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アレ?書の国ではなかったの?

 ここ数日、子供の頃習っていた習字熱が再燃している私。でも、白い紙に黒い墨だけで書くのは、直にレベルが出るのでデジタル加工して色と背景トーンをつけて文字通り色を添えてもらう事で自己満足。

でも、私には憧れの字があります。

ヘッダーのガチの書道は私の字ではなく、私の友達の中で一番達筆なL(男性)が、私の好きな漢詩「楓橋夜泊<張継>」を書いてくれたものです。

私が仕事で香港事務所に来る前は、広州にある工場に二年間住んでおりました。400人余りの工場で、たくさんの子らが四川や湖南や黒竜江省など、広東省以外のところから出稼ぎに来ており、平均年齢は若すぎてここで言うのがはばかられるくらいです。友人Lは工場のある部門の副部門長でした。

広州時代にLと遊んだ記事↓↓

こっちの香港の旦那の友人Lさまとは全くの別人です。

Lは中卒でしたが運動神経抜群で、字もめちゃめちゃ達筆でした。彼は、漢詩の他に、もう一つ作品をプレゼントしてくれたのですが、当時は読めない文字もあり、よくわかりませんでしたが、後にそれが武術を習う時に師匠に教えてもらい胸に刻んだ言葉だと気づいて不思議な縁を感じました。

《月落烏啼霜滿天  江楓漁火對愁眠。 姑蘇城外寒山寺  夜半鐘聲到客船。》

情景描写の漢詩です。ここに込められた心情など興味ある方はこちら

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↓↓《書山有路勤為徑,學海無涯苦作舟》

本の山では勤を以て道とし、果てなき学びの海では苦行を船とす。

(文武共に)「学ぶ」という事には果てがなく、ただ真面目にひたむきにやる人のみが、高みに近づけるだろう、的な意味で、私は詠春拳の師匠に、この言葉を教えてもらいました。

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ともあれ、中国時代、広州工場にいた現場の人たちは、中卒のLを始め(何てったって工場の平均年齢が1〇歳ですから)学歴問わず誰もがみな達筆でした。さすが漢字の国、書の国だなと思っていました。

Lの家で(工業区内の宿舎にあるグラウンドの向こう側に既婚者が住む小屋がありました)彼の奥さん(同じ工場の同じ部門の女子でした)の料理を食べている横で、彼がさらさらと文字を書き、この二点を贈ってくれ、その時「あ~、こういう字がさらっと一発で書けたら、どんなに楽しいだろうな~」と思いました。

彼と同じ字とは言いませんが、私もいつか自分で、この2作品を書いて自分が満足できる事が、私の目標です。

ところが香港に来ると、状況は一変して変わりました。

子供はおろか、大人、しかもだいぶいい年の大人も、皆字がへったくそなのです。

私が子供の頃は、習い事と言えば「習字」か「そろばん」が最も普遍的な習い事で、塾やピアノには行けない子でも「習字」だけは習っている子も少なくありませんでした。

そして日本では、例え習字を習っていなくても習字の時間というのが授業でもありました。なので習字を習っている子に敵わなくても、みんなそれなりの字を書けます。

漢字も書も中国から伝来してきて、日本でこれだけ発展し、みんなそれなりの字が書けることが「標準」で育ってきた私にとって、香港の人たちの「あんまりにもヒドイ字」はとても衝撃的でした。

ヒドイ字のみならず、繁体字という、画数の多い難しい方の漢字を主体としながら、それが正しく書けない人、知らない人のなんと多い事か。

漢字(漢字から出来た平仮名、片仮名も含めて)バランス学だと思っていたのですが、ここの人たちは同じ字を書くのに、「この字はこういうバランスで書くのがオリジナルですよ」という事を何で習ってきてないのか、それが驚きでした。

それが、イギリス統治下で学校教育の中では英語がメインで来ているから、という背景と結びついたのはだいぶ後の事でした。

なので、ここ香港では書道は、その気がある人だけが身に着ける特殊技術のようです。「字に美しさを求めないというスタンダード」が出来上がっているので、就学や就職にそれを求められる事もなければ、こんな文字を書きたい、という執着さえ持ちあわせていないように見えます。

かたや、私は別にこれが今後何かの役に立つわけでも、書で身を立てていけるわけでもないのに、再び目標を立てて追いかけようとしています。

何をどこまで求めるか、という基準はお国柄でもそれぞれ、人でもそれぞれだなと思いつつ、自分の固執癖をちょっと思い知らされた気がしています。


お陰様で

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ハザカイユウ
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