正しいことであるかより優しさがあるかどうかを判断軸にするという生き方がスキ!
一見して正論そうなことを振りかざして周囲の人を傷つけるより、人として優しくあることを大切にすることで、豊かな心で生きられるようにしたいというのが今回お伝えしたいことなんですね。(^_^)b
まずは、安部元総理のご冥福をお祈りいたします。<(_ _)>
今回の不幸な出来事をうけてさっそくSNSにおいては、安部元総理の政治家としての行動や実績や人物像などを持ち出して、過去の功罪がどうのこうのとその功績だけでなく暴き立てるような、まるで鬼の首を取ったような論調での投稿もみられるようです。😢
正しいか正しくないかは、置かれている立場や背景に加えてその人が得てきた知識・知見によって異なるものだと思います。
正しさに絶対を求めるとすれば、人としての普遍的な正しさを持ち出しても100点満点じゃ有り得ないと思うのですよ。(^^ゞ
一見して正しいことに思えるようなことが、立場を変えると正しいことや正義ではなくなることってあると思うのです。
正しさを言い立てるときに、論理的な面からの道理や整合性などを振りかざして正誤を説き伏せようとする人が多いけど、果たしてそれが本当に正しいことなのかは、当の本人の思い込み以上のものじゃないかも知れません。
それくらい正しいかどうかなんてことは、一概にコッチだソレだと、決め付け切れないところがあるのではないでしょうか。🤔
まぁね、条件付きで正しいだろうと判断できそうなことは多いけど、正しいかどうかで物事をみるより、そこに優しさがあるかどうかを判断軸にして導き出した結論や行動を、優しさに裏打ちされたものにしたいのですね。🤗
今回の予期しない卑劣な凶行によって、大切な命を落とされたという事実に向き合い、私たちができることは人としての品性と優しさを保ちつつ、ただただ故人を偲んでご冥福をお祈りする、ということでいいのではないかと。
何より言い返すこともできない故人にむかって、誹謗中傷やご意見めいたご高説は不要です。(^_^)b
人間性を疑われないためにも、今はただ静かに故人の業績を称え二度と還らぬ日々と故人を偲びながら、ご冥福をお祈りすればよろしいかと。
人命の大切さは、政治思想や門地門閥・国籍問わず、だれでも同じように扱われるべきだと思います。
亡くなったあとに、むち打つような発言や行動は慎んでもらいたいと切に願うところですね。
そういう人を傍目でみていても見苦しくてたまらないし、主張されていることが正しそうに訴えておられればおられるほど、人としての底の浅さを感じて引いてしまいますよね。(^_^)b
こういうときにこそ、人の本質があらわれてしまうので、よ~~く観察しておくとのちのちのタメになりそうです。🤣
ってことで、今回は
「正しいことであるかより優しさがあるかどうかを判断軸にするという生き方がスキ!」という優しさを判断軸にしたらどうかという話でした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
ひととして 品性保ち のほほんと
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