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「帝国の陰謀」蓮實重彦著

 マルクス経済学者で「帝国の陰謀」(蓮實重彦著)を論評したものを、私は寡聞にして知らないが、文芸評論など経済学と関係ないということだろうか。だが理論的探究にとって文学や経済学という区分は関係ない。
 「帝国の陰謀」はマルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」(以下「ルイ書」とする)への批判であり、マルクスと言えども自己の理論図式にとらわれて、理論の対象物以外のものを見失うことが鮮やかに示されている、と私は思う。
 言わば理論図式というサーチライトに照らされて、対象物以外が闇に閉ざされてしまうようなものである。
 この「帝国の陰謀」において蓮實重彦が注目するド・モルニなる人物とは一体何者なのか?
 大月書店オンライン版マルクス・エンゲルス全集の人物索引で検索すると、全部で29箇所ヒットする。初出は1852年、つまり1851年クーデタの翌年に書かれたルイ書であるが、ただ一箇所だけ、それもド・モルニ氏本人ではなく彼の愛人の言葉しか引用していない。その後、マルクスはモルニ氏の資産形成まで調べ上げて関心は示すものの、ルイ・ボナパルト周辺の猟官あさりの小物扱いである。ところが最後にヒットした1873年のエンゲルス宛書簡では、クーデタの「ほんとうのマネージャーだったモルニ氏」と書かれている。これは「帝国の陰謀」における蓮實重彦のド・モルニ評価と一致している。
 このマルクス・エンゲルス全集の中を影のように通り過ぎる人物、ド・モルニは内務大臣・立法院議長を歴任してるのだから、決して小物ではない。しかもルイ・ボナパルトの義弟でもある。にもかかわらず、ルイ書ではほとんど注目されていない。なぜか?
 それは「帝国の陰謀」が鮮やかに解明しているのだが、オルレアン派としてブルジョアジーに通じていたド・モルニ氏が、農民・ルンプロを結集してブルジョアジーと対立したルイ・ボナパルトというマルクスの理論図式に合致しない人物だからである。
 だが蓮實重彦の指摘するとおり、帝国の維持は「産業界や金融界を支配するブルジョワジーの、積極的ではないにせよ消極的な共犯関係なしにはその成功はありえなかった」(「帝国の陰謀」蓮實重彦著)はずであり、義弟ド・モルニ氏の「その領域での義弟による政治の非深刻化というシニカルな政治性が、「帝国」の維持に無視しがたい威力を発揮することになる」(同上)のである。
 「政治の非深刻化というシニカルな政治性」とは実に見事な表現であり、使ってみたくなる言い回しである。現在の日本の政治状況にもあてはまるかもしれない。
 結論だけを要約してしまうと、マルクスとは少し視点をずらしただけのように見えるが、この結論へ至るまでの分析はルイ書とはまったく異なる。
 しかもルイ書とは別の理論図式を提示するのではなく、むしろ理論の抹消により対抗している。あたかも理論図式で人物を取り扱うことが観念論だというように、歴史上の目立たない人物を唯物論的に擁護しているようだ。
 思うに蓮實重彦の評論はバルトよりもなお一層、理論化への意志が希薄というか、誰もが見逃していることを指摘することがすべてであって、その点では映画評論と共通している。
 だがドゥルーズが指摘するとおり、文化的な貧しさとは、喪失したものが何であるか人々が気づいていないことである。
 
 いずれにせよ、マルクスが1873年はともかく、1851年クーデタ直後のルイ書においてド・モルニを過小評価したのは、ルイ書に内在する理論図式によることが鮮やかに示されている。
 事の当否は別として「帝国の陰謀」がルイ書とはまったく異なる相貌を歴史に与えているのは確かであり、歴史家もマルクス主義者もそのことにもっと驚いていいはずだ。ルイ書とともに「帝国の陰謀」を併読するべきである。
 してみると理論が自らの理論図式によって理論の対象物以外のものを見失うというのは、ルイ書だけでなく「資本論」にもあてはまるかもしれない。
 それはまた「資本論」の理論図式を徹底させることで、資本主義の外部を闇に閉ざした宇野理論の呪縛からの解放にも繋がるのである。
 蓮實重彦がルイ書におけるド・モルニ氏へのわずかな言及を徴候として読んだように、我々もまた資本論における理論図式に収まらない資料への言及を見つけ出し、それを徴候として読むべきであろう。
 それが「帝国の陰謀」に対する生産的な受けとめ方だと思う。 

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