★纏め★紫式部『源氏物語』大河ドラマ「光る君へ」のその後:NOTE4巻
1年間観続けて気づいたら夫婦で制覇した。そしてドラマ最後に紹介する紀行は有名なところが多いな~という感じですが、まだまだあるので紹介します!!また、ドラマの登場人物のその後と紀行の詳細をNOTEします。
まずは過去の3巻をどうぞ。
▼メディア情報:最終回その後
|-光る君へラスト
|-最終回 「源氏物語」とリンクする結末&ラストシーンなど
▽道長が亡くなった後の紫式部/源倫子/藤原彰子/清少納言/藤原隆家/藤原実資のその後
情報源:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/85473
紫式部の生涯と謎
没年: 明確な記録がなく、道長より早く亡くなったとする説から、道長が亡くなった後も存命だったとする説まで様々。
年齢: 生年も諸説あり、没年と合わせて考えると、50代から60代で亡くなった可能性が高い。
晩年: 宮廷に出仕していた可能性も指摘されている。
道長の妻たちとその最期
源明子: 道長の死後も20年以上生き、多くの親族に囲まれて生涯を閉じた。
源倫子: 道長よりも長生きし、90歳まで生きた。長女の彰子や息子たちに看取られながら亡くなった。
周囲の人々のその後
彰子: 道長の死後、天皇家と摂関家の実質的な家長として活躍。息子たちを早くに亡くし、87歳で生涯を閉じた。
清少納言: 宮仕えを辞め、再婚相手のもとへ行ったとする説や、定子の遺児に仕えたとする説などがある。晩年は零落したという説は否定されている。
藤原隆家: 「刀伊の入寇」で活躍し、晩年は権勢を誇ったが、66歳で死去。
藤原実資: 道長亡き後も頼通と協力し、政務を担った。90歳まで長生きし、「賢人右府」と称された。
▽藤原彰子 87歳で死去「道長の娘・彰子」及ぼす強大な影響力
▽藤原賢子
▽藤原頼通
道長の子「藤原頼通」51年の長期政権築けた背景:
▽道長の子孫繁栄に「終止符」を打った後朱雀天皇
情報源:https://www.rekishijin.com/40642/2
藤式部の旅
道長との別れ: 藤式部は、病床の藤原道長に毎日見舞いに行き、彼のためだけに物語を語り続けた。
新たな旅立ち: 道長の死後、式部は再び乙丸とともに旅に出る。嵐の到来を予感しながら、道長への想いを胸に歩みを進める。
尊仁親王をめぐる対立
後朱雀天皇の即位: 道長の娘・藤原彰子の息子である後朱雀天皇が即位。
藤原頼通の権力: 道長の嫡男・藤原頼通が朝廷の実権を掌握。
尊仁親王の皇太子就任: 後朱雀天皇は、藤原頼通の反対を押し切り、尊仁親王を皇太子に指名。
道長家の没落: 尊仁親王の皇太子就任により、道長家の権力が衰退し、院政へと繋がる。
まとめ
藤式部は道長との別れを経験し、新たな旅へと出発する一方、朝廷では尊仁親王をめぐる後朱雀天皇と藤原頼通の対立が深まり、道長家の権力が衰退していく様子が描かれている。
ポイント
藤式部は道長との深い関係性を築き、彼の死を悼んでいる。
尊仁親王の皇太子就任は、道長家にとっては大きな打撃となった。
この出来事が、後の院政へと繋がる重要な転換点となる。
補足
藤原道長: 平安時代の権力者。藤原氏の全盛期を築き上げた人物。
藤原頼通: 道長の嫡男。道長の後を継ぎ、関白として朝廷を掌握。
尊仁親王: 後朱雀天皇の皇子。後の後冷泉天皇、後三条天皇となる。
▽摂関家の“呪い”に狂わされた皇女の悲劇 入内しても愛されず孤独に過ごした生涯とは
情報源:https://www.rekishijin.com/40673
摂関家の呪縛と馨子内親王
馨子内親王の生涯は、摂関家が「天皇に娘を入内させて外戚としての権力を握る」という呪縛に囚われ、その呪いの犠牲となった一例と言えるでしょう。
摂関家の期待とプレッシャー: 馨子内親王は、摂関家の血を引く姫として、皇子を産み、家系を維持するという大きな期待を背負っていました。しかし、その期待は、彼女に大きなプレッシャーとなり、結果的に不幸な生涯を送ることになったと言えるでしょう。
両親の早逝と孤独: 幼い頃に両親を亡くし、その後は祖母である彰子の庇護の下で育ちましたが、愛情に飢え、孤独を感じていた可能性も考えられます。
尊仁親王との結婚とその後: 尊仁親王との結婚は、摂関家の思惑によるものであり、馨子内親王の意思は尊重されていなかったと考えられます。尊仁親王の愛情も薄く、後宮での地位も決して安定したものではありませんでした。
馨子内親王の悲劇が示唆するもの
馨子内親王の生涯は、単に一人の女性の悲劇というだけでなく、以下のことを示唆しています。
権力闘争の犠牲: 馨子内親王は、摂関家と他の勢力との権力闘争の犠牲になったと言えるでしょう。
女性蔑視: 当時の社会において、女性は政治的な道具として扱われ、個人の幸せよりも家系の繁栄が優先されていたことがわかります。
晩年の孤独: 中宮として華やかな地位に就いたものの、晩年は孤独な日々を送ったと考えられます。
馨子内親王の生涯から得られる教訓
馨子内親王の生涯から、私たちは以下の教訓を得ることができます。
個人の幸せよりも家系が優先されることの弊害: 個人の幸せよりも家系の繁栄が優先される社会では、多くの犠牲が生まれる可能性があります。
女性の地位の低さ: 当時の女性は、男性に比べて非常に低い地位に置かれていました。
権力闘争の悲劇: 権力闘争は、多くの人の人生を不幸にする可能性があります。
馨子内親王の生涯を深く掘り下げることで、平安時代の女性たちの生き様や、当時の社会構造についてより深く理解することができます。
▽誰が本当の夫?「清少納言の夫」のさまざまな説
▽紫式部の孫と清少納言の孫は恋愛スキャンダルを起こし…有名女流文人の次世代のナゾ
情報源:https://fujinkoron.jp/articles/-/15095
記事のポイント
『光る君へ』のその後: 大河ドラマ『光る君へ』で注目された紫式部や清少納言の娘たちのその後について、日本史学者の榎村寛之氏が解説。
女房の娘たちの出仕: 紫式部の娘・大弐三位をはじめ、清少納言の娘・小馬命婦など、平安時代の女性たちが宮中に出仕していた例が複数存在。
恋愛スキャンダルの可能性: 清少納言の孫と紫式部の孫が恋愛関係にあったという興味深い説も。
資料の不足: これらの女性たちの詳細な記録は残っておらず、和歌や系図の断片から推測するしかない現状。
『源氏物語』の普遍性: 『源氏物語』は千年以上経った今も読まれ続け、現代にも影響を与え続けている。
詳細
大弐三位: 紫式部の娘。後冷泉天皇の乳母となり、高い地位に上り詰めた。
赤染衛門の娘: 江侍従と呼ばれ、恋の歌を残している。
清少納言の娘: 小馬命婦と呼ばれ、藤原彰子の女房となった。
恋愛スキャンダル: 小馬命婦の娘と紫式部の孫・高階為家が恋愛関係にあった可能性。
資料の不足の理由: 当時の記録が少ないこと、文献や個人に対する関心の差などが考えられる。
菅原孝標女: 『更級日記』の著者。文化人として活躍したが、その生涯は謎が多い。
『源氏物語』の普遍性: 千年以上にわたって読まれ続け、現代でも多くの人々に影響を与えている。
まとめ
この記事は、大河ドラマ『光る君へ』で注目された平安時代の女性たちのその後を、歴史学的な視点から深掘りしています。特に、紫式部や清少納言の娘たちの生涯や、当時の宮廷における女性たちの役割について興味深い内容が盛り込まれています。しかし、当時の資料が少ないため、これらの女性たちの詳細なことはまだ謎に包まれています。
この記事で得られる情報:
平安時代の女性たちの社会的地位
宮廷における恋愛や結婚
歴史資料の読み解き方
『源氏物語』の現代への影響
この記事を読んだ後、さらに知りたいこと:
平安時代の女性たちの教育
当時の宮廷文化
歴史学における女性史研究
▽『更級日記』の作者・菅原孝標女:平安時代の文学少女が見た世界
情報源:https://serai.jp/hobby/1204209
菅原孝標女は、平安時代中期の貴族の女性であり、文学作品『更級日記』の作者として知られています。彼女の人生は、物語への憧れと現実の厳しさ、信仰心と孤独など、様々な要素が複雑に絡み合ったものでした。
生涯と主な出来事
幼少期と上総での生活:
菅原道真の末裔という由緒ある家系に生まれ、文学的な環境の中で育つ。
9歳で父の赴任地である上総国へ行き、自然の中で豊かな感性を育む。
物語の世界に深く憧れ、特に『源氏物語』に魅了される。
京都での生活と文学活動:
京都に戻り、本格的に文学の世界へ。
後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に仕え、宮廷生活を経験する。
橘俊通と結婚し、子供を授かる。
『更級日記』を執筆。自身の内面や当時の社会を率直に綴る。
『夜の寝覚』『浜松中納言物語』など、他の作品も手掛ける。
晩年:
夫の死後、孤独な晩年を過ごす。
具体的な没年は不明。
特徴と業績
文学への深い愛情: 『源氏物語』をはじめとする物語を愛読し、自らも文学作品を創作。
内面の葛藤: 物語の世界と現実とのギャップ、信仰心と世俗的な欲望など、内面の葛藤を率直に表現。
女性としての視点: 平安時代の女性としての生きづらさや、社会に対する思いを作品に投影。
『更級日記』: 自身の人生を振り返り、文学への愛、信仰、そして孤独を描いた日記。平安文学の代表作の一つ。
▽菅原孝標女の生涯 1000年の時を越えて今なお読み継がれる物語の魅力
情報源:https://www.rekishijin.com/40681
菅原孝標女と『更級日記』
『更級日記』の誕生: 菅原孝標女は、『源氏物語』に魅せられ、自らも物語を執筆するようになった。その経験を綴ったのが『更級日記』です。
『源氏物語』への憧憬: 孝標女は、『源氏物語』の登場人物に自分を重ね合わせ、物語の世界に深く浸っていました。特に、夕顔や浮舟のような悲劇的な女性に共感し、将来は彼女たちのような女性になりたいと夢見ていました。
物語作者としての転身: 孝標女は、『更級日記』のほかにも、『浜松中納言物語』などの作品を残し、物語作家としての才能を発揮しました。
紫式部と孝標女のつながり
物語の継承: 紫式部の『源氏物語』は、孝標女に大きな影響を与え、孝標女もまた、物語作家として活躍しました。これは、物語が人から人へと受け継がれていく様子を示しています。
女性たちの創造性: 紫式部と孝標女は、ともに才能ある女性作家でした。当時の社会において、女性がこのような活躍をしたことは、非常に画期的であったと言えるでしょう。
物語の普遍性: 『源氏物語』の登場人物は、時代を超えて人々の心を捉え続けています。これは、物語が普遍的な人間の感情や恋愛を描いているからでしょう。
まとめ
紫式部と菅原孝標女は、ともに日本の文学史に大きな足跡を残した女性作家です。二人の作品は、平安時代の貴族社会の風俗や人々の心の動きを克明に描き出し、現代の私たちにも深い感動を与えてくれます。
紫式部: 『源氏物語』という不朽の名作を生み出し、平安文学の礎を築いた。
菅原孝標女: 『源氏物語』に影響を受け、自らの作品を生み出した。後世の文学に大きな影響を与えた。
▽史実系:完全な「善人」も「悪人」も登場しなかった『源氏物語』
紫式部が源氏の言葉に込めた<現実社会を見直すためのヒント>とは
▽その他
▼光る君へで紹介されなかった所縁の場所
▽光る君へ藤原道真💛明子が生活!真田幸村念持仏「 #高松神明神社 」京都府京都市中京区 釜座東入津軽町790
源明子が藤原道長と結婚して住居にしたのが「高松殿」で、その神社はココ!!醍醐天皇の皇子である源高明の邸内に鎮守の杜として祀られたのが始まり。神社境内に地蔵さまが安置され『真田幸村の知恵の地蔵尊』と呼ばれており、神仏習合で白鳥居が特徴的!!
なお、道長の娘で敦明親王の妃となった寛子は、高松殿女御と言われたということからも名所だと思う。
「高松殿の旧跡にして、御鎮守の御社なり」とある
920年、醍醐天皇の皇子・高明親王が、源朝臣の姓を賜り、左京区の一条一坊に御殿として高松殿を造営
同時に伊勢からアマテラスを勧請し、鎮守社として祀った
高明親王は源氏物語のモデルとも言われている源高明
高明の娘・源明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居とした
1021年と1120年、焼失
1146年、新造され近衛天皇の内裏になる
1155年、後白河天皇が即位して、御所(里内裏)「高松内裏」として使う
1156年、天皇方の本拠地となり、源義朝や平清盛らが参集した
1159年、高松殿は焼失し、神社のみが残った
1565年、高松神明宮宝性院という名の神宮寺が出来る
1864年、「蛤御門の変」による大火により、境内の地蔵尊・金比羅神社をはじめとする末社が焼失
1868年、神仏分離令で廃仏毀釈により、宝性院は廃寺になる
1893年、地蔵堂が建立され、地蔵尊が安置された
現在の祭神は天照大神・八幡大神・春日大神の三柱
開運厄除けの神さんとして信仰を集めている
1794年、和歌山・真田庵(善名称院)から真田幸村の念持仏とされた「幸村の知恵の地蔵尊」が来る
2016年、大河ドラマ「真田丸」で、京都にも数は少ない真田信繁(幸村)ゆかりの地になる
2024年、大河ドラマ「光る君へ」で話題になるかも?
詳細は次のNOTE参照。(2025年3月公開)
▽石清水八幡宮の本尊「 #誓願寺 」清少納言と和泉式部/落語発祥/世阿弥【京都ツウシリーズ】【新京極寺町シリーズ】
▽和泉式部の墓!藤原道長の仏像「 #誠心院 」藤原彰子!歴史好き集合【京都ツウシリーズ】【新京極寺町シリーズ】
▽藤原道長の娘&紫式部が仕えた人物「 #松原八幡神社 / #八正寺 」灘のけんか祭り【播磨シリーズ】
▽道長が愛した九体阿弥陀如来坐像が唯一残っている「 #浄瑠璃寺 」国宝祭り&仏像寺-【京都南山城シリーズ】
情報源:https://note.com/yanma_travel/n/nfb53ad4c0160
▽大阪泉佐野「 #蟻通神社 」紀貫之&清少納言&世阿弥&泉佐野六社【大阪泉州シリーズ】
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n1c170abe6555
清少納言お気に入り「 #笠置寺 」道長も参拝
吉野・金峯山寺と並ぶ修験道の地で「笠置詣」があった
989年、円融天皇の御幸
1007年、藤原道長が吉野の後に笠置詣でをする
1118年、藤原宗忠が一族で参拝
情報源:https://note.com/yanma_travel/n/n5b98e924e982
清少納言お気に入り「 #壷阪寺 ( #南法華寺 ) 」
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n48077ad36d57
清少納言お気に入り「 #法輪寺 」
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n8b92e62fcd95
清少納言血筋「 #車折神社 #芸能神社 」
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/nf71e8a747472
▼光る君へ紀行
地図で巡ると私のNOTEです。行くなら私のNOTEをお供に!?
第1回: #平安神宮 (京都市左京区)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n186005d79d24
第2回: #京都御所 (京都市上京区)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n543d14c56282
第3回: #風俗博物館(京都市下京区)
私のNOTE:-
第4回:五節の舞姫 寝殿造 歴史公園えさし藤原の郷(岩手県奥州市)
私のNOTE:-
第5回: #市比賣神社 (いちひめじんじゃ:京都市下京区)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n7ca127a954c4
第6回:二人の才女 #清少納言 : #防府天満宮 (山口県防府市)
私のNOTE:-
第7回: #豊烈神社(山形県山形市)/ #長者山新羅神社(青森県八戸市)
私のNOTE:-
第8回: #木之本町(滋賀県長浜市)
私のNOTE:
第9回: #東大寺 (奈良県奈良市)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n61df096a67d2
第10回: #平野神社 (京都市北区)/元慶寺(京都市山科区)/中山寺(兵庫県宝塚市)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n7ec6f7caad74
私のNOTE:花山法皇出家「元慶寺」西国三十三札所番外!京都非公開文化財公開【京都伏見・山科シリーズ/京都山科シリーズ】|やんまあ
第11回: #晴明神社 (京都市上京区)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n5290d321edda
第12回:庚申の夜 #八坂庚申堂(別称「 #金剛寺」:京都市東山区)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n667729ac2be1
第13回:春日大社(奈良県奈良市)
私のNOTE:https://note.com/yanma_travel/n/n2cfec9e0d101
第14回: #宇治橋(京都府宇治山市)
私のNOTE:-
私の旅行記:京都の宇治ブラリ&岡崎周辺でレアもの見仏【京都シリーズ/京都浄土宗特別開扉】京都左京⑰宇治②|やんまあ@旅行記
第15回: #石山寺 (滋賀県大津市)
私のNOTE:快慶と紫式部「石山寺」は日本唯一勅封観音!制覇!【滋賀】【湖西】|やんまあ
第16回: #興福寺 (奈良県奈良市)
私のNOTE:藤原氏の興福寺・春日大社を完全制覇【奈良】【奈良シリーズ】|やんまあ
第17回: #祇園祭 (ぎおんまつり)/ #八坂神社 (京都市東山区)/ #神泉苑 (京都市中京区)
私のNOTE:★京都祭★祇園祭-2023年★更新完了★|やんまあ
私のNOTE:祇園祭!スサノオ本宮対決「八坂神社vs廣峯神社」「梛神社/岡崎神社」が審判を下す!?【京都東山シリーズ】【播州シリーズ】【播磨シリーズ】【たつの】|やんまあ
私のNOTE:空海所縁の神仏習合「神泉苑/善女龍王社」東寺と八坂神社と繋がる名所【京都二条城・御所シリーズ】|やんまあ
第18回: #石清水八幡宮 (京都府八幡市)/粟田口(京都市東山区)
私のNOTE:三大八幡!完全制覇!国宝「石清水八幡宮」頼朝/信長/秀吉/家光「高良神社」元宮は宇佐or奈良?【京都八幡シリーズ】|やんまあ
第19回: #安曇川町(滋賀県高島市)
私のNOTE:-
私の旅行記:◆滋賀:大津・湖西⑩◆メタセコイア並木!紅葉×サルタヒコ×継体天皇!vs延暦寺(高島市/比叡山)|やんまあ@旅行記
第20回: #検非違使庁址(京都市上京区)/ #賀茂御祖神社( #下鴨神社:京都市左京区)/ #賀茂別雷神社( #上賀茂神社:京都市北区)
第21回:伏見稲荷大社(京都市伏見区)/清水寺(京都市東山区)
私のNOTE:京都代表「伏見稲荷大社」秦氏ゆかり神社【京都】稲荷山|やんまあ
私のNOTE:京都vs播州vs安来「清水寺」対決!子嶋寺に伝わる坂上田村麻呂は青い目!次回2033年御開帳!【京都東山シリーズ】【播州シリーズ】【出雲シリーズ】|やんまあ
第22回: #白鬚神社(滋賀県高島市)/深坂古道(滋賀県長浜市)/ #氣比神宮(福井県敦賀市)/ #気比の松原(福井県敦賀市)
私のNOTE:琵琶湖内に鳥居「白鬚神社」サルタヒコ本宮は古墳と磐座が本当のパワスポである【湖西シリーズ】【滋賀高島シリーズ】|やんまあ
私のNOTE:完全制覇!謎多し「氣比神宮」越前一之宮・北陸総守!神宮神職が参拝「奥宮・常宮神社」書院・庭園「西福寺」【福井シリーズ】|やんまあ
第23回: #石清水八幡宮 (京都府八幡市)/ 旧嵯峨御所大本山 #大覚寺 (京都市右京区)
私のNOTE:三大八幡!完全制覇!国宝「石清水八幡宮」頼朝/信長/秀吉/家光「高良神社」元宮は宇佐or奈良?【京都八幡シリーズ】|やんまあ
私のNOTE:嵐山紅葉まったり「大覚寺」嵯峨野御所/最古の門跡/真言宗大覚寺派本山【京都】|やんまあ
第24回:越前国府 #本興寺(福井県越前市)/ #總社大神宮(福井県越前市)/ #紫式部公園(福井県越前市)
私のNOTE:紫式部の父が国司!越前国府「總社大神宮/国分寺/正覚寺/本興寺」セットでGO【福井シリーズ】|やんまあ
私の旅行記:◆福井⑦◆文殊山の神仏習合!越前の神社仏閣巡り!継体天皇の足跡(福井/越前)|やんまあ@旅行記
第25回: #岡太神社・大瀧神社 (福井県越前市)/越前和紙の里(福井県越前市)
私のNOTE:日本唯一!製紙の神様「岡太神社・大瀧神社」←継体天皇所縁→「五皇神社」本殿は箒だらけ!?【福井シリーズ】【継体天皇シリーズ】|やんまあ
第26回: #離宮八幡宮 (京都府乙訓郡大山崎町)/ #廬山寺 (京都市上京区)
私のNOTE:元石清水八幡宮「離宮八幡宮/自玉手祭来酒解神社」油発祥「妙喜庵」【京都八幡シリーズ】【天王山シリーズ】|やんまあ
私のNOTE:紫式部邸宅!角大師「廬山寺」節分祭!藤原道長所縁「清浄華院/本禅寺」雅な寺【京都御所シリーズ】|やんまあ
第27回: #大原野神社(京都市西京区)/ #飛香舎(京都市上京区)
私のNOTE:長岡京の春日大社!二十二社「大原野神社」藤原氏の氏神三社のひとつ【京都】【大原野シリーズ】|やんまあ
第28回: #六波羅蜜寺(京都市東山区)/ #鳥戸野陵(京都市東山区)/ #泉涌寺(京都市東山区)/ #今熊野観音寺(京都市東山区)
私のNOTE:慶派!運慶あり「六波羅蜜寺」レア仏像寺!快慶と見比べ!西国三十三札所【京都東山シリーズ】|やんまあ
私のNOTE:唯一の天皇菩提寺「泉涌寺(御寺)」秘仏が少ない仏像!塔頭に運慶・快慶・湛慶あり【京都】|やんまあ
第29回: #真正極楽寺 ( #真如堂 :京都市左京区)/ #元真如堂 (換骨堂:京都市左京区)
私のNOTE:女性を救う寺!紅葉と桜「真如堂」吉田山から移築/長谷寺など塔頭多し【京都岡崎シリーズ】【黒谷から吉田山シリーズ】|やんまあ
第30回: #圓教寺 (兵庫県姫路市)/ #貴船神社 (京都市左京区)
第31回: #源融河原院址 (京都市下京区)/ #宇治 (京都府宇治市)
私のNOTE:-
第32回: #長谷寺 (奈良県桜井市)
私のNOTE:奈良vs鎌倉「長谷寺」元伊勢「與喜天満神社」アマテラスor道真【桜井シリーズ】【鎌倉シリーズ】|やんまあ
第33回: #小倉百人一首の歌碑
私のNOTE:-
第34回:平城京左京三条二坊 宮跡庭園(奈良市)/ #毛越寺 (岩手県平泉町)
私のNOTE:-
第35回: #金峯山寺 (奈良県吉野町)
私のNOTE:世界遺産!吉野ブラリ「金峯山寺」必見の蛙飛行事!修験道!蔵王権現!【吉野シリーズ】|やんまあ
第36回: #土御門第跡 #京都御苑(京都市)
私のNOTE:祇園祭ラスト!京都御苑内「宗像神社/京都観光神社/厳島神社/白雲神社」神様とご縁!?リユース【京都御所シリーズ】|やんまあ
第37回:万葉の森船岡山(滋賀県東近江市)
私のNOTE:-
第38回:京都市考古資料館(京都市)
私のNOTE:-
第39回:居多神社(新潟県上越市)/大学寮址(京都市)/逢坂山関跡碑(滋賀県大津市)
私のNOTE:-
第40回: #松尾大社/ #龍安寺/ #一條天皇 圓融寺北陵(京都市)
私のNOTE:完全制覇!秦氏「松尾大社・月読神社」下鴨神社・上賀茂神社と同等の古社である|やんまあ
第41回:大堰川
私のNOTE:-
第42回: #平等院 (京都府宇治市)
私のNOTE:-
第43回: #延暦寺 (滋賀県大津市)
私のNOTE:世界遺産完全ガイド「延暦寺比叡山」33年ぶり特別開扉!初開帳など随時更新【京都】【滋賀】|やんまあ
第44回: #元興寺 / #大安寺 (奈良市)
私のNOTE:世界遺産!国宝「元興寺」ならまちは元興寺の境内【奈良まちシリーズ】|やんまあ
私のNOTE:南都七大寺「大安寺」元石清水「八幡宮」鎮守社「推古天皇社」が謎|やんまあ
第45回: #園城寺 ( #三井寺 :滋賀県大津市)
私のNOTE:「三井寺」制覇!唯一無二の黄不動/如意輪観音など【滋賀】【湖西】|やんまあ
第46回: #大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)/ #鴻臚館跡(福岡市)
私のNOTE:大宰府にある元号・令和「坂本八幡宮」盛り上がり時期に行く「大宰府政庁跡」「大宰府展示館」はセットで!|やんまあ
第47回:法成寺址/五大堂 同聚院(京都市)
私のNOTE:-
第48回:紫式部墓所(京都市)
私のNOTE:-
オマケ:道長の墓がどこにあるのか
情報源:https://fujinkoron.jp/articles/-/15160
道長の最期
1027年(万寿4年)10月、彼は不調を訴え、床に就きます。
糖尿病の悪化プラス癌、もしくは感染症と考えられているそうです。
症状は日ごとに悪化。11月25日には彼の身体は無量寿院に移され、12月3日に重態となります。そして重態になった道長の手と、九体の阿弥陀仏の手が糸で繋がれました。
多くの僧たちの読経の声がする中、翌日、道長は62歳を以て世を去りました。
道長の墓はどこに?
当時の貴族の通例として、葬式の日時と場所は陰陽師が定めることになります。
道長の亡骸は鳥辺野で葬礼の儀式が行われた後に、荼毘に付されました。
そして遺骨は藤原北家の先祖たちと同じく、宇治市木幡に埋葬されました。ただし、ここが現代の私たちとは感覚が異なるのですが、遺骨が埋葬された地点には、当時の人々は関心を持っていないのです。
私たちにとってはお骨とお墓がセットになりますが、古代・中世人は先祖の遺骨をどのポイントに埋葬したか、というについて、意識していなかったようです。
高位高官に昇った藤原北家の人々の墓地群は、現在「宇治陵」として整備がされています。生前の道長は一族の菩提を弔うため、宇治に浄妙寺という寺院を創建していました。
けれどもこのお寺は中世末期には廃絶してしまい、道長を含めたほとんどの人々の正確な葬地は明らかではありません。
ヽ(・ω・)/ズコー
「道長様の墓にお参りしたい」と思ったら
では「墓参りという習慣はないのか」というと、そんなことはありません。しかるべき「手を合わせる場所」が用意されていたのです。
「お骨を埋めた墓」(=埋め墓)と「お参りする墓」(=参り墓)を別に設けるこの方式は、昭和初年に民俗学の柳田国男によって研究がなされてから、「両墓制」と呼ばれています。
宇治陵は37のお墓から成り立っていますが、その第1号墳が手を合わせる場所(=参り墓)である「総遙拝所」に当てられています。
道長墓は32号墳といわれますが、前述の通り、確かな話ではありません。
道長様のお墓にお参りしてみようかな、と思われた方はぜひ宇治陵の「総遙拝所」で手を合わせてみて下さい。極楽に往生した道長が、微笑むかもしれません。
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