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丹波柏原開拓した名主「織田神社」織田家が開拓【丹波国(丹波王国)シリーズ/福知山シリーズ/丹波シリーズ】
柏原八幡宮と木の根橋近くにある織田家を祀る神社だが、参拝する人は少なそう。三代目藩主・信勝を祀る「織田神社」と織田信長を祀る「建勲神社」があるのは織田家が藩主で栄えさせた場所だからのよう。
柏原の織田家所縁の場所はこちらをどうぞ!
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織田信長って神官の家柄ですよね。仏教は堕落し僧兵は権力の邪魔・脅威だったことから「比叡山焼き討ち」をしたわけです。GO TO 福井!すれば分かる。そして、本NOTEの次は兵庫・建勲神社を紹介します!!
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分霊しました。
変更履歴
2025/02/14:初版
▼HP▼アクセス
柏原八幡宮の表参道近くの観光案内所あたり
▼祭神・本尊と脇時
織田信勝
▼見どころ
根の橋近くにあります。織田信勝を祭神にしている。「織田家=織田信長」で織田信長は焼き討ちであまり印象が良くないが、信勝は新田開発などに貢献したらしく、地元では愛されているそうだ。
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1598年、織田信長の弟・織田信包(のぶかね)は、伊勢国安濃津から柏原に異動し、初代柏原藩主になる
三代藩主・織田信勝が8歳で柏原藩の藩主へ!?
1650年、三代藩主・織田信勝が28歳の若さで亡くなり、子がいなかったので断絶し、一時幕府領になる・・・
信勝の母は、8歳で藩主になった織田信勝を「織田権現」として織田神社に祀る
1695年、織田信長の次男・織田信雄の五男・織田高長から始まる大和宇陀藩の織田信休が柏原に入り、柏原藩が立藩
柏原藩主=織田家の血筋と言えようか
丹波柏原織田家は現在も存続している!!
福知山を含む、丹波は明智光秀ゆかりの地にも関わらず一族がいるのが面白い
1829年、邸内に建てた霊廟「織田権現」を現在地に遷す
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上の写真ににある「燈籠」には、火の神「愛宕」とある。確かに、織田信長もそうだし、福井の織田一族が神官である神社も火事で燃えるよな・・。なるほど、だから火の神・カグツチなのか!?(福井と京都の織田家の神社を書いた私のNOTEはこちら)
現在は「織田権現」とも称して織田家の庇護と町衆の厚い信仰を受けるようになったとさ。織田家は藩主となり、新田開発や堤防を築造するなど善政を敷いたようですね。
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→丹波かいばら 雛めぐり
→柏原の織田家の祭り
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
2024年:桜巡り!丹波/丹波篠山/福知山へ!!織田家所縁の柏原と八幡丹波篠山城ブラリ◆兵庫⑥京都丹波⑨◆|やんまあ@旅行記 (note.com)
2016年:◆兵庫東③◆丹波スイーツ/紅葉/33年に一度の秘仏/快慶と定慶(丹波/篠山)
2018年:◆兵庫東⑤◆紅葉3寺!文保寺&高蔵寺御開帳!!篠山・丹波の紅葉巡り
京都側の旅行記です。「丹波王国」を参照です。
兵庫川の旅行記です。「兵庫東」を参照です。
▼セットで行くところ
丹波国は京都と兵庫を跨ぐ大きなところですね。
▼仏像展
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