもいいんだな」と思えた。
「今思い返すと、子供の時の自分は優等生でも、不良でもない、だけど普通でもない、どこにもあてはまらなくて、自分の居場所が分からなかった。でもそんな人たちが、社会のグラデーションを作っている。私もそうだったからこそ、同じ思いを抱えてる人と出会いたいと思うんです。」
6.可能性に満ちた子供たちとの出会いが原動力に/夜西小百合さん
「結婚式は搭乗の時はゴンドラに乗って上から登場しましたね~お色直しは四回!」バブリーな結婚式のエピソードを紹介してくれつつ(学生さんも驚愕!)、障害福祉の仕事に辿り着くまでの道のりをお話しして下さった夜西さん。
高校卒業後、看護専門学校に進学し看護師を志す。結婚後、夫婦ともに(夫は消防士)夜勤の日は義母に協力してもらいながら、3人の子どもたちを育てた。人生の転機になったのは、養護学校に在籍していた長女の参加するホッケー大会での子どもたちとの出会い。そのパワーにただ圧倒された。
それと同時に、可能性を秘めた子どもたちが働く場が無いという現実の厳しさショックを受けた。障害のある人の働く場に関わる仕事がしたい!その強い思いから、40代後半からの人生を障害福祉に捧げようと転職を決意し、看護師の仕事を退職。現在は就労継続支援B型事業所の管理者として福祉の現場に関わる。
「働く場所として充実させ、利用者さんがステップアップを目指せるよう支援することが主な仕事です。こちらが寄り添っていけば、時間がかかっても必ず関係性は作れると信じて、楽しんで働いています。」
心掛けているのは、自分が常に元気で明るく、笑顔でいること。人に元気を与えたいという気持ちを抱きながら、同時に利用者さんにも元気をもらうことが多い。