見出し画像

【読書】スロウハイツの神様

友人にこの本を貸したところ、私の感想が聞きたい、どうしてこの本を選んで貸したのかが知りたいと言ってくれた。
本を選んだ理由は「あまりにも好みが違っていそうだからその中で一番外れなさそうなやつ」という面白みもへったくれもないものだったので、せめて。
感想はお眼鏡に叶うよう頑張って書いてみようと思う。

本を貸した友人は、「狩野くんみたいになりたい」と言っていた。
周囲をよく観察して気を配れるところを見習いたいと。
本を読みながら私は(狩野くんにはなりたくないなあ)と思った。
気を配れるという観点から見たらコウちゃんの方がずっと素敵な気の配り方をする。

狩野くんは人が本当に望んでいる選択肢を見極めてその方向に背中を押すことができる人だ。
彼の周りはきっととても居心地が良い。
プラスの方向に働けばそれはとても素晴らしいことだ。

けれど、と私は思ってしまう。けれど、その反対は?

だって、そのまま進んだらダメになると分かっていても彼は背中を押す。
本人が望んでいるから。
そして、背中を押した結果起きたことは、「本人が望んだことだからね」と自分とは関係ないこととして扱うのだ。

私はそれを「優しい」とか「気が利く」とは呼びたくない。
もし仮に友達にそうやって気遣われたら、後々自分の情けなさに嘆き暮れる気がする。


一方で、コウちゃんの気の遣い方はとんでもなく不器用である。
その場の流れを断ち切って、楽しい気持ちに水を差して、いろんな人に疑問符を与えて、それでも自分の友達と友達の大事なものを全力で守ろうとする。
そうやって自分のことを守ってくれたことを後から知ったら私は泣く。
確実に泣く。

友達に対して行うなら、そして友達がしてくれるなら、私は絶対コウちゃん派だ。

(人付き合いが苦手な私と上手な友人と、目指す方向性としては各々あってそうだなと思って面白かった。
そしてとことん意見が合わなくて、よく友達でいられるな不思議だな面白いなと思う。)


ーーーーー

人間は、「優しさ」か「強さ」か、そのどちらかを持っていなければ生きていくことなどできず、たいていはそのどちらか片方だけに目が行きがちだが、けれど人は意外とその両方を持ち合わせているという話。

環の強さとスーの優しさを持って私は生きていきたい。

絶対に譲ってはいけない楔をきちんと守り抜いて、人にはその辛さを見せないで柔らかく笑える人になりたい。
思い返せばずっと私の目標は「格好良いお姉さん」で、環とスーを合わせて2で割れば、結構理想に近いのかもしれないと思った。

これは私の漠然とした憧れに現実味を与えてくれた本だったのかもしれないと、高校生ぶりくらいに読み返して思った。

お眼鏡に叶うと良いね、



おわり。

追記:かれこれ4年前くらいの記事になるが、その前から今まで変わらず「格好良い女性になりたい」願望は定期的にやってくる。
その時々で細かいニュアンスは違うけど、ざっくりまとめれば『やることちゃんとできて思いやりのある人』になりたい。
人を思いやることが苦手なのはずっと変わらないんだけど、そこには私の良さも隠れてるかなとやっと思えてきたところがこの4年間の進歩かな。