〈紀行〉再会の旅路
「千マイルブルース」収録作品
故郷からともに社会に出た後輩。
ふたりでずっとハーレーに憧れていたが、俺の心は変わっていった。
いったい俺はなにを捨て、なにを得たのだろう……。
原稿用紙で33枚ほど。
※サービス画像あり。
〈紀行〉再会の旅路
1
外は雨。
最高だ。昔から、考え事はすべて雨の日にしていた。
単車の選びも、ケジメのつけ方も、女と別れるかどうかの思案も。判断がつかないと、窓ガラスを伝い落ちるしずくの行方で答えを決めた。
もっと前は、雪の日だった。
というより、降雪でどこにも出られなかったからだが。
俺は、福島県の須賀川という地で生まれ育った。ここ横須賀と違い、降る雨までも辛気臭い田舎の街だ。
中学でグレ始め、高校の時には、いっぱしのワルになっていたらしい。
「らしい」と他人事のように書くのは、本人に自覚がないからだ。なにせ、行動範囲のすべてに同じような奴がいた。入った高校は、県下一の不良名門校。そして生まれ育ったのは色里だった。
幼い頃からケンカや小指のない大人たちを見て育ち、小学生の頃にはすでに「絡まれグセ」があった。なので、モメ事をいつも背負い、それが日常だった。しかし明るい、きちんとした不良だったと思う。
バイクには、中学の頃から乗っていた。
17の歳にCB250セニアを手に入れ、昼も夜もワルだちと遊びまわっていた。
そのセニアは、なぜか仲間内で「ウシバイク」と呼ばれていた。ヤバくなって逃げる際に農道をよく使っていたせいもあるが、350に載せ換えられたそのエンジンのトルクと、その存在感ゆえのあだ名だったと思う。
そして、そのウシバイクを乗りまわす不良のアンチャンを、「ヤマダクン、ヤマダクン」と慕う奴がいた。後ろに乗せてくれといつもせがむ、三コ下の後輩。名前は義徳。俺は「ギトク」と呼んでいた。
ギトクは、よく俺のウチに遊びに来た。来ると俺たちは、いつもバイク雑誌を広げた。その頃は、ホンダから出た六気筒のCBXや、ヤマハのRZ250が特集記事で載っていた。もちろんそれらにも興味はあったが、俺たちが夢中になって目を向けていたのは、もっと後ろにある、広告のページだった。
ハーレーダビッドソン。
特に俺は、出て間もない、FXS・ローライダーの写真を飽きることなく眺めていた。
こいつとならどこにでも行ける。「ここではないどこか」に必ず運んでくれる。幼い思い込みだが、国産車にはないそのスタイルと存在感には、そう思わせるなにかがあった。閉鎖的な街に飽き飽きとしていた俺たちにとり、ハーレーはまさに自由と自立の象徴に思えたのだ。
いつかハーレーを手に入れよう。そして、ふたりで走ろう。
成長すればすべてが可能になると信じていた青臭い俺たちは、夢の裾野を夜が更けるまで広げていたものだった。
2
これが、ハーレーか。
FXDL、ダイナローライダー。最新モデルだ。
アパートの庭でそぼ濡れるそのバイクは、思っていたより小さい。
俺は高校を、ギトクは中学を、同時期に卒業した。
ギトクは中学校に来ていた案内で、俺は親戚の勧めで就職先を決めていた。なのでギトクと俺は、須賀川から右と左に別れるはずだった。しかしふたりが決めた就職地は、偶然にも同じ街、横須賀だったのだ。
ギトクはトヨタ系関連会社に、俺は京浜沿線を走る電鉄会社に入社した。職工ではあるが、どちらもサラリーマンになったのである。そしてどちらも社員寮での寮暮しとなった。
横須賀でまた一緒というこの偶然には最初こそ喜んだが、でも、会おうとはしなかった。互いに独立意識が強かったし、なにより、自立するために家を出たのだ。同郷というだけで会い、不安や不満を言い合うような付き合いはしたくない。孤立無援は覚悟の上だったし、望んでいたものでもあったのだ。
なので、互いが互いの社員寮を行き来するようになったのは、横須賀に来て数年が経ってからだった。俺は、カワサキの400を手に入れていた。
やはりバイクはトータルバランスだ、日本車こそ最高。またもやバイク雑誌をふたりで開き、俺は語る。しかし、ギトクは田舎にいる頃と変わらない。
「でも、ハーレーがいいよ……」
「そうかあ?」
俺のハーレーへの興味は、いつの間にか失せていた。というより、気づいたのだ。
見まわせば、もっと安くて高性能な国産車がいくらでもあるのだ。たしかにハーレーは、個性的で存在感がある。しかしただそれだけの、大きくて重い、遅くて壊れる、不器用なバイクなのだ。こんなものには乗る気がしない。
ここまで評価が変わったのは、現実を知ったからだった。ハーレーのではない。世の中の、だ。
田舎の不良のアンチャンは、世の中に出ていろいろなことを知った。まず、社会で生きてゆくには「器用さ」が求められるということ。バランス感覚と言ってもいい。さらにサラリーマンというムラ社会では、「没個性」も要求された。
そう感じたのは、それだけ俺が不器用で個性的だったからなのだろう。
とにかくそれらが理解できず、ノイローゼになるほど悩んだ。正論を吐き、独自に思考する奴は個性的ととらえられ、ムラから弾かれる。ひどい場合は消えてゆく。二十年近く前のその当時は、年功序列や終身雇用制が当たり前の社会だったのである。現代のように、生き残りのために社員の個性や感性を尊重する時代ではなかったのだ。
そうして俺は、魂を売った。見えぬ掟を守り、流されていれば、金になり居心地がいいことがわかったからだ。ほんの少し、自分を殺せばいい暮らしができる。それにこれこそが協調性というヤツなのだ。俺は、どうにか折り合いをつけた。それがカワサキの400でもあった。
けれど捨てきれない想いが、夢があった。
「物書き」である。
幼い頃から、読むことと書くことが好きだった。読書好き、作文好きの不良だったのだ。それで横須賀に来ても、いろいろと書きまくっていた。小説、エッセイ、ショートストーリー。もちろん会社には内緒で。そうしてそんな努力が実を結び、いつしか商業誌に連載を持つまでになった。依頼も次々舞い込んだ。だが、俺はセーブした。完全保障の今の職を捨ててまで、そちらの世界に飛び込む気になどなれなかったからだ。
創作も趣味の範疇にとどめよう。バランスの取れた安定こそ一番なのだから。だからこそ、個性のみの、アンバランスの象徴のようなハーレーに魅力を感じなくなってしまったのだろう。
荷物を積み、ローライダーのエンジンをかける。一発の始動。
どうだ、と言わんばかりの排気音が雨音を消す。しかしなんなのだ、このエンジンの震え方は? まるでディーゼルではないか。
俺は注意深く観察した。エンジンのわななきは小刻みに車体に広がり、末端のハンドルなど、冗談のように振れている。特に右側。ウインカー、セル、キルなどの英文字が、二重にも三重にもぶれ、読めない。
跨る。
やはり、小さい。しかし、この振動だ。
ケツの肉を通じ、突き上げるような脈流が体内に拡散する。
おののくハンドルを手で押さえつける。
鼓動は腕から肩へ、そして胸へと流れ込み、ケツからの脈とひとつとなる。ヘソの、やや下あたり。こんなものに、よく女が跨るものだ。
体内でひとつになった塊を、観る。メッセージが聞こえてくる。
『どうだい。俺様こそ、ハーレーだ』
そうかい、あんたが。長かったね。
チェンジペダルを踏み込む。
工業団地から聞こえてくるような乾いた音が、濡れた辺りに鳴り響く。
走り出す。
アクセルをラフに開閉してみる。体が置いてゆかれ、引き戻される。この感覚は、どこか懐かしい。俺は、ニヤリと笑った。
「ウシバイクじゃねえか、これ」
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