元石清水八幡宮「離宮八幡宮/自玉手祭来酒解神社」油発祥「妙喜庵」【京都八幡シリーズ】【天王山シリーズ】
本物の石清水八幡宮元宮!毎年4月3日に勅使が遣わされ、まず離宮八幡宮に参拝した後、淀川を船で渡って男山・石清水八幡宮に参拝したのが「日使頭祭」の始まりである。
境内に石清水八幡宮のものが・・・・。石清水八幡宮を勧請した際、男山に鎮斎する前にしばらく当地に奉斎した場所で、天皇の宮があったので「離宮」のようだ。男山・石清水八幡宮ではなく離宮・石清水八幡宮。
ただ、1688年から1704年、離宮八幡宮が幕府の寄進を受けて壮麗な社殿が造営されたことをきっかけに現・石清水八幡宮と仲が悪くなり、袂を分けて今に至る。
ということで、奈良にも元石清水八幡宮があるのでどうぞ!石清水八幡宮は「大安寺」の僧が創建なんですよね~。
変更履歴
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽離宮八幡宮:乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
「天下分目の天王山」として知られる天王山の南麓・山崎(大山崎)の地に鎮座
794年頃、清和天皇が神のお告げにより、宇佐八幡宮より八幡神を京へ御遷座せよというものだった
奈良・大安寺の僧・行教が実行し、不思議な現象から、その場を掘ってみると岩間に清水が湧き出したのでここにご神体を鎮座し、社を創建することにした
長岡京・平安京の外港とされ、古代より水陸交通の要衝として栄えた
平安時代の初期には流通の拠点として繁栄
855年、火災では300余家が焼失したようだ
859年、「石清水八幡宮」として建立された
その後に対岸の現・八幡市にある「石清水八幡宮」を分祀する
ここは嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地であったため、後に今の神社名である「離宮八幡宮」と改称された
平安時代の後期に、ここで始まった「荏胡麻油」生産が活発化すると鎌倉時代には油座が結成され、神社は座の会所となり大いに繁栄した
足利義満は大山崎の油座を庇護し、後の足利将軍もそれを継承したことから最盛期を迎える
最盛期には50隻の船が渡御する大祭で、賀茂社の祭礼を「北祭」「葵祭」と呼ばれたのに対して「南祭」「藤祭」と称された
室町時代には大山崎油は西は九州北部から東は美濃地方まで独占販売するほどになる
大山崎は幕府から自治権を認められ自治都市として独自の発展を遂げる
その繁栄の模様は司馬遼太郎の『国盗物語』にも描かれているよう
江戸時代に入ると山崎の油座は急速に衰えるが、離宮八幡宮は幕府の庇護を受けて繁栄
1601年、徳川家康が神領700石を寄進
1633年、徳川家光は勝竜寺城主・永井直清に社殿の造営を命じ、同年に完成
1670年、風水害で社頭が破壊されると、大坂御蔵銀から銀102貫余が支出され、本社・拝殿・平唐門・護摩堂・鐘楼などを備え、「西の日光」と称される壮麗な社殿が造営された
1864年、禁門の変に際して長州藩の屯所となったため、幕府・薩摩連合軍の砲撃を受けて社殿・堂塔を焼失
兵火を免れて現存するのは惣門と東門のみである
1876年、東海道本線の京都・神戸間開通し、山崎駅の開設で社地の大半がその用地となり、境内は約3分の2に減少
駐車場あるわ~と思いましたが「月極め」でした・・。
→東門から全国油脂販売店標識、本邦製油発祥地碑、河陽宮故址碑
境内に入ると二宮金次郎と思わせつつ・・・油の神様??
西本願寺と東本願寺など代表するように宗教界にも袂を分けたり、喧嘩したりするんですよね・・。
1695年、石清水八幡宮は離宮八幡宮境内の標石に「石清水八幡宮領」とあること、鳥居の扁額が「八幡離宮」となっていたのが「八幡宮」と改められて石清水八幡同然になったこと、新鋳した釣り鐘の銘に「石清水八幡宮」とあることなどを問題視し、京都奉行所に訴えた
石清水八幡宮の主張は「石清水」の称は男山の八幡に限ること、離宮八幡の「離宮」は河陽離宮ではなく男山の八幡の離宮・行宮の意であり、その支配下にあるというもの
離宮八幡宮は、山崎は石清水の起こりであり男山の元宮であると主張し、石清水八幡の支配下に置かれることに反対
1697年、幕府の裁定が下され、石清水の三文字は使わず離宮八幡と書くべきとされたが、公式に離宮八幡として分離独立することが認められた
→中門、拝殿・本殿
三殿になっており、本殿は「応神天皇」で、左殿にオオヤマツミこと「酒解大神」で、右殿に宗像三女神こと「比売三神(市杵島姫命・湍津姫命・田心姫命)」となっている。
酒解大神は、山崎の氏神である「自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)」の祭神で、酒解神は橘氏の氏神である梅宮大社にも祀られている。
→石清水
下の写真にある手前のところに石清水がある。背要塞な説明は公式HPより。
いろいろ見どころのある境内で、摂社・末社も多い。なぞの石は宝塔の礎石なんだそう。つまり、神社境内に寺があったということだろうか。
→本殿左:武内社、天照皇太神宮、気比宮、蛭子社、鹿島社、住吉社、腰掛天神社、稲荷社
概ね石清水八幡宮にある摂社・末社と同じ社が揃っているので、重複部分の説明は割愛する。石清水八幡宮の私のNOTEは次の通り。
■武内社
石清水八幡宮にもありますね。というか八幡系の神社は必ずありますよね。祭神はタケノウチノスクネですね。
■天照皇太神社
神社名は違いますが、石清水八幡宮にもありますね。
■蛭子神社
■鹿島神社
純粋にいえばタケミカヅチなのですが、八幡市では香取神社だけど鹿島神宮の祭神「タケミカヅチ」を祀っているところがあるので、その逆で「フツヌシ」だったら面白いが・・。疑いすぎ??タケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネを祀るとしている人もいますね。
■気比宮
石清水八幡宮にもありますね。
■高天宮神社、住吉社、稲荷社
石清水八幡宮にもありますね。
■十禅師宮、勝手神社
十禅師は日吉大社系でニニギを指すようだ。近くの寺でも繋がりが強く、ここは石清水八幡宮ではなくこの地域の神仏習合で寺の名残と捉えておこう。
ただ、勝手神社が入っているのは面白いですね。勝手神社=奈良・吉野のイメージで、ここも天皇所縁の神社だから何かその所以ですかね・・。ということで毘沙門と繋がりが強いですよね。
ここだけ、神仏分離前の寺の要素が強い社ですね。では勝手神社の紹介です。
■腰掛天神社
長岡京市の長岡天満宮や、上宮天満宮など、菅原道真の通り道だったので、ここも通ったというのも頷ける。もう一押しすると、船待ちだったのかも。ここは商人の港町だったろうから?
■藤棚
■三社
■高良社
石清水八幡宮にもありますね。
→本殿右:社務所、若宮社
→駅側に移動
▽妙喜庵(待庵)
日本最古の「茶室@国宝」があると同時に、千利休が作った唯一の現存茶室。
寺伝には、1582年の「山崎の戦い」のおり羽柴秀吉の陣中に千利休によって建てられた二畳隅炉の茶室を解体し移築したとある。
▽山登り「自玉手祭来酒解神社」
ここに行くつもりだったが、妻が拒否・・。また行きます。
乙訓地方で最も古い神社
創建時期は不詳となるが、717年建立の棟札があることから奈良時代の創建と考えられている
自玉手祭来酒解神社は、古くは山埼社とも呼ばれた山崎の氏神
別名「さかとけじんじゃ」や「さかとけさん」という名称で親しまれている
天王山の頂上近くに鎮座しており、大山祇神を主祭神に、相神にはスサノオを祀る
本殿の手前にある神輿庫@重文は鎌倉時代の建築とされ、わが国にある板倉では最古の例
離宮八幡宮の左殿に祀られる酒解大神は「自玉手祭来酒解神社」の祭神
839年から843年、名神大社だったが、中世以降、その所在は失われた
その所在を巡っては『山城志』などが天王山山頂近くに鎮座する天王社(現・自玉手祭来酒解神社)としたのに対し、『神祇志料』や『神社覈録』などは離宮八幡宮の左殿に祀るとしている
『鎮座記』にも離宮八幡宮を創建したとき、相殿に酒解神を祀ったと記されている
『特選神名牒』は、天王社が広大な社地を有する山崎の産土神であること、天王社境内から流れ出る川が五位川と呼ばれるのは酒解神が従五位下を奉授されたことに因むとの伝承があることなどを根拠に、天王社こそ酒解神社であるとする
1868年、天王社は正式に自玉手祭来酒解神社と改称
1875年、京都府により式内社であることが決定されて現在に至る
いずれにせよ、自玉手祭来酒解神社は離宮八幡宮の兼務社となっており、こちらは平和解決している
オオヤマツミ、スサノオ以外には、アマテラスとツクヨミとヒルコ、オオナムチ、アシヅチとテナヅチなどアマテラス系と出雲系の祭神がいる
行けなかったのでそれまでは他力本願です。猿、熊、スズメバチに注意とか・・。天王山・宝積寺本堂前を右折し、閻魔堂と弁天堂の間を抜けて登山するなど何パターンかあるようですね。神社を越え、天王山の山頂に行くと豊臣秀吉が築いた山崎城の跡が残っているようです。「小倉神社」へ下りる道もあるようですね。
▼旅行記
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▼仏像展
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