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panda_5:怒りに依存しない

 私は決して友達が多い方ではない(と思います)。対人コミュニケーションができないわけではないが、特別に上手いわけでも得意なわけでもないので、関係が深まりにくいのです。

 特に社会人になってから、新しい友達をつくる方法がわからなくなっている感は強いような気がしています(このへんの話もどこかでしたい)。。。

 ただ、その数少ない友達全員に対して、「〇〇さんの尊敬している点は~」「△△さんの尊敬している点は…」といった感じで、それぞれに尊厳している点を言えるのはプチ自慢です。


 さて、尊敬できる人というテーマを考えるとき、いつも思い出す言葉とエピソードがあります。初任の際、私の指導教員であった先生の話です。

 私は毎日のようにその先生の授業にお邪魔していました。先生の世界史の授業はとにかくもう惹きこまれるのです。いわゆる「チョーク&トーク」のオールドスタイルの授業。経験に裏打ちされた重厚なトークと面白いエピソードの数々、説明の巧みさにいつも感動していました。現役のときにこんな深みのある授業を受けたかった…と毎回感じていました。
 
 いつものように指導教員の授業に参加して、生徒たちと一緒に授業を受けていたある日ある時、隣のクラスで授業をしていた教員が、大声で怒鳴っているのが聞こえてきました。なかなかの声量で、なかなかの激しい言葉遣い。生徒たちも「またやってるよ」「怖いわー」とざわざわしている様子。その雰囲気のなかで、指導教員の先生が生徒たちに次の言葉を紹介しました。今でも心に残っています。

怒りは無謀に始まり、後悔をもって終わる

ピタゴラス(ギリシャの哲学者、数学者)

 ついついカッとなってしまって、怒る。
 イライラしていたときに不都合なことを指摘されて、怒る。
 忙しいときに仕事を振られて、怒る。 
 
 このように、怒りは常に無謀をもって始まります。そして、怒りの感情を表出したあとに残るのは後悔だけです。私も何度後悔したことかわかりません…。

 怒りという感情に身を任せるのは楽だ。でも、大声を出して、強い言葉で他人を委縮させている人を尊敬できるだろうか。常にイライラしている人と仲良くなりたいと思うだろうか。

 感情のコントロールができる人間でありたい。

※私のある友達(先輩)の尊敬しているポイントが、まさに「怒らないところ」です。他の人から見れば、この人はもっと尊敬できるところ、すごいところがある人だというのは承知しています。それでも私は真っ先に「怒らない」を挙げたい。それくらい感情のコントロールができるということに、尊敬の念を抱くのです。

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