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大阪駅のホームレスのお婆さんの後ろ姿が妻にそっくりで思わず涙が流れた話
私たち夫婦は十数回引っ越しをしているけど、30歳から32歳までの2年間を転職したために、大阪に住んでいたのですよ。
その大阪にいた頃の思い出話をしてみたいと思います。
その当時、九州・鹿児島から転職で大阪に引っ越してきた私たちは、大阪北部の吹田市のマンションに住み、地下鉄御堂筋線の桃山台という駅から淀屋橋の会社まで通っていたのですね。
正確には、桃山台駅から御堂筋線の江坂駅までは「北大阪急行電鉄南北線」なんだけど、そのまま新大阪を途中駅に持つ「地下鉄御堂筋線」に相互乗り入れしていて、大阪都心部への幹線鉄道として利用者も多かったのですよ。
今でも新幹線で大阪入りするときには、当時のことを懐かしく思い出すんですね。
会社の勤務時間は9時~5時で、残業も少なかった仕事でしたし部門も新規事業企画部という新たな事業のタネを探す部署で、もっぱらクレジットシステムの新企画立案を担当していました。
そんな職務だったので、大阪に出てきたばかりの田舎者としては、勤務時間も仕事内容もちょうど良い塩梅だったんですよ。😄
定時の勤務が終わるや、先輩たちと連れだって心斎橋方向にブラブラしながら腰を落ち着けて呑める店を物色し、歩き疲れた頃に適当な店に転がり込んで割り勘呑み会が始まるという日々でした。
そうやって割り勘でやすい酒を呑んだあとに、心斎橋駅や難波駅から帰宅する先輩たちと違って、1人だけ帰りが逆方向になるもんだから、またぶらぶら大阪駅方向に向かって一人で引き返すことが多かったのです。
いつものようにぶらぶら歩いて、賑わっている通りを引き返して大阪梅田駅から御堂筋線に乗車しようとしたある日のこと、私の胸を鷲づかみしたのがホームレスのお婆さんの後ろ姿でした。😨
遠目で見たホームレスのお婆さんの後ろ姿が、私の愛妻の後ろ姿にそっくりすぎて、思わず胸を鷲づかみされたような衝撃を受けたのです。
今でも思い出せるくらい、そのときの衝撃はずっと胸に突き刺さったまま消えてはいないのですよ。
地下鉄の梅田駅の改札口より、ずっと手前に自動券売機がずらりと並んでいるのだけど、キップを買う乗客の間をうろうろしている、ホームレスのお婆さんの姿が目に止まったんですよね。
そのお婆さんは、自動券売機の釣り銭放出口に手を突っ込んでは、隣の券売機に移り、また手を突っ込んでは隣に移る、という行為を、緩慢な動作で何度も何度も繰り返しているのです。
ホームレスだろうというのはその着衣と、近くに寄ったときの異臭が物語っていたので間違いはないと思う。
そのホームレスの人たち特有の異臭に顔を歪めながら、呼吸を止めている風の表情で、急いでキップを買い、足早にお婆さんの近くから遠ざかる乗客がほとんどでした。
でも私は、そのお婆さんの姿を見て、胸にこみ上げてくる想いがあり、その場に立ち尽くしたままで、しばらくは動けなかったんですよ。😢
何度も何度も券売機の間を移動しながら、同じことを繰り返しているお婆さんの緩慢な動作に釘付けにされたまま、動けなかったのです。
よくよく見ていると、最初は相当な年齢のお婆さんに見えたのが、肌のハリ具合や顔のシワシワの観察具合で、緩慢な動作の見かけで感じた年齢より案外若そうなことに気づかされました。
その一見してお婆さんに見える、その髪型が、頭のてっぺん付近でタマネギみたいに括ってあるのです。
私はその髪型から、勝手にタマネギさんと呼んでいたけど、この衝撃を受けた日から梅田駅を利用するたびに、そのホームレスのタマネギさんを探すようになってしまったんですよ。😥
いつもタマネギさんと会えるわけではないのですが、会えない日が何日も続くと心配してしまうのですね。
「もしかして死んじゃったのかなぁ?」とか「ちゃんとご飯を食べられているのかなぁ?」とか「どこに住んでるのだろうなぁ?」とか、余計なことを考えては、ずっとタマネギさんのことが頭に残ったままになるのです。😥
だからといって、タマネギさんと出会えた日にも、何か声をかけてあげるわけでもなく、何かを援助してあげるわけでもなく、お金や食べ物を差し出すわけでもないのに、ただ気にしているだけの意気地無し。
なぜかというと、そういう行為をすることがタマネギさんのプライドを傷つけやしないかと、心配でなかなか行動に移せなかったのですよ。
そんなだから、ただじっと見守っているだけの関係。
それも、たった1時間程度の、わずかな時間の見守りだけ。
私の胸を鷲づかみしたタマネギさんの後ろ姿が、私の妻の老後ではないかとそんな気がして、そのお婆さんの後ろ姿に我が妻の老後の姿を重ねてしまったんですよ。
今、こうやって目の前で、自動券売機の釣り銭をあさっているこのホームレスの女性は、私が先立った後に残されて、たった独りで生きていかなきゃいけなくなった私の、大切な大切な、妻の姿なんじゃなかろうか・・・・?😭
髪をアップにして、タマネギのように括ったヘアスタイルも、後ろ姿の頼りなげな、か細い感じも、私の妻にそっくりだっったんですよ。
その後ろ姿があまりにも似ているだけに、自分がいなくなってしまったあとの、未来の妻の姿ではないかと、彼女を重ねて見つめていたのです。😢
見つめているうちに、いつしか涙が流れ出して止まらなくなりました。
私が死んだら、悲しみのあまりに正気を失い狂気の世界へ踏み込むか、現実から逃れようとして認知症になるかも知れない・・・・そんな妻の姿が、今、目の前にあるのじゃないだろうか。
そんな思いで、ずっと駅の構内をうろうろと行ったり来たりしながら、釣り銭を漁っているタマネギさんの後ろ姿を、ただ見つめ続けていたのです。
大阪には、2年間しか住まなかった。
引っ越し荷物を送り出し、大阪から上京する日に、梅田駅までひとりで行ってみたけど、タマネギさんの姿はどこにもなかったんですよ。
しばらくうろうろして探してはみましたが、どこにも見当たらないのです。
どうせ見かけても、タマネギさんとの別れは無言のままの別れになるに違いなく、タマネギさんと出会えないままで、それらしい別れの儀式もせずに胸の中で別れを告げて、妻の待つ新大阪駅に向かい新幹線に飛び乗りました。
それから何年も経過したけど、ふとしたときにタマネギさんの後ろ姿を思い出すのです。
今も私は生きている。
生きているから、妻も笑顔で横にいる。
妻を、タマネギさんにしなくて良かったと、つくづく思う今日この頃です。
絶対に妻を、タマネギさんのような姿には、しない!
そう踏ん張って生きてきたから、今があるのだと思う。
タマネギさんのおかげで、今も、夫婦仲良く暮らせているのだろうと思う。
最後に見かけたあの日から、タマネギさんはどこで何をしてるのだろうか?
四十年近くの歳月は、タマネギさんにとって厳しい年月だったろう。
今でもタマネギさんのその後を心配しつつ、ときおり思い出すのです。
そして想い出は、あの日に出会ったタマネギさんが、慣れない大阪に引っ越してきて、不安で寂しい想いで暮らしていた妻の心が生み出した、幻影だったのではないだろうかって、そんな想いにとらわれてしまうのです。
今も、きっとどこかで、タマネギさんが幸せに暮らしていることを願って。
ってことで、今回は
「大阪駅のホームレスのお婆さんの後ろ姿が妻にそっくりで思わず涙が流れた話」という大阪に住んでいた頃の忘れられない想い出話でした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
過ぎ去りし あの頃想い のほほんと
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