でもやっぱり丁寧な暮らしがしたい
キャンドルにハマっていた時期がある。1日の勤務時間6.5時間で、自転車で20分で着く職場だった頃の話だ。
小さな部屋に彼氏とぎゅーぎゅーくっついて眠っていたけれど、睡眠時間もたっぷりあったしスーパーでじっくり野菜を選ぶ時間もあった。
お金持ちではなかったけれど、時間が豊かさを生んでいたのは明白だった。朝は布団をたたみ、歌を流しながら髪を結んで歯を磨いてた。
何を隠そう、今はその頃とは真逆の生活を送っているのだ。
睡眠時間確保のため、帰りは快速列車を狙って職場から早歩きで人混みを通り抜ける。信号一つ、赤になることを許さない、刻一刻と迫る電車の到着時間に合わせて生き急いでる。
家に帰る前にスーパーに寄りたいけれど、その時間すら惜しいのでとにかく家にある適当なもので食事を済ませ、風呂に入っ、、いや、シャワーを秒で浴びる。
パジャマを掴み、無心で着替え、歯を磨き、眠い、明日も仕事か、と思いながら2階の寝室へ。
アラームをかけたかどうか不安で、完全に眠ってしまう前にもう一度確認。
彼氏と今日会ったことを話したいけど、それよりも眠くて、目を瞑ったらそのまま意識を失うように眠ってしまう。
こんな毎日。
給料は良くなったはずなのに、心の豊かさが追いついてこない。
あ、そう、満員電車に揺られながらスマホを眺めて下向いてる人たちに囲まれて少し虚しくなるのを言い忘れた。
私ってなにしてるんだろうなと思うことがある。
SNSに溢れる、「丁寧な暮らし」を実現している人々(カメラの前だけかもしれないけど)。
そんな人たちが画面に映るたび、自分との差に気づき、疲弊する。
部屋の清潔度は心の余裕と同じものだってわかってるのに、部屋はぐちゃぐちゃなままで家を出てる。
家に帰ってきても疲れ果ててて、掃除なんてする余裕がない。早く寝なくちゃ、明日も朝早いんだった。そう思うたび誰かに急かされてるみたいで気分が悪くなる。
電車で立ってるとぐらっとなることがあって、眠いのか、疲れてるのか、どっちもなのか、デスクワークだから肉体的には疲れてないのに、目の奥だけが疲れてて、頭が重くて、それもなんか気持ち悪い。
丁寧な暮らしをしたいと思う。でもできないこともわかってる。ベットメイキングも風呂にゆっくり浸かることも、頑張ればできそうだけど、睡眠時間が短くなるから結局次の日のどこかで辛くなったりする。
それならやらない方がいいんじゃない?
でもいつまでこんなギリギリな生活をする?
止まらない自問自答。いつか自分のことを認めてやりたい。
丁寧な暮らしがいい。そりゃ、みんな。
キャンドルに照らされて、ぼーっと読書をしてた、あの小さな部屋でのことを思い出してる。
引っ越して家は大きくなったけど、心はなんだか締めつけ続けられてて、なんか小さくなっちゃいそう。
明日も仕事、明後日も。
自分を鼓舞して、なんとか1日を終えよう。