糸を半分ずつ持ち合う姿の絆より手を重ね合い一緒に持つ姿のキズナでありたい
中島みゆき作詞・作曲の「糸」と言う曲で歌われる、縦の糸と横の糸を私とあなたに喩えて、織りなす布がいつか誰かの傷をかばったり、暖めたりするかも知れないという歌詞。
ささくれたこんな糸でも、出会うべき糸に出会えて、誰かの傷をかばい誰かの心を暖める布を織ることができることを、仕合わせと呼ぶのだと教え諭してくれる歌詞に、心を打たれる人も多いのではないでしょうか。
この歌詞の糸は、漢字の「絆」をモチーフにしているのではないかと感じるのですが、人は自分のパートナーと赤い糸で結ばれており、その赤い糸をそれぞれが握りしめて、出会うべくして出会う定めなんだとも言われます。
絆・・・・キズナ。
キズナは、お互いに糸を半分こして持ち合っている姿・・・・では、ないのではないかという説をひとつ。
本当のキズナは、一緒になって手を重ね合って1本の命綱をしっかり掴んでいる姿・・・・ではないかと。
仲の良いことも、思い合い労りあうことも、すべてはキズナのうえに成り立っていることではないかと、考える次第。
表面だけを取り繕うための気づかいや忖度では、本当のキズナは結ばれないということですよね。
信頼し合い、ある意味で命を預け合える関係になっているときに、強いキズナで結ばれているというのではないでしょうか。
縦糸と横糸を織り込んで、1枚の布を仕立てる人生も良し。
同じ方向に2本の糸を交互に織り込んで、太いキズナの糸にする人生もまた良し。
そんなことを、寒風に吹き飛ばされそうになりながらも、まだ枯れずに頑張っているコスモスの残り花をみて思うことでした。
ってことで、今回は
「糸を半分ずつ持ち合う姿の絆より手を重ね合い一緒に持つ姿のキズナでありたい」というキズナの在り方についての雑感でした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
困難も 強いキズナで のほほんと
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