競技武道としての空手と古流武術としての空手(唐手)は別ものだという話
今年のゴールデンウィークは、スキマ時間にもたっぷり時間が取れるときも空手の歴史や変遷などを調べたりして、のんびり過ごすことにしていたんですね。
急な用事や予期せぬトラブルなどで、思うようにいかないまでも、予定していた学びができている感じです。
今回の学びの中であらためて実感したのが、現在の競技として普及している空手道と、競技化する前の本来の武術として存在していた空手(唐手)との大きな違いでしたね。
両者を同列において比べること自体が、今となってはナンセンスなのかも知れないけど、両者の違いを理解しないままで評論してしまうと、古流空手の凄さに気がつかないだろうし、本質を見誤ってしまいそうです。
オリンピックにも採用されることになった空手は、型試合で競う演武にしても打撃の有効性をもとにポイント制で勝敗を決める組手にしても、スポーツ競技として行なわれる競技試合になっていますよね。
これは講道館柔道も同じで、柔術から危険な技を除外して、乱取りという組み合うスタイルの稽古を導入したことで、一気にスポーツ競技化の道を拓きオリンピック競技に組み込まれました。
柔道もスポーツ競技化してきたことで、西洋の運動文化の波に流されて鍛錬にも筋力トレーニングに重きを置くようになってしまい、勝負の公平性という名目で、ボクシングやレスリングのように重量制が採用されています。
古流武術には重量制もなく、剣道においてはいまだ重量制はないのでまだマシだと思うものの、現代の剣道もスポーツ競技化しているのは言うまでもありません。
いや、別にスポーツ競技化していくというのが、悪いと言っているんじゃありませんよ。😅
空手の例をとると、現在のオリンピック競技としての空手で型試合として演武される型は、見映え重視でメリハリを付けていかにも「らしく」見えるような演武になっているということを、理解しておきたいということですね。
空手の型試合であれば、こういう手順でこういう技の形を繰り返して組み立てるという決まり事、ルールを作り、そのルールに沿って優劣を審判たちが決めているわけです。
そこにあるのは、武術としての強さや、奥義の修得度合いという評価の目ではなく、定めたルールに従って有効ポイントをより多く集めたほうが勝利するという、西洋スタイルの勝敗基準が採用されているのですよ。
そういった競技武道としての空手を見て、空手という武道・武術はこんなものなんだと、勝手に勘違いしてしまう人が増えることを懸念してしまうのですね。
現代に伝わっている剣道と剣術も別ものですが、競技空手と武術空手もまた別ものだということをよくわきまえておきたいな、と。
まぁ、そんなことを考えながらの学びでした。
まだまだ、時間をかけて研究したいと思います。
ってことで、今回は
「競技武道としての空手と古流武術としての空手(唐手)は別ものだという話」という空手の歴史や変遷を調べて実感した思いでした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
多様化の 目で見て比較 のほほんと
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