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安倍晴明かと思いきや「阿部野神社/旗上稲荷社/芸能稲荷社」北畠家vs足利!稲荷さんが主役かも【大阪ミナミシリーズ】

安倍晴明の母親が祀られている「安倍王子神社」、安倍晴明の生誕地「安倍晴明神社」とセット!この阿部野神社は安倍晴明の父!と言いたいところだが、北畠家の場所でした。ほお~三重などにも腰を下ろす北畠家好きは好きなのかもな~。神社仏閣巡りで面白いのは、近くに行くので寄ると歴史の点が線になることですかね。

 阿部野神社は、鎌倉時代末期から南北朝時代、南朝方について活躍した北畠顕家と父・北畠親房を御祭神として祀っている。

 ただ、ここの本殿裏や境内右側の稲荷社は注目すべきところですね!それ以前から神社があったような気がするのだが。。

 北畠家の神社を何カ所か紹介しておきます。意外や意外で三重の伊勢国に鎮座します。参拝済みのため興味のある方はどうぞ!

変更履歴
2024/12/09:初版


▼HP▼アクセス

https://www.abenojinjya.com/
大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-20

 宮司がインタビューに答えています。

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

→東側の鳥居

 安倍晴明神社と阿倍王子神社から来たので東側から入りました。北畠駅あたりの道から高校生が出てきたので、そちらに入ります。

→境内

 安倍晴明と思わせつつ・・・

→拝殿・本殿

 祭神は北畠顕家公と北畠親房公。2019年あたりに銅板葺替え工事したようで奇麗な社殿である。

→奥宮「御魂振之道」

 御朱印を預けるとぐるっと回ってくださいとのことなので行ってみた。奥宮は「御霊振之宮」と呼ばれ、「一願一遂の宮」とも呼ばれているそうな。

 牛と蛇・・・・。もしや・・・

 蛇と酒・・・確実に・・・

 ほお~空気感があるなと思って由緒に目をやると、祭神は三輪大神、少彦名大神、天照大神、菅原道真を祀っている。明らかに「大神神社(私のNOTE)」と明言しているな・・。アマテラスと菅原道真は天神信仰が流行り両方「天神」から来ていそうだが。

 歴史としては、戦後の三代目宮司と氏子が魂を振るい起こし、社殿復興を一願一遂の願いとして祈念した社なんだそうです。

→境内摂社・末社「祖霊社/勲之宮」

 本殿左に祖霊社と勲之宮です。右に勲之宮でで、左に祖霊社です。

 祭神は、南部師行と一族郎党108名の御霊。南部師行は北畠顕家に従って奥州に出向き、根城(八戸)を拠点として活躍した。石津の合戦にも従軍し、顕家戦死の報を聞くと、僅かに残った一族郎党108名を率いて敵陣に突入、壮絶な戦死を遂げたようだ。

 祖霊社は当社歴代宮司や関係者を祀っている。

→境内摂社・末社「旗上稲荷社」

 祭神は、豊受稲荷大神、高倉大明神、白鷹大明神の三柱。伊勢神宮外宮のトヨウケと伏見稲荷社のウカノミタマこと稲荷さんが合体している。。まあ~、食物の要素があるのでおかしくはないとしておこう。

 赤い鳥居をくぐって行くと沢山の狐が現れ朱色の不思議な雰囲気が現れる。

 右から奥に行けるようですね。

 「旗上」って、なんか記憶の片隅に残っている文言だなと思っていた。帰って調べると「旗上」とは、精進努力し、成功をおさめて「一旗上げる」という意味らしい。ただ、何か引っかかるのだが「鶴岡八幡宮(私のNOTE)」に「旗上社」かな。

→旗上社(旗上弁財天社
 源氏池の中の島に鎮座しているのでイチキシマを祀っている。社殿裏には「政子石」という、夫婦円満の祈願石・姫石があるようです。知らなかったですね・・。
 源平池は、頼朝が大庭景義と僧侶の良暹(りょうせん)に命じて造らせたものなので、ここに夫婦の思いがあるのでしょうかね。

私のNOTE「鶴岡八幡宮」

もしくは、「折上稲荷神社(私のNOTE)」か??

祇園の舞妓からアメリカの証券王に嫁いだ、近代史上最高の玉の輿「モルガンお雪」が熱心に信仰していた神社で、折り紙のお守りが人気の神社。稲荷塚は約1500年前のもので稲荷神の祖先神「田の神」が祀られている。711年に稲荷大神が降臨し、伏見稲荷大社と共に最古の稲荷神とするそうな。

「折上稲荷神社(私のNOTE)」

→境内摂社・末社「稲荷社」周辺

→境内摂社・末社「旗上芸能稲荷社」

 祭神は、京都・伏見稲荷大社(私のNOTE)と同じ、芸能の神「アメノウズメ」。芸能活動やお稽古事・発表会などがある人が参拝しているようですね。

→西側の鳥居/中今亭

 詩歌の道に面した「中今亭」は、毎月第3日曜日に内部が公開されるよう。

 出ていくときは西側から出ました。

→由緒・歴史

  • 北畠顕家が足利軍と戦った古戦場に鎮座で、明治創建の建武中興十五社の1社

  • 1336年、足利尊氏が謀反を起こすと、北畠顯家は上洛して九州に敗走させる

  • 足利尊氏が、兵庫の湊川で楠木正成公を破って京都を占領し、後醍醐天皇が吉野に

  • 1338年、北畠顯家は「阿部野の戦い」で足利軍に破れ、21歳で没する

  • 1343年、北畠親房は吉野に帰り、後村上天皇を助け、一度は京都を回復したが、再び京都を脱出

  • 1354年、北畠親房、病にて没す

  • 1878年、顕家を祀るよう神社創建運動が起こり、政府もこれを受ける

  • 1881年、祭神を顕家とその御父君などにした

って、名前から安倍晴明や阿部王子関係かと思ったが違うようですね・・。

  • 祭神の北畠親房は、村上天皇の皇子・具平親王の子息・師房が源の姓を賜ったことに始まる村上源氏

  • 北畠親房は、当時の学識の高い貴族である吉田定房・万手小路宣房と並び「後の三房」と称された一人

  • 後醍醐天皇の皇子・世良親王の養育係をしているぐらい、天皇の信任が厚かった

  • 建武の新政下では、鎮守府将軍となった長男・北畠顕家と共に奥州へ向かう

  • その後、足利尊氏謀叛による二度目の京都攻めのため、吉野朝(南朝)の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復に尽力

  • 後醍醐天皇の崩御後は、後継ぎの後村上天皇の帝王学の教科書を著すなど、官職の本義や神社の意義を説く

北畠親房公
北畠顕家公は親房公の御長子で、元弘三年(一三三三)八月、建武の新政で陸奥守兼鎮守府将軍に任じられ、同十月、父親房公と共に義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥州はたちまちにその威風に靡きました。
延元元年(一三三六)、足利尊氏が謀反を起こすと、上洛して九州に敗走させることに成功いたします。この功績により顕家公は鎮守府大将軍の号を賜ることになり、再び奥州に戻られました。しかし、勢力を盛り返した尊氏が、兵庫の湊川で楠木正成公を破って京都を占領し、後醍醐天皇が吉野に御潜幸されると、延元三年(一三三八)京都回復のため精兵を率いて再び西上の途に就かれました。各地を転戦し、鎌倉を落としたあと、美濃国青野原(現在の岐阜県大垣市)での戦いおいては北朝方を破りましたが、同年三月十六日、摂津での戦いに惜しくも敗れられてしまい、顕家公は一時撤退を余儀なくされ、わずかな残兵を率いて和泉国の観音寺城に拠りました。やがて五月十六日、賊将高師直の軍が堺の浦に陣を敷いたので、顕家公率いる官軍は進撃して、数刻にわたり激戦を繰りかえしました。しかし、顕家公をはじめ多くの武将が、阿倍野・石津の戦いで壮烈な戦死を遂げる結果となってしまったのです。御年二十一歳でございました。

公式HP

北畠顕家公像
また、顕家公は戦死される一週間前に、後醍醐天皇へ「上奏文」を送っておられます。
その内容は
一 地方機関を通じて非常時に供えること
一 諸国の租税を免じ、倹約を専らにすること
一 官爵登用を重んじること
一 公卿や僧侶の朝恩を定めること
一 臨時の行幸及び宴飲をやめること
一 法令を厳にすべきこと
一 政道に益無き愚直の輩を除くこと
の七箇条から成ります。
この「上奏文」は、顕家公の卓越した洞察力と政治理念を知ることのできる資料として今日に至るまで高く評価されております。

公式HP

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

大阪ミナミ⑬◆安倍晴明追って阿倍野へ!10年ぶりに住吉大社!【大阪ミナミシリーズ】|やんまあ@旅行記 (note.com)


▼セットで行くところ

▼仏像展


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