似非(えせ)
■母について
私の母は、私の父親に出会う前に一度結婚をし、3人の子供を設けていた。息子1人に娘が2人。
その娘2人が、私の姉。
上の姉は看護師の資格をもち介護系の仕事。下の姉は美容師止めて化粧品代理店の社長。
うちは女系でみんな個人事業主。甲斐性がある女が揃ってると、我ながら思う。母の影響かなあ。あとは生まれてきた環境。
■私が生まれるまでに
母は23歳で京都から広島に嫁いで、元夫が経営している中古車屋を切り盛りしていた。そして3人目の子供(私にとっては2番目の姉)を妊娠中に
元夫は多額の借金を残し、蒸発した。
母は大きなお腹を抱えながら上の姉を連れ、生きる術を求めて、母の両親が住んでいた場所に移り住むことに。
兄は父方の母が後継ぎとして残すとのことで、連れて行くのを拒んだとか。
生き別れ。未だに会えていないらしい。
ハンメ(詳細は「水路(1)(2)」にて)の知り合いで使わなくなった倉庫を改造し、商売の事は中古車屋の事しか知らないけど、料理には自信があったから、とにかく「生きていくため」に小さな居酒屋を始めた。
動物の名前を付けると商売が繁盛するというハンメの教えに従い、「熊」と名付けられた。
つまみはおでんと
七輪で焼いたスルメとエイヒレ。
漬物。
ガスはプロパンで、掘っ建て小屋には木炭の袋が転がっていた。
「ダルマ」の愛称を持つサントリーオールドと月桂冠。
羽振りがいい客は恰好を付けて「ジョニ黒」なんかをボトルキープしていて。
壁には「一億円札」なんてフェイクで作られた聖徳太子のポスターと
毎年サントリーから配られるお姉ちゃんのエロいポスターが貼られていた。
ラベルのとこに黒マジックで客に名前を書いてもらい、棚に並べられていた記憶がある。
カウンターに10人入れば満席。
8トラと呼ばれるカラオケが発売されて、歌詞カードはファイルに一冊。
客は日雇い、生活保護者や、近所に大きな重機会社があったので、そこの現場作業者や営業の接待と様々で。
当時は軍歌も歌われて、ツケを払わない客と毎日喧嘩しながらも賑やかな居酒屋だったんだって。
そこで当時、トラックの長距離運転手だった今の父親に出会い、恋に落ちた。
母のひとめぼれだったらしい。若い頃は草刈正雄に似てたとか。
ほどなく「私」が出来た。
離婚したくても相手がどこにいるか分からないまま。
■「私」が生まれてから
民法は、妻が婚姻中に懐胎(妊娠)した子は夫の子であると推定する規定を置いています(民法772条1項)。
また、失踪した配偶者と離婚する方法として、失踪宣告をして3年経過して生死が不明な場合あるいは生死が7年以上不明の場合、「失踪宣告」をして裁判所に申し立てをし離婚が成立します。
ちょうど私と2番目の姉は8歳違う。7年以上。
ただ、婚姻届も出さず
裁判所への失踪宣告の申し立てが出来てなかった。
無知は罪なり。今更だけどね。
結果として私が生まれた時点では、
どこに行ったか分からない見ず知らずの男が父親で、実の父親に対しては愛人の子供によくある「私生児」というなんとも複雑な生い立ちとなった。
あくまでも戸籍上の話だけど。
親父も複雑だったろうに。
実子なのに、「認知届」出さなきゃいけなくなって。
婚姻成立の日から200日以内に生まれた子のことを、推定されない嫡出子ということがあります。
※現在は平成25年の法改正で財産分与の割合に関することは平等になりましたが、相続に関しては、上記に推定されると実子でも「認知届」を出さなくてはなりません。
似非(えせ)私生児だ。
さらに悪いのが
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