多くの人が自分と世界を深く理解できるようになるために #ハンナ・アーレント #教養
私は大学生の頃から、何か今までにない面白いプロダクトを作りたいとずっと考えてきて、今でもそれは変わらない。プロダクトとは、別に形あるものでなくても、サービスでもいいし、ある個人に体験を与えるもの全てが含まれる。
現時点で、語学コーチングサービスを提供しているのは、個人の体験として最も価値あるものが語学力が確実に伸びることだと考えているからだ。世の中には時価総額何兆円とか、ブロックチェーンとかいろいろなトレンドがあるが、それを享受する最終ユーザーの体験を考えてみたとき、インパクトがあるものは少ない。
基本的にグローバル資本主義社会においては「働く」ことが基本になる。なので、私も今はビジネスの枠で考えて行動せざるをえない。(自分に資産が何億円もあれば別だが)
さて、今日の本題。
もし、この「ビジネス」を取っ払ってゼロベースで最高の体験を考えたらどうだろうか?
現時点で私が最も面白い!価値ある!と思うのは、「自分と世界を深く理解する」という体験だと思う。
これを最初から説明するととてつもなく長くなってしまうポイントだけ。
「自分と世界を深く理解する」とは、つまり、全てを受け入れることができる状態だ。自分を知ることは世界を知ること、釈迦の悟りとは、全てがつながっていることにリアリティを持つこと。
こういう状態になると、あらゆることに深い意味を見出すことができる。
仮にこの状態になることが本当に価値あることだとすると、では、どうやってその状態になることができるか?
私は、鍵となるのは「対話を通じて自己開示していき他者の反応を沢山見聞きする」ことだと思う。
これも理由を説明すると長くなるので、ここでは措く。
人々はある初期値と傾向を持って生まれ、その後は社会の境遇の中で様々な対象とコミュニーケーションし、価値観や世界観、能力を形成する。
そこに甲乙をつけるようなことはなく、各自がそれぞれの方向にそれらを形成するだけである。
この固有性は、自然に形成されたものであり何の嘘偽りもない。その固有性に起因したものが社会に反する言動を生じさせた場合、それはその個人の問題ではなく社会の問題だ。
でも、一般的に人はそうした固有性に無自覚だし、世の中は権力と金のゲームが主軸なのでそうした自分の個性をその軸で判断してしまい、自分の固有性に目を向けない。
自分の固有性をどうにか明らかにし社会にフィードバックする営みこそが、最高の状態だと思う。
みんなにこういう機会があればいいと思うが、それはなかなか難しい。
ただ対話の機会を与えても、本人がやる気がないと意味がない。
これを行うためには、どういう取り組み方がいいのだろう。
ビジネスで何かサービスを作る、というのも違うと思う。。
道端で人生相談を受け付けるのも違うと思う。。
ハンナ・アーレントは、自分がWHOであるかをみんなにわからせるを能力を「教養」と定義したが、まさにこの「教養」が必要なのである。でもそれは、誰にとっても実はとてつもなく努力が必要なことだ。
突き詰めると、親が子供を育てるくらいのコミットが必要なのかもしれない。
長期的に考えていきたい。