秦氏と賀茂氏が勧請「半木神社(流木神社)」下鴨だけど上賀茂神社境外末社!
京都府立植物園のMAPを見ると神社があった。行くと読めない難しい神社名で「なからぎじんじゃ」と読むようで、由緒を読むと下鴨とあるのに「上賀茂神社」で秦氏と賀茂氏が勧請とあった。。まさかの・・・
そう上賀茂神社の祭神は、秦氏の氏社・松尾大社と賀茂氏の氏社・下鴨神社の子であるので、ワクワクする。
変更履歴
2024/01/02 初版
▼HP
▼アクセス
京都府京都市左京区下鴨半木町
▼祭神・本尊と脇時
天太玉命(アメノフトダマノミコト)
▼見どころ
賀茂族が開拓した地のようだ
奈良時代から「綿部の里」と呼ばれていた
「錦部の里」と称したのは、この地に於いて、養蚕製糸の業が営まれ絹織物の生産が盛んであった為で、京都絹織物発祥の地ともいわれている
1108年、朝廷により上賀茂神社の社領地として、錦部郷の名を以て寄進される
秦氏と賀茂氏が四国の阿波国から養蚕の神・天太玉命を勧請した
「京都絹織物業発祥の地」と呼ばれており、「織物業の守護神」として信仰されている
現在は京都府立植物園開業後は植物園の守り神として崇敬されている
おお~秦氏と賀茂氏の関係性をここまで明示的に書くのって珍しい気がするのは私だけ??私が押さえているのは、伏見稲荷大社と日吉大社は摂社・末社をじっくり見るとわかるが。
由緒が挙がっていますね。由緒はこちら(https://yado-haruya.com/wp-content/uploads/2020/04/%E5%8D%8A%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%80%E7%94%B1%E7%B7%92%E6%9B%B8%E3%81%8D.pdf)。
で社名ですが、「その昔、加茂川上流の西賀茂には三座の神様を祀る神社があり、洪水が起こった際、三座のうち一座が流れてしまいました。流れ出た流木がこの地に留まったことから、流木を使用して社殿を建立。」とも言われている。
で、半木がいまいち分からなかったが・・次の動画でなんとなく繋がりが分かったような、分からないような・・。
ちなみに、上賀茂神社と下鴨神社の間にあることから半木神社と言われるようになった説もあるが、元々賀茂社として1つだったので、いつから呼ばれたかによっては、この説は破棄されるべきかと。
最後に、この括弧書きの「流木」だが、鴨川上流の西賀茂には、かつて「浮田(うきた)の森」があった。森には三座が祀られていた。ある時、鴨川の氾濫により一座がこの地まで流されてきた。以来、「流木」と呼ばれたともいう。
▼旅行記
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