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デビッドボウイ感涙「正伝寺」伏見城血天井/南禅寺移築【京都ツウシリーズ/西賀茂シリーズ】

本堂へのアプローチが素晴らしく、紅葉時は素晴らしい写真が撮れそう!!ロック歌手デヴィッド・ボウイは宝酒造のテレビCMに起用された際、自ら正伝寺を撮影場所に希望したぐらい好きで、度々、訪れたようだ。

変更履歴
2024/09/09 初版


▼HP▼アクセス

京都市北区西賀茂北鎮守庵町72

▼祭神・本尊と脇時

釈迦如来

▼見どころ

鎌倉時代に東巌慧安禅師が一条今出川に仏殿を構えて、1282年に今の地に移った。駐車場から5分ほど緩やかな登り参道を歩く。本堂へのアプローチが素晴らしく、紅葉時は素晴らしい写真が撮れそう!!

→参道

→由緒と歴史

  • 正式には「吉祥山正伝護国寺」

  • 1260年、中国の栄より来朝した、兀菴普寧禅師に師事すること多年、遂にその蘊奥を極められたという

  • 1273年、聖護院(私のNOTE)の禅師に帰依し、亀山天皇の勅許で、現在の京都烏丸今出川付近に一宇を建立したのに始まり

  • 1282年、賀茂社の祠官が西賀茂の地に荘園を寄附され、現在の地に再建

  • 1323年、後醍醐天皇より勅願寺の綸旨を賜り、洛北の名刹となるが、応仁の乱で荒廃する

  • 1585年、再興開始で、徳川家康の時代に再興

  • 1652年、伏見城から移築したものを本堂@重文とする

  • 堂内には、京都名物「血天井」がある

  • 狩野山楽作の襖絵など宝物も多い

  • 江戸初期に作庭された枯山水庭園は、サツキの刈り込みが7・5・3に配され、「獅子の児渡し庭園」とも呼ばれている

  • 借景には比叡山を望むことができる

  • 1653年、南禅寺塔頭金地院の小方丈を移建し本堂とした

  • 同建造物は伏見桃山城の御成殿の遺構を移したものとも伝えられている

「血天井」
 方丈の広縁の天井は、関ヶ原の戦いの直前伏見城に立籠った徳川方の重鎮鳥居彦エ門元忠以下、 三百八十余名がその落城の際割腹し果てた廊下の板を天井としたものである。

→本堂@重文

→本堂@重文(方丈)の襖絵@重文

 江戸時代初めの狩野派の巨匠・狩野山楽の多くの襖絵@重文が拝観できる。「狩野山楽」は京狩野の始祖と言われている。元々は武士で豊臣秀吉の推挙により狩野派の絵師として活躍し、徳川家康の時代にも京都で活躍したそうな。

 1605年頃、伏見城本丸御殿を修理した際、徳川家康の発注による、狩野山楽作の襖絵がある

→庭園「獅子の児渡しの庭」デビッド・ボウイは庭園を見つめて涙したそうな

 本堂前にある枯山水庭園は小堀遠州の作と伝えられている。庭園は白砂を敷いた平庭で、サツキの刈り込みによって七五三調を表現しているよう。
 また、遠くの比叡山を取り入れた借景庭園で、京都マッタリ庭園である。


 血天井を撮り忘れたので次をどうぞ。

 本堂@重文は1652年の伏見城御成御殿を移築したもの。庭園は江戸初期の枯山水となっており、歴史的には新しい寺。この景色を見た瞬間、西京区の大原野にある「正法寺(私のNOTE)」の風景を思い出した。

→庭園縁側

→境内

 ああああ~狸谷山不動院(私のNOTE)のオブジェがここにもいた!?(狸谷山不動院ですべて見つけるとプレゼントがいただけるのだが、)こんなとこに置かれても見つからんわな!?

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

◆京都北②上京⑤◆上賀茂神社!京都御所!西賀茂神社仏閣&ランチ&甘味

京都の旅行記は次の通り

▼セットで行くところ


▼仏像展


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