『コロナ禍と出会い直す』磯野真帆さんの本に、恐ろしいほど納得した夜
『コロナ禍と出会いなおす
―不要不急の人類学ノート』
という本を読んだ。
私が、コロナ禍に感じていた違和感
メディアの恐怖を煽るような毎日の報道、
東京が悪となり、
県をまたぐ行動が悪とされたことなど、
もやもやしていた違和感の理由が
この本を読んで何となくわかったような気がした。
著者である、磯野真帆さんは
文化人類学者、医療人類学者という
「文化と医療」両側面を持ち得る人類学者さん。
だからこそ、エビデンスベースと文化的な両側面が
本の中で語られるため、さらに納得感がある。
一番私が納得したのは下記だ。
「和をもって極端となす」
これを読んだとき、この方は
日本社会の根幹を語っている。
そう感じずにはいられなかった。
コロナというパニック、感染症をきっかけに、
日本社会、日本人に相変わらず残る
問題の本質を深堀せず
表面的に問題解決したように組織や意識がふるまう姿そのものが浮き彫りにされた一冊。
興味深いのは、著者磯野真帆さんは、批判するためにこの本を書いているのではないということ。
エピローグにも書かれているが、
「同じ社会を未来に残したくない」
同じような感染症が世界を、日本を襲ったときに
前回と同じような対応をしているようでは、
本当の意味での弱者が救われないからだ。
目次だけでも、
この本がいかに面白いかわかっていただけるのでは?
プロローグ 私たちがコロナ禍に出会い直さねばならない理由
1章 新型コロナの”正しい理解”を問い直す―人類学の使い道
1.専門家たちとコロナ禍の奇妙な感染対策
2.科学的事実を舞台の小道具のように捉えてみる
3.人類学の有用性
補論1 アクリル板とは一体なんだったのか?
2章 新型コロナと出会い直すー医療人類学にとって病気とは何か
1.医療人類学の祖が説く「病気」の2分類
2.生物学と数値だけで病気を理解することの限界
3.事例検証:感染者相関図が作った病気
補論2 不調に名前がつくということー「コロナ後遺症」をめぐって
3章 「県外リスク」の作り方ー医療人類学と三つの身体
1.事例検証:実は奇妙な「県外リスク」
2.個人的身体・社会的身体・政治的身体
3.県をまたぐ移動の自粛要請はなぜ「大成功」を収めたか
補論3 島の境界ー 濃厚接触者たちの理不尽な2週間
4章 新型コロナと気の力ー感染拡大を招いたのは国民の「気の緩み」?
1.コロナ禍で現れた160件の「気の緩み」
2.「気」の文化人類学的試論へ
3.事例検証:離島の介護施設で発生したクラスター
補論4 緊急事態宣言と雨乞い
5章 私たちはなぜやりすぎたのかー日本社会の「感じ方の癖」
1.文化の型ーベネディクトの議論
2.「思考の癖」から「感じ方の癖」へ
補論5 ありきたりの発言に勇気を要した日
6章 いのちを大切にするとは何か?-介護施設いろ葉の選択
1.周到な準備とユーモア、「仕方ない」への抵抗
2.クラスター発生、驚きの発想
3.「責任を取る」とは何か
エピローグ コロナ禍の「正義」に抗う
この本を読んで、
日本の政治、メディア、体制、組織、考え方の癖、
そしてもはや考えない、思考停止となる大人たち、、、、
様々な側面で????と思ったことに光が見えた気がした。
エピローグにも、6章にもあった、
介護施設いろ葉代表の方のことば
「「責任を取る」とは、なぜ自分がそれをやったかを説明できること」
「みんながそうやっているからやる。上からそう言われたからやる。こういう姿勢ではケアは成り立たない」
ここにたくさんの意味が込められている、
そう感じた一冊であった。