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haruka460
洗脳と教育の境目。科学教を打破せよ
ある考え方を「正」として、その考え方を人にインストールさせようとする点でいえば、教育と洗脳は同じだ。
どこが違うか?
洗脳はどうか?こちらは例えば、オウム真理教などの教義であれば、それを絶対的な揺るぎないものとして教え込まれる。そこで何故?を問う余地はない。
例えば、小学校で習う科学的な基礎知識、これらは教育と呼ばれるだろう。ただ、よくよく考えると、一般的な教育現場では、これらを絶対的な知識として教えているように思える。
しかし、よくよく考えてみると、科学的な知識といっても、それは絶対的なものではない。ある方法に従って導かれた規則であり、暫定的なものだ。でも一般的な教育ではそこに触れず、疑う余地のないもののように教え込む。
本来、洗脳と教育の違いは、その教える知識や技能が、「暫定的」なものであり、なぜそれを正しいとしているか、誰もが確かめられる方法で組み立てられたものであることを、提示する、という点にあるべきだ。
でも、一般的な教育では、科学的な方法で導かれたものは絶対的な「正」として教えられるので、これはある種、科学教の洗脳である。
科学的な知識も、かなり疑いようのないレベルで実験に裏付けられたものから、心理学などツッコミどころ満載な科学もある。
本当の教育とは、科学も1つの普遍性を求める方法であり、その欠陥も周知してから、科学的知識を暫定的なものとして教える、というものであるべきだろう。