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古事記編集部vs日本書紀編集部

天武天皇は、なんでわざわざ「古事記」「日本書紀」という2種類の歴史書の編纂を命じたのか、皆さんは不思議に感じたことはないか?
定説としては、古事記はカナ文字、日本書紀は漢文ということで各々を国内規格・国際規格に分けたということにされてるけど、それならまず古事記を作って、日本書紀はそれを漢文に翻訳すれば簡単に済んだ話だ。
でも実際は、記紀それぞれに独立した編集部を作って、この2つの編集部はほとんど連携することなく、独自に編纂を進めていったように見えるね。
その証拠に、同じ人物のことを書いてるはずなのに、名前や年齢が違ったりしてることが数えきれないほどあるんだ。
普通、こういうのはお互いにすり合わせをして、矛盾が生じないようにするもんでしょ。
ひょっとして、両編集部は仲が悪かった?
というより、日本書紀編集部は古事記編集部のことなんぞ眼中になかったと思う。
もともと格差があったんだ。
国家公認の正史は日本書紀の方であり、古事記は普及用のセカンドラインともいうべき、ややランクの落ちる扱いである。
それは編纂スタッフの人選にも出ていて、日本書紀は天武天皇の息子である舎人親王という大物が起用されてるんだ。
それに対し古事記はというと、ただの官僚にすぎない太安万侶と稗田阿礼。
つまり同じ編集部といっても、かたやエリート部署、もう一方は窓際部署といったイメージだね。
新聞でいうと、一般紙とタブロイド紙ほどの違いがある。
オフィスをイメージするなら、多分こういう感じでしょうね。

日本書紀編集部
古事記編集部

日本書紀の舎人親王は政治家であり、常に政治的な目的を意識して編纂していったと思う。
高い地位にある人ゆえ、自分の裁量で多少のアレンジも可能だったはずだ。
一方、古事記の太安万侶と稗田阿礼はペーペーみたいなもんだろうし、自分の裁量でアレンジとか絶対無理でしょ。
彼らが天武天皇から唯一いわれてたコンセプトは、「歴史を連続したひとつの物語形式として書け」。
よって彼らがやった作業は、ひたすらピースを繋ぎ合わせてひとつの物語の形にすることで、そこに政治目的云々のややこしいことまで挟む余裕は全くなかったんじゃないかな。
そういう意味では、古事記の方が日本書紀よりソースを忠実に表現してると思う。

古事記編集部のひとつの武器は、稗田阿礼の異常ともいえる記憶力である。これは歩く図書館とでもいうべきか、彼の脳には何百何千という膨大な数の
民間伝承がインプットされてたと思う。
彼はメチャメチャ頭がいいに違いないが、私が思うに、このてのタイプってサヴァン症候群の可能性もあるし、あるいは日常生活にも支障のあるほどのキャラだったんじゃないかな、と。
仮にそうだとすると大変なのは太安万侶で、
「あ~稗田くんダメダメ、また紙食べてる。さっきご飯食べたでしょ」
「あ~稗田くんダメダメ、机におしっこしちゃダメっていつも言ってるでしょ」
という慌ただしい毎日だったに違いない。
少なくとも太安万侶にとっては、ブラック企業ともいえる職場だっただろうね。
「見ろよ古事記編集部のやつら、まだ仕事してるぜ」
「ああ、あそこ職員がふたりしかいないから、仕事さばけないんだろうよ」
「大変だね~、天皇も酷なことするね」
「ああ、正史じゃないから予算が少ないんだろうな」
「正史じゃないなら、何のため作ってんの?」
「さあ、単に天皇の道楽じゃね?」
「ウケる~」
と日本書紀編集部のエリート社員らには憐みの目で見られ、さぞ屈辱だったことだろう。

古事記編集部を見て笑う日本書紀編集部のエリートたち
ただひたすら屈辱に耐える毎日の太安万侶

この時代、まだ民間の識字率はゼロに等しく、古い伝承の昔話は全て口伝となっていた。
しかし、口伝というのは厄介なものだ。
我々も子供の頃に口伝だけで情報を伝達する「伝言ゲーム」をやったものだが、情報というものは必ず途中で歪められ、なかなか正確には伝えられないものである。
たとえば、「田中くんの家の昨夜の夕食はカレーでした」という簡単な情報が、10人の口伝を介してしまうと、最終的に伝わった内容が「田中くんが昨日、おいしそうにウンコを食べてました」という感じになってしまうんだ。
途中の人間が歪曲したり誇張したりした結果がこれであり、可哀相なことに田中くんはウンコを食べるはめになってしまった。
このことからも分かるように、民間伝承の昔話も事実を正確に伝えてるとは断じていえないのだ。
たとえば、イザナギとイザナミが国を作る前にSEX始めちゃったくだりとか、あれは酔ったオッサンたちのふざけたエロ話が、なぜか口伝で残ってしまっただけのことだろう。
この話のタチが悪いところは、イザナミがまず最初に産んだ子が障害のある奇形児で、「これはダメだ」と川に捨てちゃうんだよね。
で、「SEXのやり方がまずかったのだ」と言って、やり方変えて再びSEXするわけよ。
この夫婦、ちょっと頭おかしいよね。
ジャンルとしてはシュール系のブラックコメディで、これを創作した古代の日本人のセンスは70年代のガロ的作風とでもいうべきか、なかなか退廃的である。

イザナミが最初に産んだ子

やはりバチが当たったのか、イザナミは出産で重傷を負い、最後は死んでしまったんだ。
メインヒロインがいきなり死ぬって、どゆこと?
しかも彼女は黄泉の国にいって闇落ちし、異形のモンスターとしてイザナギを襲うという、まさかのホラー的展開。

闇落ちしたイザナミ

もう話の展開が常に想像の斜め上をいくもんで、ついていくことが困難だ。
とにかくイザナミの追跡から必死に逃れてきたイザナギは、黄泉でついた体の穢れを落とそうと池で水浴びをする。
すると、彼の左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれたんだ。
最重要ヒロインの皇祖アマテラスが、めっちゃシュールな誕生の仕方で笑えるんだけど。
母親無関係で父親が不測のアクシデントっぽく産んで、男が産んだってだけでも驚くのに、しかもそれが目から出産って・・・。
「ちょっとストップ、稗田くん。その話、ふざけてんの?」
「いや、僕の記憶は常に完璧だよ。これで合ってる」
・・・ああ、どうしよう。
こんなの書いてたら、絶対また日本書紀編集部のやつらに馬鹿にされる。
そうだ!
あいつらが日本書紀を天皇に提出する前に、うちらが先に提出したらいいじゃないか。
そしたら比較されないし、古事記を提出したらすぐにバックレるんだ。
よし、我々の方針がようやく見えてきた。
「稗田くん、今日からピッチを上げるよ!」
「お、おう・・・」

方針が決まり、燃える太安万侶と稗田阿礼

西暦712年、古事記は天皇に献上された。
日本書紀より8年も提出が早かった。
ちなみに日本書紀の全30巻に対し、古事記はたったの3巻。
ぶっちゃけると、後半にいけばいくほど話の内容が薄くなっている。
それでもよかったんだ。
日本書紀より早く提出さえできれば。
もう稗田くんの介護の日々はコリゴリなんだ。
こうして、めでたく古事記編集部は解散となった。
約半世紀もの間、太安万侶も稗田阿礼もよく頑張ったと思う。
お疲れ様。
現代の我々の間では、正史である日本書紀よりも、むしろ古事記の方が人気である。
そのことだけは、太安万侶と稗田阿礼のおふたりに伝えてあげたい。







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