こんにちは。矢野藍と申します。本名とはかすりもしない偽名です。関東の中途半端なところで生まれ育ちました。 やっぱり文章を書くのが好きだなと思い始めて、文章を好き勝手書ける場所がないかと探していたらnoteに辿り着きました。 好きなことは読書と散歩と電車に乗ること。基本的に一人でいるのが好きで、特技は近寄るなオーラをバシバシに出しながら生活をすることです。それとK-POPも好きです。教わったことはありませんがダンスもよく踊ります。 好きな作家は太宰治。その他にもたくさんい
「結婚、」 「出産、」 「家を建てて、」 「家族団らん。」 「友達がいて、自分が作った家族がいて、綺麗な家と、笑顔の家族」 幸せの定義はだいたいこの辺にあると思う。 なんだか常に人と比べてるから、誰かの結婚のお知らせに、心がざわざわする。 結婚してない者同士、「焦るよね」って話に花を咲かせてる。 自分の今の生活を声高らかに幸せと呼びたくても、「幸せ」と呼ばれる大体の道筋は変わらずにずっと何年もそこにある。 「結婚は?」と問われるたびに、自信を失う。 その問
同僚が人にものを教わる時、どうしてもプライドが邪魔して素直に聞けない様子。 だんだんと人が彼女から離れるのを近くで見てる。 教わることに年齢立場関係なく、誰からの言葉も有難く受け止める心を忘れずに。勉強させてもらえることが毎日ありがたい。そう心から思える人間になれて嬉しく思う。
昨日は昼間に外へ出て、近所の川の近くまで歩き、ちょうどいい太さの樹の根っこで眠った。おじいさんたちの井戸端会議が気持ちいいBGMになり、いつの間にか2時間も経っていた。 だけど今日はそこまでの元気もなく、あのあと花粉と黄砂に苦しめられた昨日を思い出し、パジャマのままリビングに寝転がりこれをスマホから打ち込んでいる。 昨日の夕方から急に気分が落ち込み、少し眠ろうと布団へ潜るが、将来への不安や自分の弱さ(?)について考えすぎて思わず泣き出した。昨晩から頭も痛くて、むくみもひど
ここに何かを書くこと自体は久しぶりではないのだけれど、投稿しても大丈夫そうな文章を書くのは久しぶりかもしれない。 noteの下書きに残った日記のような殴り書き。その日の自分の葛藤を見返しては、恥ずかしく感じたりもするけれど、 そういえばこんな辛いこともあったな、私、この日のこともう忘れて前を向いて生きていけてるなと自分を褒めることにも繋がるから、絶対投稿できないような内容の下書きも消せずにいたりする。 実は今月からまたガラッと生活環境が変わり、忙しい日々を送っていた。
セルフ脱毛サロンの帰りにカフェでも寄って読書でもしようかと思ってリュックに詰めた厚めの本は、結局活躍することはなく帰路につくことになった。 眉毛の散らばりが気になって、久しぶりにメイク道具でも見ようかと立ち寄ったショップでは、お目当ての眉毛書くやつが欠品中で、大人しく踵を返した。 ああめんどくさいと思いながらも、コンビニに立ち寄ってお菓子を買う元気だけはあって、レジでスムーズに買い物を済ませた。 人混みから抜けて帰り道をゆっくり進んでいると、沈みかけた太陽がオレンジ色の
久しぶりに晴れた東京を見た気がする。嬉しい。 太陽って、空って、すごいなと思う。 職場のビルに入ってブラインドを下げられてしまうと急に視界が狭くなって傷つきやすくなるような気がするけど、 空が見えていると、自分の悩みのちっぽけさをずっと感じられる気がする。
離れて、物事の全体を見た途端、自分の考えが小さく思えるってとても大事なことだと思う。 力が抜けるし、焦りを取り除ける。 所詮自分は社会の歯車だからと思うだけでも、なにかから救われる人はいるんじゃなかろうか。
キャンドルにハマっていた時期がある。1日の勤務時間6.5時間で、自転車で20分で着く職場だった頃の話だ。 小さな部屋に彼氏とぎゅーぎゅーくっついて眠っていたけれど、睡眠時間もたっぷりあったしスーパーでじっくり野菜を選ぶ時間もあった。 お金持ちではなかったけれど、時間が豊かさを生んでいたのは明白だった。朝は布団をたたみ、歌を流しながら髪を結んで歯を磨いてた。 何を隠そう、今はその頃とは真逆の生活を送っているのだ。 睡眠時間確保のため、帰りは快速列車を狙って職場から早歩き
「自分らしさ」という言葉がよく使われる社会になったと思う。 例えば自分らしいファッション、メイク、仕事、恋愛。自分らしい選択をする人が増えてきた一方で、「自分らしい」を突き詰めることが良しとされる社会故の難しさも見えてきたように思う。 まず、自分らしさとはどこまで許されるのか。 「私は仕事をしないのが自分らしくて好きなので仕事をしません」 「僕はなんでもはっきり言うのが自分らしいと思うので誰にでもなんでもはっきり言います」 だいぶ極端な例だが、このような言葉を発信して
コールセンターで働いていると、「契約者が死んだので解約します」といった電話もくる。 どんな気持ちでこの電話をするんだろうとか、苦しくないだろうかとか考えてしまい、気持ちが揺らぐ。 私は身の回りの人が亡くなった経験がない。ありがたいことに。だからこそ身近な人が亡くなっていくその感覚を味わうのが今から怖かったりする。 「ああ、妻が亡くなったので解約しようと思って」 話し始めた時からなんとなくテンションの低い人だなと思ってた人が、会話の中であまりにも当然のようにそう言った。
SNSで、ダンスやメイクや工作やお菓子作り、色んなものが全部「短い時間で楽しめるように」流れてくる。 インスタントな社会だなと思う。 脳がぼーっとしていても、指だけは元気に動いて、スマホをスクロールし、見知らぬ人の作ったものをインスタントに楽しんでる。 何かの料理の作り方をちらっとSNSで見たときに、「意外と簡単そうだな」とまず思った自分がいた。 「私にもやれそう!」と思わせることが投稿主の意図かもしれないけど、なんだか本当にその料理を楽しめるのか不安になった。 ス
そういえばエッセイにしたことはほとんどないと思うけれど、私はムーミンが好きだ。そこから派生してフィンランドという国が好きになった。 よくフィンランドが好きと公言すると、何回行ったことあるの?と聞かれたりするが、答えは、一度も行ったことありません。だ。 写真の中や動画の中で観るだけの景色に憧れ、文化や教育や挨拶や国民性を本から学び、いつかフィンランドに行くことが夢になった。 正直自分でも、「ホンモノを知らないくせに」と思う。 一度も行ったことないけど大好き!となると周り
我慢って一言でいっても色んな我慢があると思う。 ゲームしたいのを我慢して勉強するとか、雰囲気崩さないように本音を我慢して友達と語らうとか、貯金のために欲しかったものを買わずに我慢するとか。 我慢できたらなんとなく偉いという空気が私はこの社会にはあると思っていて、小さい頃からなにか常に私たちはルールを知りながら大人になったわけで、ルールを守るということは、毎日何かを少しずつ我慢していることになるんだろう。 では、体調不良はどうだろう。 実は数ヶ月前から体調の優れない日が
「同棲早すぎるよね」 と友達に言われた。 早すぎるってことは付き合ってこれくらいに同棲始めれば人生薔薇色ですといった適正時期があるということだろうかとぼんやり思いながら、「早いとか遅いとか意識してない」とだけ笑って返した記憶がある。 結婚の時期とか同棲の時期とか、子供を産む時期とかそういうの、だいたいこれくらいがいいんじゃないのっていう時期が世間にはあるみたいだ。 だいたいそういうのって、なんでこだわる人がいるんだろうと不思議に思うことがある。 自分は世間のルールに
たまに風呂入らずに寝て、次の日頭が痒くなることがある。 メイク、ではないけど日焼け止めだけは塗ってるからクレンジングで落とさなきゃいけないものをそのままにして寝てしまうから、次の日の朝どうしようかと思う。 クレンジングしたら肌を保湿しなくちゃいけなくて、めんどくさいから化粧水を顔に直接びしゃびしゃとかけちゃダメかと考える。 その後床を拭くのは私の役目になるから、結局自分が苦労するだけだよと言いたくなるんだけど、でもなんか、なにかが溢れていく様をそのまま見ていたいと思うこ