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中島らもの本を読み、死ぬのは明日にしようと思った。
「自殺をしよう。ただし、今日はしないで明日にしよう」
中島らもさんの著作『心が雨漏りする日には』の中の一節。
朝から身体が動かない。心の元気がない。布団の中でじっとしていた時に、そういえばアマゾンで本を買ったことを思い出し、布団に丸まりながら読んでいた。
中島らもさんは小説家だったりコピーライターだったりミュージシャンだったりと、マルチな才能を発揮した存在だ。昔からその存在は知っていたが、彼が私と同じく双極性障害に苦しめられていたことを知ったのはつい最近だった。彼のことを知りたくなり、アマゾンでぽちっとしてしまったのだ。
『心が雨漏りする日には』には鬱エピソードと共に、壮絶な”躁”エピソードが書かれてある。
それはもう、私の抱えている物とは全く別物の、とんでもない奇行を繰り返している。まさに躁鬱病、こんな状態に自分がなっていないことを安心している。そんな話が、多く書かれている。
そんな中でも、彼は多くの作品を作り出すことに死力を注いだ。広告だけでなく、小説も、劇も、音楽も。同じ双極性障害として、とても尊敬する。
久しぶりに本を読んだ。
本を読みたいと思っても、うまく読めないことが大半だ。
読んでいる最中に嫌なことが湧き上がってきたり、そわそわして集中出来なくなったりする。本はどんどん積みあがっていくだけで、読破することはなかった。そんな中、中島らもさんの本はとても面白く、あっという間に半分以上読んでしまった。久しぶりの読書体験に、私は嬉しくなり、心が少しだけ軽くなった。中島さんの文章が非常に読みやすく、わかりやすいのが良かったのか、それともたまたまだったのだろうか。それはわからない。
話は飛んでしまった。
上記した言葉は、中島さんが自殺念慮に襲われた時にする考えかたらしい。これは、薬物を辞める時の方法論を、そのまま自殺念慮の対処法として消化させたものという。”コピーライティングの神様”と呼ばれる仲畑貴志さんも鬱で死にたくなった時は同じように、街路樹の木の葉を見て「あの葉っぱが自分のてのひらより大きくなるまでは、生きていよう」と思っていたらしい。
私も、ふとした瞬間に「死んでしまいたい」と思うことが多々ある。
この方法が果たして効くのかどうかはわからないが、試してみる価値はある。
私はこの本を読んで感じたことがある。
それは「偉大で優秀なコピーライターや作家さんであっても、死にたい気持ちと戦っていたのか」ということ。いや、少し考えてみれば、多くの作家が自殺している。何かを作り出す人は、それなりに苦痛を伴って生きているのだろう。それを乗り越えて、多くの作品を作り出している様に、私は勇気づけられた。
くたばりたくなることばかりだ。朝が本当に辛い。
「ああ、また辛い一日が始まる」と思って目が覚めることの辛さよ。
けれど、くたばるのはまた明日にしようと思う。それを繰り返していき、ほそぼそと生きて行けたなら嬉しい。