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なぜ走ることは楽しいのか?
最近、短距離ですが近所を走ってます。
キッカケは、「運動脳」を読んだからなんですが。
これがね、細々とですが、続いてるんですよ。
すごいですよね。(自分で言う)
本に影響されたのはもちろんなんですが、
なぜ続いているのかな?と。
続けられるには、やはり理由があるんですよね。
✅走ることは、主体的な行為
走るというのは、とても主体的な行為だ。
歩くときも、乗り物に乗っている時も、僕たちは一定の速度で世界に接することをいつの間にか強いられている。
そうか、これだ!と思ったんです。
私は「主体的」であることが、心地よいと思っているんだなぁと。
走るときに僕たちは世界に対しての距離感と進入角度を、とても自由に設定できるのだと思う。
「自由度」、これも確かに高いなーと。
いやー走るっていいですね。
デメリットってあるのかな?🤔
✅主体的で自由度が高い=楽しい
走ることがまさに、「主体的で自由度が高いこと」なのですが、他にも同じ理由で楽しいと感じてることがあるな、と。
例えば
・note書くこと
・階段使うこと
・セルフレジ使うこと
・食べたいものを作ること
などなど。
自由度はだいぶ異なりますが、主体的ってことでは、どれも共通してるかなーと。
もちろん、note(という場所)や、セルフレジ(という設備)は用意されてる環境であり、とてもありがたい。
で、それを使って、自分自身で完結できる行為が好きであり、楽しいと感じているのかなと。
✅主体的の反意語は?
主体的の反意語を調べてみたら、
「受動的」「従属的」。
うーん…。
やっぱり好きじゃない笑
「受動的」を防ぐためにやってること。
ぱっと思いついたのは下記です。
・スマホアプリの通知、基本的はオフ
(家族のLINEなど重要なものはオンしてます)
・プライペートメールの通知、オフ
プライペートでメールしてくる人ってほぼいないので、1日1〜2回、自分から見に行って確認します。
スマホの通知は本当苦手で、基本オフです。
新しいアプリを入れて、通知オフを忘れていて通知が届くと、正直イラッとします笑
きっと私だけではない…はず。
おわりに
私が走るのが楽しい理由の1つは、
主体的で自由度が高いこと。
楽しいこと、増やしていきたい。
と同時に、「受動的」「従属的」なことを減らしていきたい。
そんなことを思いました。
引用箇所はこちらの本。
たまちゃんさんの記事をみて、興味を持ちました。ありがとうございます!
走ること以外にも、興味深い話がたくさん載ってます。
気になる方、ぜひ読んでみてください。
ではでは。
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