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祈りとは〜純粋な祈り〜


フランスからボンジューR(ルとは発音しないのでRにしております)ちなみにおはようございますもボンジュールです。

前回は能登半島の震災で被害に遭われた方々について、わたしたちができることをふたつ挙げました。
こちら↓

ふたつ目の精神的な支援では、一見無関係だと思うけれど大いに関係ありありな自分自身の気分をあげること、または自分の人生を今、目一杯楽しむことについてエネルギー的な側面から書かせて頂きました。

今回はこの続きである『祈り』について書きたいと思います。
祈りは、最近よく聞く言葉かも知れませんが、簡単にできそうでありながら、実際には祈りでなかったりして…そう突き詰めていくと祈りとは難易度が高いものでもあると個人的には思います。

それはなぜかというと、
祈り(と思っている)を捧げている人の大多数が実際はお願い・頼み事(のエネルギー)になっていると感じています。

祈りとお願い・頼み事は言葉だけを並べているととても近しいもののように思えるかも知れませんが、似て非なるもの。全く違うエネルギー(周波数)なのです!

ですから、この違いを知ることはとっても大切です。 

日本にお住まいの方は神社仏閣がとにかくたくさんあるのであまり神仏にご縁がない方も年に1回くらいは行かれたりすることがあるのではないかと思います。

この神社仏閣で、ほとんどの方が『お祈り』をしますよね。

実際のところ、お祈りという表現(言葉)を使ってはいますが、行なっていることはお願いごと・頼みごとをしているわけです。

お願いごととお祈りは同意ではありません。

まず、この事実にどれくらいの人が気付いているでしょうか。

お願いや頼みごとというのは、読んで字の如く、主にこうしてください、ああしてください、ああなってください、こうなってください、という自分の自我(エゴ)からくる思考で考えた願いに基づいたもの、つまり結果にフォーカスするものです。

例えば・・ ↓
宝くじが当たりますように
恋人ができますように
結婚ができますように
昇進しますように
試験に合格しますように

勿論、結果にフォーカスしますからこのようにネガティブなものもごちゃ混ぜになってきます。↓ 
あの人と別れられますように
あの人と同じグループにはなりませんように
あのことがどうかバレませんように

こうなると、もうお願いや頼みごとの域を超えて怨念や呪いになっています・・↓ 汗
〇〇さんが〇〇さんと別れますように
〇〇さんがわたしの目の前からいなくなりますように
わたしに〇〇をしてきた〇〇さんに制裁が下りますように

そして、意外と思われるかも知れませんが、一般的に皆さん多くの方が呟くであろうこのフレーズもお願いや頼みごとになります。↓

健康でありますように
何事もなく平和で過ごせますように

上記に挙げたものは祈りかお願い(頼みごと)どちらなのかというと、全てが後者になります。

お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、お願いごと・頼みごとの特徴は自分が〜なりますようにと自分が主体・中心となり、そこから派生して自分の家族が、自分の関わりのある誰それが、という風になっています。つまり個人的なことは全てお願いなのです。

では個人的なことがいけないのかというとそうではありません。単に祈りか祈りでないかというと後者になりますという話です。

ですから、健康でありますように、と心から願いたい場合には神様に『お願い』として伝えることは全く構わないということです。

次に、祈りは一個人である自分から見た世界から何かを牛耳ようとする意識からのものではなく、宇宙という大きな流れにあることを理解しながら行うものであるため、祈る対象は自分や誰かという一個人などの限定的なものではなく、地球人類、~の人々、~の状況にある人々、わたしたち、など大きな視点から捉えた広範囲の集合体を常に指すことになります。

ちょっと難しいでしょうか。

宇宙の大きな流れを理解しているということは、自分もその宇宙の一部分もしくは宇宙そのものでありるので他の全ての人や物も宇宙である。つまり、わたし達はひとつであるという『ワンネス』の視点からの願いが祈りなのです。

したがって重複になりますが、(自分が)という自分主体のものはお願いであり、自分という個を超えて損得なく純粋に皆が笑顔になったらいいな、世界で争いがなくなればいいなという想いが祈りに繋がるのです。

この説明を聞いて、ってかそんなことどっちでも良くない?言い方の問題でしょ?と思われたかも知れませんが、冒頭でお伝えしたように、お願いと祈りは全く違うエネルギー(周波数)で、向かうベクトルは真逆です。

つまり、祈りだと思って行っていることがお願いや頼みごとになってしまうと、当然、エネルギーは重くなり、叶うどころか真反対になってしまうかも知れないのです。さらに『一個人から見たお願いごと』はその人達の魂が本当に望むことであるかというとそうでなかったりもするので結果として叶わないという風に見えることもあります。(全てがそうではありません)
はたまた、お祈りを頭で考えて言葉にすると言葉尻を捉えるのに気が取られてしまい、こちらも本来の祈りのエネルギーとは程遠くなってしまいます。

では自分がしていることは一体お願いごとなのか祈りなのか分からなくなったー!という人がおそらくいらっしゃると思います。

もしくは祈りたいけれど、お願いになっていたら嫌だなぁという場合など…

そんな時は、言葉や概念にとらわれるのではなく、これをぜひやってみてください。

目を瞑って、震災地の人達が悲しそうにしている情景などをニュースで見てそれらが浮かんできたら、その人たち全員が笑顔で笑って、微笑みの表情に変わっていくイメージをしてみてください。

崩れた家も元通りになって、何事もなかったように皆が嬉しそうに笑っているシーンを数分イメージするだけです。

悲しい情景が浮かんでこなければ、ただ能登半島の人達が幸せそうにしている顔をイメージするだけで構いません。

これだけで祈りと同じ効果になり、お願いごとや頼みごとにはなりません。

これが祈りであり、祈りは間違いなくわたし達の意識から現実が創造される瞬間です。

さらにこれをイメージしている自分も悲しくてやりきれない感情から、温かい感覚に変わりませんか?

まずはこの頭の中に描くイメージでの祈りによって、能登半島と北陸の人を精神面から応援してみませんか?
毎日数分で構いません。

祈りは純粋であればあるほどパワフルです。


今回は非常に簡単に祈りについてご説明しましたが、祈りもまた色々な側面や次元からの見方があり、全て書ききれないのが事実です。

皆さんが祈りだと思っていることが本当に祈りであったかを確認するのに良い機会でもあるなと思い、書いてみましたが、本当に大切なことは何よりもその人々が最善であって欲しいと思う純粋な想いです。それら全てが祈りだと思っています。

ちなみにこのニコニコイメージは自分が悲しい時、落ち込んだ時、人間関係が上手くいかない時、家族やお友達が辛いときにも有効です。笑顔に変わるのをイメージするだけですのでぜひやってみてくださいね。動物や植物、全てのものに有効です。

またまた長くなりましたが、それぞれの人生を楽しんで、自分に今できることで能登半島や石川県の方々、ひいては日本全体をバックアップしていきましょう!
わたしもフランスから日本をはじめとしてこの地球全体が素晴らしいものになっていきますようにお祈りをしております。

Passez une bonne semaine !
素晴らしい一週間をお過ごしください!

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