祖父の葬儀
土曜日の朝、祖父が亡くなった。
午前4時ごろ、文章から感情が読み取りづらい父からの長めのLINEで知った。今日はおじさん特有の絵文字もなく、句読点がやけに目立つ文字の羅列を眠い目で読みながら自分の中では既読無視とカウントしない寝落ちをした。
葬儀は水曜日に行われることになった。
人が死んでしまった後、身体だけがこの世に残されて燃えて尽きるまでの間のこの入れ物としか思えないもののことを考えてしまう。心のありか、この人の意識はどこにいくのだろう。祖父、いや祖父だった人と呼ぶのだろうか祖父の顔を眺めながらそんなことをボーッと考える。
"安らかな顔していて眠ってるみたいだ"と父は言ったが、安らかだとどうして分かるのだろう。生きている者たちのエゴだろうか、そうであってほしいという最後の願いなのだろうか。確かに祖父は病気ではなく、老衰で亡くなった。静かな終わりだったようだ。会わないうちに随分と痩せていた。
久しぶりに従兄弟に再会し、従兄弟の奥さんと初めましてのご挨拶をした。葬儀に参加するのが親族のみなので、なんだか絶妙に緊張感のあまりないうちに葬儀が始まった。お坊さんが入ってきてお経を読み始めると、お経の読み方が独特で徐々に外壁工事の音のように聞こえてきて思わず吹き出してしまいそうになった。我慢しようと思えば思うほど、笑いそうになってしまうので生前の祖父との思い出のことなどを思い出そうとしてみた。いや、本来ならそれが普通の場のはずだ。
合成で作られた大きく飾られた祖父の遺影を眺めながら過去に潜ってみた。しかし、あまりにも祖父に関しての思い出や知っていることが少ない。
思えば幼い頃から兄のことを可愛がっていて、兄も祖父のことが好きだった。所謂おじいちゃんっ子というやつである。僕が生まれる前に祖父の家によく預けられていた兄は、3年遅く生まれてきた自分よりも当たり前だが可愛がられていた。幼いながらにそういったことに敏感だった自分はどこか常に引け目を感じていた。
それでも祖父は家に遊びに行くとなんでも好きなものを買ってくれる人だった。毎回、家に遊びに行く時には母から"おじいちゃんに買ってもらいな"と言われるほどなんでも買ってくれる人だった。特に怒りもせず、あまり感情を出さず、何事にも干渉せず、気付いたらいつも自分の部屋にそっと戻って朝までよく分からないラジオをかけっぱなしで眠る人だった。巨人と長嶋が嫌いで、部屋に大きなオードリーヘップバーンのポスターが貼ってあった。祖母とはよく話をするけど、祖父とちゃんと話したことがもしかしたらないのかもしれない。
数年前に祖父が半身麻痺になり車椅子になった。その時にお見舞いに行った時には僕の名前だけ覚えていなかった。誰だという顔をされて、父が慌てて紹介した。そんなことをしなくても祖父が自分に対して興味がないことは物心ついた頃から分かっていた。親戚の中でも末っ子、それは使命なのだ。そして同時に自分も祖父に対して興味がなかった。この人のことを何も知らず、祖母とどうして出会ったのかも聞くこともなく、どんなふうに生きてきたかも聞かずに祖父はこの世を去っていった。
葬儀が終わり、火葬場へと向かう。
いつも比較的感情の読み取りづらい表情をしている祖母が悲しそうなのが分かった。初めて見た顔をしていた。
よく自分が感情が読み取りづらいと言われるのは母方の血筋なのだと思った。母の姉、叔母さんは泣いていたけど母は相変わらず落ち着いていた。こういう時に何も動じないのは完全に血だなと、横顔を見ながら思った。家族が集まるイベントになるとこういったことを時々思うようになる。
火葬場に着くと祖父の棺桶はピザ窯に運ばれるピザのように手際よく、あくまで冷静に運ばれていった。そのあと用意された部屋に行き、40分ほどお待ちいただくようにと係の人に誘導された。
40分。フィルムの写真の現像にかかる時間と同じだなと思った。従兄弟が"パンが焼きあがるみたいなテンションで言ってたね"と言った。人が焼き上がる時間は40分なんだなとも思った。焼き上がるというよりか燃え尽きると言った方が正しいのだろうか。
そんな会話をした後にみんなでコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べた。これからも生きていく者たちは食べなくてはいけない。温かいお茶を淹れ、お腹を満たすようにみんなでご飯を食べた。生きていくということはこういうことだ。食べるとみんなの口数が増えた。食事はすごい。栄養を摂るだけじゃない。生きるということの根源なのだと思う。
トイレに行くために部屋を出た、隣の部屋では多く人が集まっていて談笑したり、ご飯を食べている人たちがたくさんいた。外では泣いている人たちもいた。ここは無数の命や思いが交錯する場所。
外は相変わらずとても気持ちのいい青空の日だった。帰りの車内でなんとなく空を見上げて、これから生きる祖母のことを思った。長く連れ添った人、この人と決めた人がいなくなるのはどんな気持ちなのだろう。今の僕には当然想像することもできないし、想像したところで答えを用意することもできない。でも僕は愛する人の悲しい顔を見たくはないので、少しでも長生きしようと強く思った。
これで僕にとって祖父と呼べる人はこの世にいなくなった。ただ、死は本当の意味で"いなくなった"ということではないはず。誰かがこの世で覚えてさえすれば、忘れることがなければその命や想いはこの地にこの世に残り続けると信じている。それはDr.ヒルルクの教えだ。
僕にとって祖父の思い出はあまりに少ない、だから祖父が着ていたコートを引き取ることにした。これは自分に興味を持ってもらえなかったことの腹いせでもある。コートの内側に祖父の苗字が刻印された、この世に一着しかないコートを大切に着続けてやろうと思う。
じいちゃん、幸せな人生だったのだろうか。
セブンイレブンの親子丼を美味しいと食べていたのをなぜかずっと覚えている。あっちでは好きなものたくさん食べられるといいね。
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