現代のデータ分析が新たに光りを当てる、 倉橋惣三の保育カリキュラム構想
保育園に通う子どもの発達記録を分析した結果から、日本の幼児教育の創設者の一人である倉橋惣三の保育カリキュラムについて、再考してみました。
発達行動の4分類、ホップ、ステップ、ジャンプ、アドバンス
上の図は、2500人以上の保育園の子どもたちの発達記録のデータを完全に匿名加工して、個人を特定できないようにしたデータに基づいた分析結果を、散布図として表示したものである。元データは、保育士が子どもの行動を観察し、ある行動ができたかどうかを毎月チェックするというスタイルの様式に記録(発達経過記録)されたデータである。
この分析の基本的な発想は、チェックしている行動項目について、いつ頃、どれ位の子どもができると判断されたかによって、行動項目の性質を分類できるのではないかというものだ。
計算する比率は、「期首達成率」と「成長率」の2とし、期首達成率は、年度初めの4月の記録の段階で、ある行動項目が「できる」と判断されている子どもの比率である。成長率は、4月段階で出来ていなかった子どもの中で、最新時点において、その行動項目が「できる」と判断されるようになった割合としている。
この二つの比率の高低によって、チェックしている行動項目を4つに分類でき、その4分類を、ホップ、ステップ、ジャンプ、アドバンスと名付けることにした。
上の図のように、0歳児のグループから、5歳児のグループと6種類の散布図を作成することができ、この散布図の配置では、右上の第1象限が「ホップ」、左上の第2象限が「ステップ」、右下の第3象限が「ジャンプ」、そして左下の第4象限が「アドバンス」となる。各象限に描かれている点が、各行動項目を表していることになる。
<ホップとステップ>
4分類の中身を詳説すると、ホップ(第1象限)は、期首達成率が高く、成長率も高い行動項目であり、ステップ(第2象限)は、期首達成率は低いものの、成長率が高い行動項目である。このホップとステップが、その年齢の子ども達の発達過程のコアを形成しているものと考えられるのではなかろうか。
<ジャンプとアドバンス>
一方、ジャンプは、期首達成率は高いが、成長率が伸び悩む行動項目となり、また、アドバンスは、期首達成率も低く、成長率も低い項目となる。ジャンプに該当する行動項目とは、その年齢では「できる子はできるが、できない子はできない」という個性が現れる行動と考えることができる。そうなると、「できた」子どもは更にその点を伸ばしてやる、「できない」子どもにはチャンスは与えるが、無理強いしないということになろう。アドバンスについては、そもそも、その年齢では難しいということなので、長い目で見ていく行動項目ということになるだろう。
達成度合分類に応じた保護者対応
子どもたちの発達過程における一人ひとりの個性を重視し、平均的な子どもの姿、つまり定型発達というものに重きが置かれなくなっている状況でも、保護者からの、ある行動が出来なくて心配だという相談はどうしても存在するだろう。
このような散布図や4分類は、大規模な集団についても作成できるが、勿論、クラス単位の小規模集団についても作成が可能であり、先に述べたような保護者からの相談についても、クラスの今に基づいた4分類や過去の同じ年齢のクラスの4分類に応じて、ある行動ができていないという状態について、より的確な説明を保育士ができるようになるのではないだろうか。
さて、このような記録対象の行動を達成度に応じで分類したものは、日々の指導計画を策定するときに活用できることはご理解いただけるだろう。ただ、その際には、やはり保育のカリキュラムがどのように「構造化」されるべきか、ということと密接に関連してくるはずである。
倉橋惣三の「系統的保育案」とは?
そこで、今回は、倉橋惣三の『系統的保育案』の内容を吟味してみたい。ここでは、宍戸建夫「日本における保育カリキュラム 歴史と課題」の「第1章 日本における保育カリキュラムの誕生」「三 『系統的保育案』の完成-「誘導保育案」を主軸とする保育カリキュラムの構築」での分析に基づいて議論したい。
同書p56では、「『系統的保育案』は、日本ではじめての構造的な保育カリキュラムであり、それは、戦後の保育カリキュラムの発展へと連続する先駆的な業績であった。」と高く評価されている。
この先駆的な保育カリキュラムと評価される倉橋の『系統的保育』の構造に、試論的に、先の4分類から新しい光を当ててみることとしたい。
同書p45によると、倉橋の『系統的保育案』の構成は、大きくA「生活」とB「保育設定案」から成り立っており、それぞれが更に、2つに分類される。A「生活」は、「自由遊戯」と「生活訓練」に、そして、B「保育設定案」は、「誘導保育案」と「課程保育案」に分けられている。狭義の保育案、現代的にいえば、指導計画が、「誘導保育案」と「課程保育案」によって構成されているということになる。
<誘導保育案>
「誘導保育案」とは、「子どもが何の気もなく唯やつて居ります自由遊びの中の各要素、主題と計画と及び期待効果と云うものを、自然のまま以上にはつきりさしてきたものであるといえます。」と倉橋自身が語っている。
その説明に続く実例をみると、現代的にはプロジェクト型の活動が念頭に置かれているようだ。紹介されている「おもちゃ屋」という主題では、玩具をつくる⇒お店をつくる⇒おもちゃ屋ごっこの計画をたてる⇒おもちゃ屋ごっこを行う、という一連の流れを一定の時間をかけて行うというものになる。
<課程保育案>
「課程保育案」の方は、保育項目のそれぞれが誘導保育案の中にすべて導き入れられてしまうのではなく、独自に取り上げて指導する必要がある保育項目であり、倉橋は「幼稚園にも、練習を主とする方面があり、各保育項目の教育的期待効果を強調せんとすることもあり、全然誘導保育案のみではそれが出来難い。」と述べている。
つまり、倉橋の系統的保育案は、保育者が構成する保育として、「誘導」と「課程」があり、それと密接に関係するように自由遊戯と生活訓練が配置されるというものとなっている。そして、それらの保育が理想的に展開した場合のことを、倉橋、は次のように述べている(「以上」より下は、同書著者のコメント、同書 p54)。
「若しも非常に理想的な場合を言いましたならば、課程保育案が誘導保育案の中にずうつと溶込んでいながら、而も各保育項目がきちんきちんと徹底的に各期待効果を遂げ得る様に指導され、それが又更にその誘導保育が子どもの生活の方にずつと這入り込んで自由遊びと一緒になって来たならば、それこそ実に天国幼稚園、理想幼稚園とはこう言うのを言うのであります。けれどもそれをただ形だけ真似て、『見て下さいこの自然さを。この自由さを!』と言っても、中身が実はぼやっとして、折角くの期待効果がちゃんと現れて来なければ全体としては甚だ微力なものになります。そこで効果ある保育にしようとすると抜出して来てやらなければならないし、全体的の形にしようとすると効果がいい加減になる。そこに保育案のむづかしい問題があるのであります。」
以上のように、「課程保育案」が「誘導保育案」の中に入りこみ、保育項目がきちんと期待効果をあげながら、「自由遊戯」と一体となって展開されることが期待されている。しかし、実際は理想どおりにはいかない。ときには、「期待効果」をあげるためには、保育項目をぬき出してやらなければならないことが「むづかしい問題」であると指摘している。
4分類と系統的保育案
さて、先の4分類と倉橋の「誘導保育」と「課程保育」について考えみたい。
当該年齢の発達過程において、基礎、土台となるものと考えられるホップ、ステップに分類される行動項目(保育項目)では、クラス全体の取り組みを促すということから、自由遊戯の中での発達のみではなく、やはり誘導保育を如何に企画していくが重要となろう。
他方、年度の終わりが見てきた時点でも、ホップやステップの行動項目(保育項目)について、達成できていない子どもの当該項目への取り組み意欲を喚起するように「課程保育」も視野にいれて、多少練習的な関わり方や指導計画を考えることになろう。
クラス全体でジャンプやアドバンスに取り組む場合には、集団的に取り組むことになる誘導保育の中で、課題達成、倉橋の言葉で言えば期待効果を設定していくことになる。
倉橋が指摘しているように、漫然と自由遊戯を子どもたちにさせているだけでは、必ずしも、期待効果は得られないということなるが、誘導保育と課程保育(さらには自由遊戯)のどのように組み合わせるのかを検討する際に、実データに基づいた4分類のような、行動項目の性質把握(達成状況)が寄与し、同時に、そのような性質把握によって、倉橋の誘導と課程の保育案の意味するところに、新しい光を当てることができるように思われる。
今回は、具体的な行動項目(保育項目)が、先の4分類のどこに属しているかといった分析結果は紹介していないが、我々の研究、分析がさらに進んだ段階でご紹介できればと思っている。