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オーガニックというあやふや【八百屋から見た“食”no.64】

初見の方にたいがい聞かれます。

「この店、オーガニックではないんですか?」


週1以上聞かれますので、20年も店やってると累計千回はゆうに越えましたか。

私は、つぎのようにお答えしています。

「農薬を使わないからイイモノ、というステレオタイプな解釈をしてほしくないので、誰が作って届いたかを大切にしています」

「誰が作ったかがいちばん大切で、農薬使う使わないで買い物するのは好き嫌いの範疇に留めてほしいんですよね。表記あるかないかなんて言ったもん勝ち(そもそも表示NG)ですし。採れたて食べて美味しいー!って素直に思える感覚がいちばん大事じゃないですかね?」と。

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お客さんひとりひとりの解釈が異なるオーガニック
販売者が自主設定でイイモノと広めるオーガニック
発信者が薄い根拠で好き勝手に言えるオーガニック

そんなあやふやな表現に、永年出荷いただく野菜やくだもの、自らセレクトした食材を委ねたくないんですよね。「農薬は天然由来を優先しなるべく使わない」は果たしてオーガニックなのでしょうか?

実際、オーガニックだから美味しいと生産者に伝えても、オーガニックの生産者は喜ばないです。複雑な顔をされる方が大半です。オーガニックは生産者のストロングポイントではありません。いち流派です。オーガニックの上に生産者各自の創意工夫があって農産物&食品が出来上がります。

品種選択・土壌(養分)設計からはじまり、生育時の手間や工夫、アクシデントへの対応、ぎりぎりまで木に成らせ熟した実をもぐタイミング、収穫後選別の厳格化、適した鮮度熟度で出荷しているか。ここまでが生産者マター。施肥や防除はその過程の1つであり、予防&処方箋的使用に留まる現代の農薬や肥料が(天然由来であってもなくても)マイナスに作用することはまずありません(マイナスなら使わない)。

売場マターは仕入れた食材を美味しい状態で渡せているか。
消費者は美味しさ損なわないうちに食べたか。
生産者→販売者→消費者へと続く一連の流れのすべてがプラスに関わる(マイナスしない)ことで、状態の良さや美味しさの評価へと昇華します。

食べる時点の安全度(キケン度)はオーガニックであってもなくても同じレベルです。栽培時の農薬使用不使用と食品衛生を混同されている方があまりに多すぎます。オーガニックだから安全というのは不正解(不明瞭)です。

なぜ、ありがたがられているか。わかりません。
オーガニックは流派。生産者のポリシーを最大限尊重した販売であってほしいのですが、情報の発信側・受信側がオーガニックという“表現”を過大に評価し神聖化(高付加価値化)している、永年都合よく使っているように見えます。

オーガニック農産物だけでなく、原材料を厳選し丁寧な製法で作る食品もオーガニック商売の範疇にゆるーく入ってしまっている気もします。うがった見方でしょうか?

やはり曖昧に見えてしまうので販売者たる私がオーガニックという表現を使うことはありません。

結局は誰が育てたか・作ったか。生産者を明示できる販売者かどうか。
オーガニックであってもなくても「生産者」を買う基準にしていただくことがいちばん確実な買い物ですし、生産者各位・直接仕入の食料品店(同業)の皆も嬉しいはずです。


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↓過去投稿:オーガニック関連


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