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双極性障害になった僕は、心の防御法を学ぶことにした。
「また、人を殴りてぇなぁ・・・」
ドラッグストアに買い物中、昔よく飲んだアミノバイタルを見つけた時に、そんなことを、ふと思ってしまった。
これは本当に危険なサインで、双極性障害になってからもっと酷い妄想で苦しくなることが多い。(人を○したいとか…)
私は昔、格闘技をやっていた。
もう本当にいろいろやっていたので、いろいろ掻い摘んでやっていたので、すごい中途半端に格闘技をやっていた。ボクシングに空手、レスリングに柔術・・・とにかく、格闘技を習うのが好きだった。試合も出たけれど、ほとんど負けばっかりだった。(負けた記憶はたびたび頭の中に過る。苦しい思い出としてほぼトラウマとして残っているので、楽しい思い出ばかりではない)格闘技は私のアイデンティティだった。
双極性障害になって、ただのウォーキングだけでも出来なくなってしまった。ランニングも出来ず、筋トレも出来ない。今もう一度格闘技を習うというのも、恐らく出来ない。身体と心がついて行かないだろう。悲しいことに、自分のアイデンティティは儚く崩れ去っていった。
もう一度、戦いの場に立てるなら。もう一度、戦士として相手に立ち向かうことが出来たなら。どれだけ嬉しいだろう。
けど、私は闘うこと自体はやめていないのだ。
戦うことは、決して肉体的なことばかりじゃない。
今現在だって、病気という見えない敵と戦い続けている。負けた時は、きっと死ぬ時だろう。今の今まで死んでいないのだから、こんな自分も大したもんだと思う。
これからも双極性障害と戦い続けていく中で、私は何が出来るだろうか。
病気に勝つためには、何が必要だろうか。
格闘技を習う中で、重要視されるものは「受け身」だ。
相手に投げられた時にどのようにして身を守るか、つまり、やられる練習をする。柔道なんかでは、習い始めはほとんど受け身の練習だ。それほど「やられる練習」は重要である。
病気にも、その受け身があればいいのに。
不安や恐怖、イライラや死にたい気持ちを、軽減する「受け身」。
認知行動療法なんかが、精神疾患にとっての受け身になるのだろうか。
その答えはわからない。
けれど、人生は格闘技と言っても過言ではない。
人生にとっての受け身、さばき、ガードの仕方はきっとあるはず。もちろん、病気の人間にも、心の防御法はあるはずだ。
私はこの1年で、心の防御法を学んでいこうと思う。
そうすることしか、前を向いて人生を歩んで行くことは出来ないだろう。病気であっても、病気でなくても。
もちろん受け身だけでなく、相手を打ち負かすような攻撃方法だって知りたいものだが、今の段階では、防御法を学ぶことが最優先だと思う。打ち負かされて、死んでしまわないことを、願うばかりである。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
貴方に幸せな出来事が訪れますように。